第8節 私を殺して

その日は、冬を感じさせない、よく晴れた穏やかな日だった。

暖かな日差しは、どこか私にフレアばあさんが死んだ日のことを思い出させる。


私達は全ての魔法式構築を終え、市長のカーターさんの立ち会いの元、最後の確認を行っていた。


「一通り大丈夫そうですな。予定通り、街への被害も最小で済むでしょう」

「それじゃあ市長、そろそろ……」

「ええ、人払いは済ませてあります」


街への被害は及ばぬよう結界を張り巡らせ、樹の成長も止めてある。

後は、術式を発動させて燃やすだけだ。


「しかし、数百年と街を守り続けた守り神の末路が、生きたまま燃やされることだとは……。むごたらしいものですな」

「伐採するのだって変わんないでしょ。結局は樹を殺すことなんだし」

「それはそうかも知れません。ただ……樹を切るとは我々にとって、樹に敬意を払う行為でもあるのです。お祓いをし、祈りと感謝を捧げ、そして眠りについていただく。それが、人と樹のあるべき形だと思うのですよ」

「そんなの、ただの自己満足よ……」


祈さんは唇を噛む。

彼女の言葉は、きっと自分自身に言い聞かせているのだろう。

表情から、何となくそれがわかる。


私は知っている。

誰よりも植物を愛しているのは、長年向き合ってきた祈さん自身なのだと。

樹を救えないことを、この中で一番悔いている。

だからこそ、誰もその決定には逆らえないし、逆らわない。


「メグちゃん、大丈夫かい? 随分顔色が悪いようだけれど」

「えっ? あぁ、平気平気。ちょっと寝不足なだけだよ」


私に気づいた市長が声をかけてくる。

我ながら相当ひどい顔をしていたらしい。


ここ最近、私はろくに寝ていなかった。

セレナを助ける方法を調べていたからだ。


魔力汚染された植物を助ける方法でも、理から切り離された精霊を元に戻す方法でも、どちらでも良かった。

何か方法があればセレナを救える。


だけど、残念ながらその方法を見つけることは出来なかった。


セレナの状態は前例がない事象だ。

世界最高の精霊の権威であるクロエが言うのだから間違いないだろう。


それでも、もう少し時間があれば。

何か手立てが分かる可能性だってある。

でも、祈さんは決して待ってはくれない。


きっと、どんな事情があったとしても。

セレナの母体が魔力侵食を受けている以上、それは揺るがないだろう。


祈さんは七賢人だ。

それも、世界をまたにかけ、様々な場所に足を運んでいる。

だからこそ、過去に色んなケースを見てきたはずなのだ。

最短で樹を燃やす選択を変えないのは、そうしないと取り返しにつかないことを知ってるから。

きっと私が知っている以上に凄惨な現場を見てきているに違いない。


一分一秒の判断の遅れが、大勢の人の命を絶ってしまう。

実感は湧いていないけれど、これはきっとそう言う戦いなんだ。


「メグ、そろそろ始めるよ」


考えていると、祈さんが声をかけてきた。

彼女はキョロキョロと、何かを探すように辺りを見渡す。


「それで、例の精霊って言う女の子はどこ? 近くに居るの?」

「そう言えば、姿を見てないな……」

「探して来な。精霊が居なけりゃ理に還せないから」

「あいさ」


こうなったら最後の頼みは、祈さんの精霊還元魔法だ。

祈さん級の魔女が構築した魔術式なら、セレナを理に還すことも出来るかも知れない。

可能性は限りなく低かったが、もはやそれを信じる他なかった。


「セレナ! 出てきなよ!」


結界や魔術式にかかった時間は全部で三日。

昨日までは、私の直ぐ側で、作業を見ていたはずだ。

私が姿を見せると、すぐに近づいてきて姿を見せてくれていた。


何だか、胸騒ぎがした。

私は不安を振り払うように、御神木に向かって駆け出す。


すると、樹の根元で物陰が動くのが分かった。


「セレナ、そんなところに居たの。早くこっちに来な……」


私はそこで、ピタリと足を止める。

そこにあったのは、信じられない――信じたくない光景だった。


「あ、あぁ……メグぢゃ、メグヂャんんん」


美しい白い頭髪は抜け落ち。


「あだ、アダぢ、アダヂ、どうナッで?」


皮膚はボロボロに朽ち。


「メグぢゃん、アダヂ」


顔は奇妙に見にくく歪み。


「メグぢゃん、アダヂ、あだじを、アダじ」


異形と化した、精霊の姿が、そこにあったからだ。


「セ、セレナ……?」


全身の肌が粟立ち、目の前の光景を受け止めることも出来ないまま、私は間抜けに尋ねた。

