第10節 桜の精霊樹

私が次に目覚めたのは、それから三日経ったラピスの病室での事だった。

起きるとすぐそばにお師匠様が座っており。

私を見ると、優しく頭を撫でてくれた。


「よく頑張ったね、メグ・ラズベリー」


その声は、いつになく優しいものだった。


「お師匠様……えっと、私、どうなったんですかね」

「病院に運ばれたのさ。酷い怪我だったからね。祈が薬を調合してくれて、治癒力を高めた。それでお前は助かったんだ」

「そうなんだ……」


そこでハッとする。


「そうだ、セレナは!? 街の御神木はどうなったんです!?」


身を乗り出すと、全身に痛みがズキリと走る。

「無理するんじゃないよ」とお師匠様は私を支えてくれた。


「安心しな、あの樹は無事だよ。お前のおかげでね」

「私の……?」

「呆れた子だね、自分でしたことなのに、覚えてないのかい?」

「いやぁ、なんかもう色々ありすぎてぐちゃぐちゃで」


すると、コンコン、と部屋のドアをノックする音が響いた。

見るとそこに、祈さんが立っていた。


「ようやく起きたわね。調子どうよ?」

「それなりでおま」

「あんたホントに変わらないわね」

「祈、今回は不肖の弟子が迷惑かけたね」

「ホントよ。とっておきの秘薬は使う羽目になるわ、報酬は安いわで散々よこっちは」

「ひぇぇぇ、すんまへん」


私が申し訳なさで縮こまっていると、祈さんはフッと笑みを浮かべ


「でもまぁ、無事で良かったわ」


と言った。


「そう言えばファウスト婆さん、外出の件なんだけど、意識戻って経過見て問題なければ良いって」

「そうかい。それならまた来ようかね」

「外出許可?」


私の言葉に、お師匠様は頷く。


「お前の言う“御神木”を見に行くのさ」




三日後。


お師匠様に車椅子を押され、私は祈さんとお師匠様とラピスの街を散歩していた。


私の膝の上には、カーバンクルが静かに寝息を立てている。

頭の上にはシロフクロウが乗り、春の日差しを全面に浴びていた。

空気が暖かく、風が柔らかい。

私が寝ている間に、すっかり季節は冬を超えたらしい。


「それで、これってどこ向かってるんです?」

「あの自然公園よ」

「自然公園って、御神木のあった?」

「そう。あの一件以降、魔法学会は大騒ぎになってるからね」

「学会が? 何でですか?」

「行きゃ分かるわよ」


祈さんの言葉にはどうも含みがあるように感じられる。

さっさと教えてくれりゃ良いのに。

私が訝しんでいると「メグ」とお師匠様が声を掛けてきた。


「これからお前は忙しくなっていくよ」

「忙しいって、星の核プロジェクトでですか?」

「いや。お前自身の魔法が、世界と繋がっていくんだ」


お師匠様は、どこか遠くを見ている。

その視線が捉えているのは、ここではない遥か遠くの未来に思えた。


「メグ、よくお聞き。世界とつながることは、お前の想像を絶する苦難を前にすることになる。お前はこれから、それと対峙しなきゃならない。その時が迫ってきたんだ」

「そんなこと急に言われても、よく分からんです」

「嫌でも分かるようになるさ。そのうちね」


お師匠様はそう言うと。

どこか満足げな表情で、笑みを浮かべた。

それは、巣立つ子供を見る時のように、喜びに溢れていると感じられる。


「そう言えば、カーターがこの間うちを尋ねてきたよ。弟子を危険に巻き込んですまなかったって、菓子折りを持ってね」

「何でお師匠様に謝るんじゃ。直接私のとこ来んかいな」

「私に無断でお前を使ったんだ。その筋をあいつは通さなきゃならなかったんだろう。ラピスの市長としてね」

「市長ならもうちょっとしっかりしてほしいなぁ、まったく」


思わずため息が漏れる。

今回も安請け合いしたために散々な目にあった。


祈さんの治療薬のおかげで、打撲や切り傷や内臓へのダメージはかなり早期の治療が見込めるらしい。

でも折られた足だけは、当分まともに動かせなさそうだ。


「退院まで一週間かぁ。骨折が完治するにも時間かかりそうだし。あーあ、私の大事な寿命が……」

「これに懲りたら、これからは先を考えて行動するんだね」

「ふぁい……」

「ホゥホゥ」

「ほら、シロフクロウも怒ってるわよ。邪険に扱ったから」

「ふぇぇ、許してよぉ、後生だよぉ」

「こりゃ、どっちが主人だかわかりゃしないね」


祈さんとお師匠様が苦笑し、私はガックリ肩を落とす。

余命へのタイムリミットも無いのに。

いっつも私は遠回りをしている気がする。


「さて、そろそろだね」


お師匠様の言葉で、私は顔を上げた。

いつの間にか、ラピスの自然公園にたどり着いていた。

枯れ切っていた草木は元に戻り、春の日差しに照らされ美しい草色の彩りが満ちている。


「もう植物が回復してる……」

「そりゃあんた、七賢人が二人も居るんだもの。舐めんじゃないわよ」


祈さんはどこか得意げだった。

それにしても。


「なんか人が多くないですか? いつもガラガラなのに」

「そりゃあ、お前が世界有数の観光名所を生み出したからだろう」

「えっ?」

「ほら、見てみな、メグ」


