第8節 誇り
炎が鎮火してまもなく、消防車や救急車がやってきて、現場の怪我人たちを助け出してくれた。
状況の引き継ぎなどを行い、ようやく解放される。
戻って来た私達を見て、魔女の皆は大喜びで迎えてくれた。
「ローズさん、本当に無事でよかったわぁ!」
「メグちゃん、よく頑張ったねぇ」
老魔女達が私達を取り囲み、安心して涙まで流している人もいる。
こうまで喜ばれるとなんだかむず痒い。
一通り喜びを分かち合った後、私達が近くの階段で一休みしていると、老魔女の一人が不意に声を掛けてきた。
「メグちゃん、ローズさん、二人に会いたいって人が来てるよ」
「会いたい人?」
見ると、後ろの方に数人の人が立っている。
何事かと私とローズマリーは顔を見合わせた。
「えっと、何か用――」
声をかけようとして、手をガッと掴まれた。
見るとそれは、先程助け出した魔法教室の講師の魔女だった。
ここに居るのは皆、先程助け出した魔法教室の人たちだ。
「あなた達が居なかったら、きっと死んでました。本当にありがとう」
改めてそんな声をかけられ、私はドギマギする。
人にこんなに感謝されるなんて、何だか照れくさい。
困ってローズマリーを見ると、彼女は静かに頷いた。
「えっと、そんな大したことしてないから気にしないでよ! それにほら、火を止めてくれたのはそこのおばあさんだし、そもそも魔法教室の先生が結界を張ってなければ全員焼け死んでたし。私は何もしてないっていうか」
「そんなことないわ、メグ」
声をかけてきたのは、ローズマリーだった。
「目の前の炎にも負けずに飛び込んで、自分の命も顧みず人を助けることを決意した。あなたが居なければ、ここにいる皆は助からなかった」
「ローズマリー……」
私は、皆を見る。
誰もが、生きている喜びを噛み締めて、涙を流していた。
そうだ。
きっとこの光景は、何か一つでも足りなかったら生まれなかったんだ。
私は静かに笑みを浮かべると言った。
「みんな無事で良かった」
騒ぎも収まり、消防車や救急車が引き上げていく頃にはすっかり夕暮れだった。
なんだかなぁなぁになってしまったサバトもお開きにすることになった。
「それじゃあ、ローズさん、メグちゃん、またねぇ」
「長生きしてよ! おばあちゃん!」
「あたしゃ後二百年は生きるよ。ひっひっひ」
他の魔女たちが帰っていく姿を、私とローズマリーは見送る。
夕暮れの空を見つめながら、私はふと気になったことを訪ねた。
「ねぇローズマリー。あの召喚魔法、どうしてもっと早くに撃たなかったの? もっと早い段階で撃ってたら、安全に助けられたかもしれないのに」
「あれはとっても強力な魔法だからねぇ。下手をしたら瓦礫を流しすぎて、ぶつけてしまったり、建物を倒壊させてしまう恐れもあった。ちゃんと助けるべき人の状況が把握できないと、かえって魔法に巻き込んでしまう危険があったの」
「なるほどね」
あの水龍の勢いはまるで鉄砲水のようだった。
もしあの魔法を外から放ったり、あるいはあの廊下で撃っていたとしたら。
押し流した瓦礫が、被災者になだれ込み、大怪我をさせてしまったかもしれない。
魔法は万能じゃない。
でも、沢山の可能性を秘めた、人類の手段の一つだ。
今日はきっと、この偉大な魔女が居なければ、大惨事になっていた。
すると、私たちの他に、残っている魔女がいることに気がついた。
「メグ・ラズベリー」
ゾル家三姉妹の長女アイシャだった。
何だか気まずそうに、照れくさそうに、そこに立っている。
「悔しいけど、今回は私達の負けだわ」
アイシャは静かにそう言った。
「火事が起こった時、私達は何も出来なかった。魔法試合だって、あなたが助けなければ、きっと私は今頃大怪我をしていた。魔女としての心構えも、優しさも、私達はあなたに勝てなかった」
そして彼女は、そっと手を差し出してくる。
「認めるわ、あなたを。そして次は負けないから」
その言葉が何だか嬉しくて。
私は差し出された手を、がっしりと握りしめた。
「こっちだって負けないよ」