手が震え、体が極度の緊張に襲われるのがわかる。


セレナは、魔力侵食を受けていた。


一歩、また一歩と。

は、私の元に近づいてくる。


逃げなきゃダメだ。

でも、足が動かない。


「メ、グぢゃん、メグじゃんんん」


セレナの手が、私に触れようとしたその時。


「ホゥ!」


シロフクロウの大きな鳴き声が、私の意識をハッと覚醒させた。

私はかろうじて、その場から一歩二歩、後ろへ下がる。

先程まで私の顔があった場所に、セレナの頭部が空を切った。


私に触れようとしたんじゃない。

私の肉を食いちぎろうとしたんだ。

実体の無いセレナのその行為がどのような影響を及ぼすかは分からない。

それでも、目の前の異形がかつて自分の知った少女でないことを知るには十分だった。


「メグ! 無事!? どこに居んの!?」

「祈さん!」


私は身をひるがえして祈さんの元に駆けだす。

すると、地面が揺れるのが分かった。

一体何が起こっているのか分からない。

視界が揺れ、何だか景色が動いて見える。


「メグ、まずいことになった!」

「一体どうしたんです!?」

「樹の暴走が始まった!」


すると。

ものすごい轟音と共に、地面がえぐれ、まるで大蛇のように蠢く樹の根が姿を見せた。

それは一本や二本ではない。

何百本もの根と共に、先程までただの樹だった神木が、生き物のように動き始めたのだ。


「くそっ! 間に合わなかった!」

「そんな! 結界はちゃんと構築してたのに!」

「破られたのよ! 結界の構築術式を誰かが狂わせたの!」

「誰かって一体誰がですか!?」

「んなもん私が知りたいわよ!」


そこで私の脳裏にハッと浮かび上がる。

そんな事するのは一人しかいない。

セレナだ。


私が魔法術式を構築している間、セレナはずっと近くに居た。

どこに結界を構築しているのか、自分の動きを何が封じているのか。

セレナはきっと、私を通してそれをずっと探っていたんだ。


セレナは魔物だった。

味方のふりをして歩み寄り、そして裏では魔女に仇をなしていた。

信じたくなかったけれど、信じざるを得ない事実がそこにはあった。


目の前の御神木はまるで生き物のように蠢くと、瞬く間に根を広げ、枝葉を成長させていく。

すると辺りにかろうじて残っていた植物たちが、突如として吸いつくされたかのようにしなびていくのが分かった。


「まずいよメグ、あいつ、本格的に種を喰い始めた。一旦退散するよ! あんなの二人じゃ相手に出来ない!」

「そんな……」

「うわぁ! 誰かぁ、助けてぇ!」


叫び声が聞こえて咄嗟に振り返ると、避難していたはずの市長が木の根に足を絡め取られていた。

安全圏に居たはずなのに、私達の想像以上に木の根の侵食が早まっていたのだ。


「ヤバい!」


祈さんがシュッと手を横に一閃すると、手の軌道上にあった木の根が一瞬にして刈られる。

何とか市長は解放されたが、安心するまもなく、次の根が市長を襲おうとしていた。


「ひぃ! 助けてぇ!」

「まったく、手間のかかるおっさんね!」


祈さんは獣のように四足で地面に飛び込むと、そのままものすごい速度で市長の元に駆けていく。

道中の木の根を切り裂きながら走るその姿は、まるで猫のように軽やかだった。


「シロフクロウ! 私らも行くよ!」

「ホウ!」


私がその場から離脱を試みたその時。


メグヂャん……


消え入りそうな声で、私の名を呼ぶ声が聞こえた。

異形と化した御神木の根元で、セレナがこちらを見つめている。


セレナは、血の涙を流しながら私に何か語りかけている。


「おねがぎめぐぢゃん。アダジをごろじで」


お願いメグちゃん。あたしを殺して。

その口元は、確かにそう言っていた。


私はそこで気づく。

セレナは完全に魔物になったわけじゃない。

まだ生きている。

ラピスを守ろうと、戦ってるんだ。


私がセレナから聞いた、ラピスへの想い。

それはきっと、口からのでまかせではなく、彼女の本心だったに違いない。

だから今、セレナは最後の精神力で、必死に抵抗してくれている。


結界術式は破られたが、転化術式は破られていない。

つまり、今なら。


樹を燃やすことが出来る。


それが彼女の望みなら。

それを行うのは、私でなくてはならない気がした。


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