第5節 人生を変える男
オシャレな音楽の流れる、小ぢまりとしたカフェのカウンターに、私は座っている。
「ごめんなさいね、娘が無理言って」
「いいえ、お構いなく。私も、久々に二人に会えて嬉しかったんで」
ここはアクアマリンにある小さな喫茶店。
ジルさんの実家が営んでいるお店だそうだ。
長年続いてきたであろう古びた店内は、それだけ長く街の人から愛された証拠でもある。
カウンターの奥では、ジルさんの父親のマルコさんが作業していた。
ちょうど店の忙しさも落ち着いた頃合いで、店内には常連客らしき人が数名と、私達しかいない。
「ジルさん、アクアの出身だったんですね。ビックリしちゃったよ」
「私もビックリしました。まさかメグさんとこの街で会えるなんて」
すると「メグちゃんはどうしてこの街に居るの?」と、メアリが隣の席から顔を覗き込んできた。
「怪我の治療だよ。ちょっとヘマして足折っちゃってさ。お師匠様のツテで七賢人の人に治療してもらうことになってんの」
「それってひょっとしてジャックさんですか? 生命の賢者の」
「そです。やっぱ有名なんすね」
「それはもう! 昔からこの街で沢山の人を救ってきた人ですから。街の誇りです」
どうやらジャックはアクアでも相当の権威者らしい。
それもそうか。
だって彼は七賢人だけでなく、稀有な男性の魔導師だから。
魔法業界では、活躍するのは主に女性となる。
それは、女性の方が高い魔法適正を持つからだ。
事実、七賢人も七名中五名が女性という割合で構成されている。
魔法の世界は、本来女性社会なのだ。
そこに男性が割って入るには、当然女性以上に努力が必要になる。
だからこそ、七賢人に属した男性は、その称号に“賢者”が与えられる。
もはや、魔法使いの領域を超えたと認められるのだ。
とは言え、やはり表舞台に立つのは魔女が中心になる。
私が七賢人ジャックの名前を知らなかったのも、ある意味では仕方がないのかもしれない。
……ただの勉強不足でもあるけど。
考え込んでいると「メグさんは今日、治療の用事で?」と尋ねられた。
「あぁ、実はちょうど七賢人のジャックの家に行くつもりだったんすよ」
「あら、病人なのにわざわざ?」
「約束すっぽかしやがったんです。今宵私はクレーマークレーマーになる」
「それは大変ですねぇ」
「アハハッ、メグちゃん約束破られてる。おもしろーい」
「どこがおもろいねん。殺すぞ」
私がメアリを睨んでいると、ジルさんがレモンティーの入ったグラスをテーブルに置いてくれた。
「でも、それなら、わざわざ向かう必要はなかったかも知れませんね」
「どういうこと?」
「だって彼は――」
ジルさんが何か言いかけた、その時。
不意に奥から、ガタンと何かが倒れる音がした。
驚いて私達が奥を見ると、先程まで元気に作業していたマルコさんが、胸を抑えて苦しげにうずくまっていたのだ。
「お父さん!」「おじいちゃん!」
メアリとジルさんが、ほぼ同時に悲鳴のような声を上げた。私も慌てて駆け寄る。
マルコさんは額から冷や汗を流しながら、苦しげな表情を浮かべていた。
「お父さん、大丈夫!? お父さん!」
ジルさんが揺さぶるも、マルコさんの苦しそうなうめき声は止まらない。
私は突然のことに、何をすれば良いのかわからなくなる。
「あっ、そうだ! 救急車……!」
私が慌ててポケットからスマホを取り出していると、不意に店の奥から一人の少女が姿を表した。
「あまり動かさないで」
はっきりとした、芯のある声だった。
きれいなプラチナブロンド。
歳は私と同じくらい。
優しい顔立ちに、真剣な表情。
私にはそれが聖母に見えた。
「ジルさん、容態は?」
「ココちゃん……それが、突然苦しみ出して。私どうしたら良いのか」
「とりあえず濡れタオルと水を」
「用意してきます!」
「メアリも手伝う!」
ジルさんとメアリが言われるがまま動き出す。
私はその様子にただただ唖然としていた。
すごい。
一瞬でこの状況を収めてしまった。
普段はきっと大人しい普通の女の子なのに。
