第10話 古き大樹は眠る
第1節 市長からの依頼
その依頼が届いたのは、冬の終わりの穏やかな日だった。
「樹を伐採してほしい?」
私の言葉に、ラピス市長のカーターさんは深刻な顔で頷いた。
ここは私とお師匠様の済む魔女の館。
今朝突然何のアポもなしに訪ねてきた市長は、リビングに案内した途端、そんな話を切り出したのだ。
「街一番の大樹の伐採をね、ファウスト様にお願いしたいんだよ」
「そりゃまたえらい急な話ですなぁ」
私が出したお茶を、カーターさんは「あぁ、どうも」と静かにすする。
仕草は丁寧だが、その様子はすっかりくたびれきったおっさんだ。
こんなクタクタヘナヘナのパスタみたいな大人には絶対にならないようにしよう。
近づく自分の余命を無視して、そのようなことを心に誓う。
「何で樹の伐採をお師匠様に?」
「それがね、切ってほしいのがただの樹じゃないんだ。街の自然公園にある、御神木なんだよ」
「御神木……?」
その名前には覚えがあった。
ラピスの街の老人、フレア婆さんが大切にしていたからだ。
フレア婆さんは昨年の冬の日に亡くなった。
彼女が死ぬ前、一緒に散歩して、自然公園にある御神木を見に行ったことは記憶に新しい。
あの御神木の命がそう長くないことは、私も知ってはいた。
御神木の魔力侵食が進んでいたからだ。
木々としてのバランスが保てなくなっており、枯れるのは時間の問題だった。
でも、まさか伐採なんて言う物騒な話になるとは思ってもみなかった。
どうやら私が思っている以上に、事態は良くない方向に進んでいるらしい。
そんな私の思考を肯定するように、市長は深く深くため息を吐いた。
「御神木の魔力汚染が進んでしまって、奇妙な形に変化しててね。噂だと、魔力に汚染された植物は悪影響を与えるそうじゃないか。このままだと良くないことが起こるかも知れないからって、伐採の話が出たんだけれど、存続派と反対派で随分揉めてね」
どうやら話をまとめるのに相当苦労したらしい。
彼の疲れた顔はそのためか。
「まぁ、確かに魔力汚染された植物は、過度に養分取っちゃったりしますわな。私もそう言う植物は間引きしてる」
ただ、それはあくまで小さな植物での話だ。
あの規模の大樹となると、どんな影響が出るかは予測がつかない。
七賢人の祈さんは、以前「種を喰う」と言っていた。
大きな植物が魔力を集めすぎると、生態系に悪影響があるのだと言う。
「とにかく、ようやく伐採することに決まったんだ。ただ、そこで問題が起こった」
「問題?」
「業者を雇って刃を入れたんだが、これがうんともすんとも言わないんだ。弾かれるっていうのかい? 樹がまるで鋼みたいになってて、伐採どころじゃないんだよ」
「へぇ、そんなことが……」
魔力を過度に吸い取ったせいで樹が変質したのだろう。
力を取り込みすぎて、もはや普通には切れなくなっているのだ。
「それでお師匠様を訪ねたってわけ」
「そう言うこと。それで、ファウスト様は一体どこに……? さっきからお姿がお見えにならないが」
「米国の方に行ってますが」
「えぇ!? 何でまた?」
「何でって、そりゃあ魔法の研究ですよ。ここ最近は星の核に関する仕事でてんてこ舞いでさ。片田舎の御神木を見守る暇なんてないんですよ」
「そんなぁ……。じゃあ、代わりにメグちゃんは?」
「馬鹿なこと言わないでくださいよ。こっちは天下無双の見習いなんすわ」
「胸張って言うことかい?」
「そりゃあ私だって? 一応紛いなりに上級魔法の練習はしていますけどね。それでも、あの規模の大木――しかも魔力汚染されている樹を切るなんて無理ですよ」
「じゃあ追加で魔導師を雇うしかないか……」
市長はガックリと肩を落とす。
そんな彼の方を、私はポンポンと叩いた。
「それがね、この家にいる魔女は一人じゃないんですよね」
「えっ? いつの間に増殖したんだい?」
「口を慎め」
その時、奥から一人の女性が姿を現した。
「ふぁぁあ、よく寝たわ」
のんびりとあくびをするその人物を見て、市長は目を丸くする。
どうしてあなたがここに……そう言いたげな眼差しである。
そう、彼女は状況判断に優れ、植物学にも詳しく、私の魔女道の先駆者たる人物。
「あら、何よ」
あっけらかんと言うその女性は、七賢人の一人、英知の魔女こと祈さんだった。
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