第6節 生き残れるチャンス
色々なドタバタがようやく一息つき、店内はすっかり落ち着いていた。
こってりと説教を食らった店主のマルコさんは奥に引っ込み、今はジルさんがお店を回している。
そんな静かな空間の中に、まるで地獄を塗り固めたかのような気まずいテーブルがあった。
そのテーブルでは私と男が睨み合っていた。
今にも相手を狩り殺そうとする私の獣の眼光を、やつは物ともしない。
しかし乙女の柔肌に無断で触れた罪は許されるものではないのだ。
私達の席には、先程の女の子も同席している。
彼女はジャックの隣に座って、気まずそうに笑みを浮かべていた。
「ええと、改めてご紹介します。この人は『生命の賢者』ことジャック・ルッソ。私はその娘のココ。このお店でアルバイトをしてるの。……ほら、お父さんも挨拶して!」
「あのファウストの弟子と聞いてたからさぞかし優秀だと思ってたがな。師匠と違って弟子の方は随分と感情的だな、メグ・ラズベリー」
「何で私がメグって分かったのさ」
「足の骨折った、娘と同い歳くらいの魔女って言ったらお前しかいねぇだろ」
「うぅむ、たしかに」
流石に観察眼が鋭い。
いや、私が鈍いだけなのかもしれないが。
「誰が鈍いんじゃコラァ! イてまうぞワレェ!」
「何一人でキレてんだ、新米魔女」
「魔女見習いじゃボケカスが」
「グレードダウンしてんじゃねぇか」
するとジャックはふぅ、とため息をついた。
「いいか、お前はな、今医療業界じゃちょっとした話題になってんだ」
「話題……? 私が?」
「そうだ。現在深刻な社会問題になりつつある魔力汚染。その進行度が八割を超えたものは、ステージⅤという最終段階に入る。こうなったらもう、その個体は助からない。世界で症例が成功した記録はたった一件だけ」
「それが、私?」
ジャックは頷く。
「世界で魔力汚染に苦しむ患者は百万人以上いる。そのうちの一割はステージⅤだ。もし、お前の話の中に、魔力汚染を治療する明確な方法があるのだとしたら、お前は間違いなく歴史に名を刻むことになるだろうな」
百万人……。
その話の規模に、思わず息を呑む。
自分がしたことが、そんなことになっているだなんて思いもしなかった。
「俺は七賢人になる前からずっと、医療活動を行ってきた。沢山の命を救ってきたが、それでも救えないものがあった。その代表格が、魔力汚染だ。自然治癒が難しく、薬が無いと対処も出来ない。それも、確実じゃない。効果的な治療方法も確率されていなかった。まさしく、史上最悪の病の一つなんだよ、魔力汚染は」
「お父さんは七賢人や町医者以前に、世界中の被災地や戦場をまたにかける医師だったの。医療の届かない地域に足を運んで、今まで沢山の人を助けて、沢山の人の死を見てきた」
「メグ・ラズベリー、俺が生涯を掛けて追い求めてきた答えを、お前は持ってる」
「その割には約束破って病院にいなかったじゃん。病人をこんなに歩かせてさ」
「歩いたのはお前の勝手だろ。時間に関しては悪かったな。この島には俺を必要としてる患者が山ほどいる。お前のために事前に待機するような時間は無いのさ」
「謝ってんのか喧嘩売ってんのかどっちじゃい……」
「お前の治療の話が病院に来た時、チャンスだと思ったよ。だからお前の担当医には俺が志願した。俺の技術があれば、その骨は一週間程度で完治できる。その間、お前には俺の調査と実験に付き合ってもらうからな。それで治療費はチャラだ」
「まぁ、別に良いけど……」
私の協力一つで百万人もの人を助けられるのだとしたら。
断る理由は特にない。
それに、もしそんなことが可能なのだとしたら……。
死の宣告の呪いを解く前に、命の種を生み出すことだって、出来るかもしれない。
千粒の嬉し涙の結晶を。
私は、密かに震えていた。
自分が生き残る可能性が、明確に目の前に提示されていたからだ。
魔女としての活動が広がるほど、得られる嬉し涙の単位が大きくなることは感じていた。
だから、余命があと半年ほどだとしても。