指示を出すその姿は、なんだか妙に頼もしい。
ジッと見ていると視線を感じたのか、ココはニコリと笑った。
「大丈夫、きっと何とかなります」
その言葉は、何だか妙に自信に満ちていた。
いや、確信と言っても良いかもしれない。
一体何が彼女の背中を押すのか。
不思議に思っていると、不意に店の入口が開いた。
来客だろうか。
今はそれどころじゃないのに。
「お客さん? ちょっと悪いけど、今はそれどころじゃ……」
立ち上がった私は、そこでぎょっとして言葉を失う。
顔に大きな傷のある、いかつい男がいた。
着崩したスーツ姿、ゴツゴツした腕、ジャッカルのように鋭い眼光。
マフィアだ、マフィアが攻めて来た。
直感的にそう思った。
「何故マフィアがここに……?」
そうか、この店は借金があるに違いない。そして奴は取り立て屋。今日中に元金の一割を返す約束なのに、店主はちっとも顔を出さない。仕方がないからこの店まで攻めてきたのだ。そして借金を返せないならこの店は間も無く取り壊されてしまう。
適当に考えた割にはリアリティあるな。
そして私は知り合いの店の
私が身構えていると、先程のココという女の子が声を上げる。
「お父さん! ちょうど良かった! こっちこっち!」
「何だ? 急患か?」
「お父さん! コレが!?」
びっくりしすぎて声が裏返る。
そんな私の言葉を気にする様子もなく、男はカウンターをくぐって中に入ってきた。
「容態は? どうなってる?」
男はココに目を向けるも、彼女は首を振る。
すると、次は私に顔を向けてきた。
「わかんないけど、突然胸が苦しいってうずくまっちゃって」
私の言葉に「不整脈か……」などとブツブツ呟きながら、男はマルコさんの触診を始めた。
人差し指と薬指、二本の指でトントンと音を聞いている。
聴診器もない。
それで何が分かるというのだろうか。
不思議に思っていると、男は忌々しげに舌打ちをした。
「チッ、おい、じいさん。また俺の薬飲み忘れただろう」
「うぅ……一日くらい大丈夫かと思って……」
「それを決めんのはお前じゃない、俺だ。ったく、バカ野郎が」
男がマルコさんの胸部を二本の指で何度か叩くと、次第にマルコさんの表情は穏やかなものになっていった。
「ほれ、治ったぞ。ったく、これに懲りたら医者の許可なく薬を抜くんじゃねぇよ」
「えっ? 治った? 二本の指でトントンしてただけじゃん!」
「こいつのはただの不整脈だ。心臓に働きかけて内部の電流を正した」
「はぇー、すげぇ」
以前何かの書物で読んだことがある。
確か心臓の脈動は電気信号でコントロールされているんだったか。
不整脈は、心臓内部の電流に異常が出ることで生ずるものらしい。
それを、ジャックはあの数秒間で治してしまったのだ。
何という早業。
あの僅かな時間でそれだけのことをしたというのか。
私が感心していると、男は立て続けに私の足をジロリと見て、私の足に指を這わせた。
「うひゃあ!?」
驚いて思わず生娘みたいな声が出た。
「ふぅむ、こっちは全治二ヶ月ってとこだな」
「ななななな、なぁー!?」
「ちょっとお父さん! 触診するならちゃんとことわって!」
「大丈夫だ、これくらい」
「何が大丈夫じゃ! 花の乙女の柔肌に無断で触り散らかしといてナンボ請求される思とんじゃゴラァ!」
私がブチ切れていると「どうしたの!?」とジルさんが慌てた様子で戻ってきてくれた。
「ものすごい叫び声が聞こえたけれど、父さんに何か……」
「よぉ、ジル。お前の親父さんに言っとけ。薬はちゃんと飲めってな」
ジルさんは、私の横の男を見て全てを察したように安堵の表情を浮かべた。
「良かった。来てくださったんですね……ジャックさん」
彼女は男のことを『ジャック』と呼んだ。
そこで、私の中に合点がいく。
予想はついていた。
私の乙女の柔肌を蹂躙したこの男こそ、ジャック・ルッソだと。
これが、私の人生を変えることになる七賢人、生命の賢者との出会いだった。
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