お師匠様に促され、視線をやった私は言葉を失う。


そこでは、桜が美しい花を咲かせていた。

見たこともないくらいの、呼吸するのも忘れてしまうほどの巨大な桜の樹が。


春の彩りを象徴するかのような、美しい桜色の色彩。

舞い散る花びらは終わりが見えず、永遠を私に感じさせる。

まるで異世界に迷い込んだかのような、心震える光景がそこにあった。


桜の周囲には、何百、何千という精霊達の姿が見える。

もっとも、精霊が見えるのは私だけだろうけど。


雪のようにかすかな、生命を感じさせる光の粒。

それが、桜の花びらに紛れ込んで、木々の隙間で遊んでいるのが分かった。


「何……これ」

「何言ってんの。これやったのは、あんたじゃない」

「私が!?」


祈さんの言葉に思わず振り返った。

そんな私の驚きを当然のように受け止め、祈さんは言葉を紡ぐ。


「あの時、あんたがやったのは重度の魔力汚染に掛かったオークの巨木の『転生』。組み立てていた転化の魔術式を使って、オークを桜へと生まれ変わらせた」

「生まれ変わり……」

「そう。生まれ変わった樹は理に繋がり、余剰に吸われていた魔力は全て消費された。まさしく、魔法史を大きく揺るがすような大魔法よ」

「その大魔法を、私が放った?」

「さてね。基礎魔法式を構築したのは私だから、半分は私の手柄だけど」

「たとえ発動させた本人であっても、見習い魔女のお前は“助手”って扱いになるね」


何じゃそりゃ。

思わず肩が落ちる。


「ま、別にいいですけど」

「何だい? 随分と殊勝じゃないか」

「だってお師匠様、私、あの時何やったか全然覚えてないんすよ? 意識の外でやったことなんて、どれだけ讃えられても全然嬉しくありまへんわいな」

「あんた、そう言うところ律儀よねぇ」


祈さんは呆れ笑いを浮かべながら肩をすくめた。


「でも大量の魔力を使って樹を別物へって発想はなかったわ」

「魔力汚染によって取り込まれた魔力の量は尋常じゃないからね。生物が正常で居られる範疇を遥かに超えた量の魔力が宿ってる。それだけの力の供給源があったからこそ、転化魔法も転生魔法として機能したんだろう」

「魔力汚染された動植物の治療方法に一石を投じたことになるわね」

「ほぇぇ」


自分でやったことなのだろうが、何だかまるで実感がわかない。

あの時は無我夢中で、ただただ魔法を発動しただけなのだ。

何故そうしたのかと問われれば、直感としか答えようがないだろう。


「メグ、ビンを見せてみな」

「えっ? ふぁい」


私がビンを差し出すと、お師匠様はそれをまじまじと眺めた。


「精霊の涙が宿るビンか……ふふ、なんだか素敵じゃないか」


そして、どこか嬉しそうな笑みを浮かべるのだ。


私もビンを受け取り、眺めてみる。

お師匠様は精霊を見ることが出来ない。

多分涙に宿る魔力を感じ取ったのだろう。

ただ、私にはあまり違いは分からなかった。


「メグ。学会のルールで、この新種にはお前が学名を付けることになってる」

「えっ? お師匠様、マジです? でも新種って?」


すると祈さんが補足した。


「これはね、北米地方にしか見られない、精霊樹の一種なの」

「精霊樹?」

「そうさ」


お師匠様が頷く。


「多くの精霊を生み出す母体樹。それと同じ特徴がこの樹には見られるんだ。ただ、桜を咲かせる精霊樹はここにしかない。紛うことなく、お前が生み出した精霊の神木さね」

「英国地方で咲く桜の精霊樹。過去に類の無い新種よ。こうなると、これからこの自然公園はどんどん発達して行くわよ。精霊樹は大地を清め、木々に加護を与えるから」

「カーターも今、新しい樹を植えるか検討してるところって言ってたね」

「そうなんすか」


だからこんなに人が居るのか。

精霊樹を一目見ようと集まった、沢山のラピスの人達。

皆が皆、桜の美しさに目を奪われ、嬉しそうに笑みを浮かべている。


それは、かつて精霊の少女が夢見た、街の人に愛される神木の姿だった。


「メグ、樹の名前は決まってるの?」

「名前かぁ……」


祈さんの問いに、私は精霊樹を見上げる。

すると、一瞬だけ。

樹の上で、微笑む少女の姿を見た気がした。

沢山の精霊に懐かれている、白い少女の姿を。


「セレナイト」


そして私は、その名前を口にした。


かつて、ラピスの街に、一本の樹が植えられた。

その樹は、何百年という月日を経て、ラピスの街と共に成長した。

しかし時を経て、樹は人々から忘れ去られるようになった。

病に侵された樹は、街を守るため死ぬことを望んだ。


その樹は、今、新しい姿になって、再びラピスを照らしている。

人々から忘れ去られた樹は、再び人々に愛される樹になった。


これからこの樹は、かつてのように沢山の人に愛され。

そしてまた長い間、私達を見守ってくれるのだろう。

独りじゃなくて、沢山の精霊と一緒に。


私は、静かにセレナイトを見上げる。

柔らかい春風が頬を撫でた。

その温もりを全身で感じて、私は木に向かって言葉を告げる。


「春がきたよ」

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