生き残れるチャンスは、十分にあるかもしれないと思っていたのだ。
その道は決して軽くはない。
だけど今、明瞭な近道を、私は前にしている。
「とにかく、明日はみっちりお前を検査させてもらう」
「検査? 怪我の?」
「それもあるが、併せて魔力検査も行う。死にかけのオークの樹を桜に転生させる。基礎魔法術式は祈が構築したと聞くが、内容はそれほど特殊なものじゃない。だからこそ、お前に特異体質がなければ、汚染の治療には再現性があるということになる」
「なるほどねぇ、特異体質か……。あっ」
そこで、一つ懸念事項があった。
他の誰もが持っていなくて、私だけが持っている特殊な条件があるじゃないか。
私には、死の宣告という呪いが掛かっているという条件が。
私の様子に、ジャックは訝しげな視線を向けてくる。
「なんだ? 何か心当たりでもあんのか?」
「あの……あなたは人の病気を見抜くことが出来るんだよね」
「全部じゃないがな。それに、未知の病気だった場合でも体内魔力の流れがおかしくなるから割と気付ける」
「じゃあ、私の体でおかしいところは?」
「右足の複雑骨折、それにほぼ完治してるが全身に打撲痕と細かな切り傷。地味に尻に打撲もあるな」
「うぐ……」
まさかそんなところまで見抜かれているとは。
恥ずかしかったから誰にも言わなかったのに。
そこでふと気づく。
さっき彼が触れた部位は、どこも怪我をしていた場所だった。
あの混乱の最中、マルコさんを治療しながら、ジャックは私の怪我の状態も見ていたのだ。
その凄まじさに、そっと息を呑む。
ジャックの技術は本物だ。
彼なら、私の呪いの正体も解き明かすかも知れない。
私ははやる気持ちを抑えて彼に尋ねた。
「それ以外には?」
真剣な顔で覗き込むと、気圧されたようにジャックは身を引く。
その顔には、明らかな困惑の表情が浮かんでいた。
「頭だ。脳が手遅れだ」
「殺すぞ」
どうやら世界一の名医にも私のこの呪いは見抜けないらしい。
顔に出しては行けないと分かっていても、露骨に出てしまう。
「なんだ、他に悪いところでもあるのか」
「まぁ、おいおい話すよ」
私達はまだ出会ったばっかりだ。
それに、ジルさんやメアリ、それに娘のココが居る場所で、いきなり余命の話をするわけにはいかない。
歯切れの悪い私をジャックはしばらく睨んでいたが、やがて何かを諦めたようにため息を吐いて立ち上がった。
「この話はここまでだ。俺はあのくたばり損ないの
「うん、分かった」
「ちょちょちょい待ちんしゃい! 病院戻るなら、私も一緒に――」
立ち上がろうとすると「バカ言え」と無理矢理座らされる。
「怪我人は医者の言うこと聞いとけ! 明日朝一で俺が連れて行くまでお前は留守番だ!」
「あっ! 待たんかいこら!」
ジャックは言うや否や、さっさと店の奥に引っ込んでしまった。
マルコさんを連れて、そのまま裏口から出るのだろう。
取り付く島もないとはこのことを言う。
「ちくしょー」
私が呻いていると「ごめんね」とココが頭を下げる。
「お父さん、ああ見えてかなり優しいんだ。きっと、メグちゃんのこと、気遣ってるんだと思う」
「うん……」
それは私自身が一番よく分かっていた。
だってさっき立ち上がれなかったのは、ジャックに座らされたからじゃない。
足が出なかったからだ。
今朝から定期便に乗って、病院まで歩いて、そこから街を回って。
普段なら平気な距離の移動でも、今の私にはかなりの重労働だったらしい。
肉体疲労が酷く、思っている以上に体に疲れが出ていた。
そんな私の疲れを、ジャックは全て見抜いていたのだ。
全部見抜かれていたことが、何だか妙に癪だった。
「私の仕事が終わるまでしばらく待っててね。ジルさんに頼んで何かケーキ持ってきてあげる」
「うん、ありがと……」
「じゃあその間メグちゃんは私とお喋りね!」
どこからともなくやって来たメアリが、私の対面に座ってにっこりと微笑んだ。
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