第9節 見習い魔女の最初の奇跡

「メグ! 何やってんの! あんたも早く逃げな!」


どうにか脱出経路を確保した祈さんが、私に呼びかける。

だけど、私は逃げるわけにはいかない。

終わらせなきゃならないんだ、あの子の命を。


私は、震える呼吸をどうにか調え、シロフクロウの頭を撫でた。


「良い? シロフクロウ。祈さんと一緒に逃げな」

「ホゥ?」

「私のことはいいの! まだやることあるから。それから、留守番してるカーバンクルをよろしく。あいつ、とことん寂しがり屋だから構ってやって」

「ホゥホゥ!」

「いいから早くお行き! ローストチキンにして食っちまうよ!」


半ば怒鳴り散らすと、どうにかシロフクロウは私の言うことを聞いてくれた。

その背中を見送る私の顔は、何故だか笑みが浮かぶ。

無意識に死を覚悟しているのかも知れない。

死を覚悟して笑うなんて、我ながらどうかしてる。


「メグ……?」


困惑する祈さんに、私は頭を下げた。

その瞬間、私が何をしようとしているのか、祈さんも悟る。


「ダメよ! メグ! 早くこっちに来な!」


祈さんの声を無視して、私は御神木にむきあう。

行くよ、セレナ。


私は自分に肉体強化と動体視力強化の魔法を使うと、御神木に向けて駆けた。

転化術式の本体は御神木の幹に描いてある。

その魔法式さえ発動してしまえば……!


すると、私の動きに呼応するかのように、伸びゆく枝や根が襲いかかってきた。

大きな樹の枝をしならせて私を薙ぎ払おうとしたり、根で絡め取ろうとしてくる。

私は身をひねると、それらをギリギリで回避した。


足元から絡みついてくる根に合わせて跳躍し、打ち込んでくる枝に着地して幹へ向かって駆け抜ける。

手数が多い。

油断するとすぐに捕まってしまいそうだ。


異常発達した枝や根はどれも大蛇と見紛うほどに太く、強靭だ。

捕まれば最後、私の骨など簡単に砕かれてしまうだろう。

そうなればもう勝ち目はない。


「セレナ!」


叫ぶも、私の声に反応する様子はない。

そこにはもう正常な意識は残っていないように見えた。


一歩、二歩、三歩。

そんなに距離は無いはずなのに、随分と遠くに感じる。

なかなか近づくことが出来ず、次第に体の動きが追いつかなくなってきた。

体力には自信があったが、それを上回る速度で木々の攻撃が増してくる。


枝が体をかすめ、根が足を打ち。

少しずつ、全身を蝕むようなダメージが蓄積されていくのを感じる。


「あとちょっと……」


と、その時。

不意に足先に力が入らなくなり、ガクンと膝から崩れ落ちそうになった。

咄嗟に踏ん張ったものの、一瞬何が起こったのかわからなくなる。


毒だ。

葉の形状が変化してる。

毒が傷口から回ったんだ。


そう思っていると、急に地面から顔を出した根の一本に足を取られた。


しまった。

声を上げる間もなく、根は私の足を巻き取り、締め上げる。

ヤバい。

そう、声を上げる間もなく。


ボキン


鈍い骨の折れる音がするのを、たしかに耳にした。

刹那、足先から息が出来ないくらいの痛みが這い上がってくる。


「あ、あぁ……」


あまりの激痛に、私はその場に倒れ込んだ。

全身から冷や汗が吹き出す。

息ができない。


それが、崩壊の始まりだった。


次は太くしなやかな枝が私の体に打ち込まれた。

鈍器で殴られたかのような衝撃は、私の体を宙へと吹き飛ばし。

そして、固く冷たい地面へと叩きつけた。


その頃にはすでに意識も朦朧としていて。

頭や鼻や口から血が流れていて。

右足がおかしい方向に曲がっていて。

何が起こっているのかも、よく分からなかった。


「メグっ!」


遠くで、こちらに駆けてくる祈さんの姿が見える。

でも、いくら祈さんでもこの大量の根や枝に阻まれては迂闊に近づけないだろう。

間に合わないのはすぐに察しがつく。

どうやら短い余命を全うするまでもなく、私はここで死ぬらしい。


「お師匠様……」


もし、私が死んだら。

お師匠様は、悲しんでくれるだろうか。

どんな顔を浮かべるんだろう。


空を仰ぎ見ようとして、私は気づく。

私のすぐ横に、木の幹があることに。

先程弾き飛ばされた時、偶然運ばれたようだ。

我ながら悪運の強さに呆れる。


手を伸ばした先に、幹に描かれた転化の魔術式があった。


火の魔法式を発動させれば、たちまち樹の魔力が炎へと添加し、御神木は焼け落ちるだろう。

これだけ近くで炎を上げれば、私はもう助からない。

だけど、ラピスの街の皆を助けることは出来る。


私はそっと、震える手で幹に触れる。

中に生命が脈動しているのが分かった。

これだけ深く魔力に侵食されていても、この樹はまだ生きているんだ。


その時、何故自分がそうしたのかは分からない。


意識が混同して記憶が混ざっていたのかも知れない。

死にかけていて、過去の色んな経験が走馬灯のように蘇ってたのかも知れない。


私が発動した魔術式は、初めて嬉し涙を手にした時の魔法。


「もう一度……美しい姿を…………見せて」



桜の再構築魔法だった。



その瞬間に見た光景は、多分一生忘れることはないと思う。

大きな音を立て、地響きが生じた後に。

視界を染め上げる、大きな大きな桜の大木が生み出されたのだ。


満開の桜の花びらが降り注いでくる。

先ほどまで緑に生い茂っていた枝葉が、次々と花びらに変貌を遂げていった。

世界が美しく染まり、視界一面を美しい桜色が満たしていく。


何が起こったのか分からなかった。

ただ、美しいと思った。


落ちてくる花びらに向かって、私は静かに手をのばす。

すると、その手を誰かが取ってくれた。


セレナだった。


魔力に侵食され、見る影もなくなったあの姿じゃない。

私がよく知る、美しい、白い肌と髪をした、あのセレナが私に向かって微笑んでいた。


セレナ……。


声をかけようと思うも、喉がカラカラに乾いていて声が出ない。

ヒューヒューと言う空気の漏れる音だけが吹き出していた。


「メグちゃん」


セレナは、笑みを浮かべる。

その瞳には、涙が浮かび上がっていた。

彼女の全身が、白い光に包まれている。

精霊特有の反応だった。


全身が光に包まれたセレナの肉体は、やがて指先から、徐々に光の珠へと分解していく。

精霊に戻るんだ。

理に還ろうとしている。

理屈じゃなく感覚で、それが分かった。


「ありがとう、メグちゃん」


セレナは、涙を流しながら微笑んだ。


「もう一度私は、この街に戻れる。ここに居られる。大好きなラピスの街を、見ることが出来る。本当に、ありがとう」


流れた涙は、ポチャリとビンにこぼれ落ちた。


「バイバイ……セレナ……」


私がそう呼びかけた時、すでにセレナの姿はそこになかった。




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