三姉妹を見送ると、私とローズマリーだけが残された。
「私達もそろそろ帰りましょうか」
「あ、うん。それじゃあ、ここでお別れだね」
ローズマリーは、じっと私の顔を見る。
何かついているだろうか。
「メグ・ラズベリー。あなたはきっと、世界一の魔女になるわ」
不意に、彼女はそう言った。
「偉大な魔女の資質が、あなたにはある」
「大げさだよ」
「そんなことないわ。あなたの笑顔や行動は、沢山の人を喜びに包む可能性を秘めている。だけど、これだけは忘れないで、メグ。勇敢と無謀は違う。困った時には、周りの人に頼りなさい。一人で出来なくとも、あなたが頼ればそれは可能になる」
「……うん、肝に銘じとく」
私が笑みを浮かべると、ローズマリーは私の手を取った。
「ありがとう、メグ。あなたのおかげで、私は魔女としての誇りを失わずに済んだわ」
そして彼女が浮かべた涙は。
コトリと、瓶の中にこぼれ落ちた。
「ただいま戻りましたー」
すっかり夜になったころ、ようやく私は帰宅した。
帰ってきた私とカーバンクルを、お師匠様と使い魔たちが出迎えてくれる。
「遅かったね。……何だいあんた、その素っ頓狂な髪型は」
「えっ?」
鏡を見ると、私の髪の毛はチリチリに焼け焦げてしまっていた。
そう言えば炎に包まれたんだった。
前髪なんてアフロみたいになっている。
「何じゃこりゃぁぁぁぁ! 通りで帰りの電車でチラチラ見られていると思った! 私の美貌に男どもの目がくらんだものとばかり思ってたのに!」
「鏡見てから物言いな」
「今見てますが?」
「サバトに出て火事に巻き込まれるなんて、つくづく運のない子だね」
やっぱり千里眼で見ていたんだ。
それならそうと、助けに来てくれても良かったのに。
おかげでこっちはもう少しで死にかけたのだ。
私が不服そうな顔を浮かべていることに気づいたのか、お師匠様はふっと笑みを浮かべた。
「メグ、ビンを見てみな」
「えっ? ビン?」
言われるがまま、嬉し涙のビンを取り出し、目玉が飛び出そうになる。
「めちゃくちゃ涙が増えてる!」
朝見た時とは明らかに違う。
メモリにして五ミリくらいは水位が上がっていた。
「全部で五十粒ってとこかい。命をかけた甲斐があったってものじゃないか。メグ・ラズベリー」
そう言えば、今日一日、沢山の人が嬉し涙を流していた気がする。
助かった喜び、無事だった喜び、魔女の誇りを取り戻した喜び。
私はローズマリーの一滴の涙を手にしたと思っていたけれど、実際はもっと沢山の涙が、ここに溢れていたんだ。
「いいかい、メグ。これに満足せず精進しな。そうすれば、これから短期間で。もっと沢山の涙をあんたは手にしていくことになるだろう」
「マジですか!? もっと沢山って……お師匠様は今、一体どこまで視えているんですか?」
私が尋ねるも、お師匠様は「さてね」と肩をすくめた。
どうやら答える気はないらしい。
それでも良いと、私は思う。
私は今回、沢山の魔女と出会うことが出来た。
この世には、まだまだ私の知らない出会いが数多くあり、人の数だけ奇跡や可能性が満ち溢れている。
お師匠様は、今回の経験で、私にそんなことを伝えたかったんじゃないだろうか。
そんな気がする。
だから、私は信じようと思う。
星の核プロジェクトのこと、魔女エルドラのこと、お師匠様の真意。
分からないことはたくさんあるし、そのせいで悩んだり、迷ったりすることもある。
でも、お師匠様のやることには、必ず意味があるんだ。
だから私は、やっぱり信じたい。
私が信じようと思ったお師匠様を、心から。
「さて、それじゃあ晩飯にするよ、メグ。今日は特製シチューだ」
「えっ? お師匠様が作ってくれたんですか!? 珍しい」
「たまには労ってやらないと、どこからの誰かが拗ねちまうからね。着替えてさっさと手伝いな」
いたずらっぽく笑うお師匠様に、私は「はいっ!」と威勢よく返事をした。
今日のシチューは、体と心に染みわたりそうだ。
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