第6節 命の価値
目を覚ますと、私はベッドの上に横たわっていた。
白い天井が私の視界に広がる。
「知らない天井だ……」
ぼやけた意識のなか、どこぞのアニメのセリフを口に出してみる。
すると私の視界に見覚えのある老婆が入り込んできた。
「大丈夫?」
「ローズマリー……」
私はゆっくりと体を起こす。
ズキズキと全身が痛み、思わず顔を歪めた。
慌ててローズマリーが私の体を支える。
いつの間にかカーバンクルも、私の顔をペロペロと舐めていた。
「まだ無理しちゃダメよ。一応治癒魔法はかけてあるけど、完全じゃないから」
「どうなったんだっけ。ここは?」
「医務室よ。メグが気絶してしまったから、ここに運んだの」
「そっか、確か落ちてきたアイシャにぶつかったんだっけ。それで、アイシャは?」
「あなたが下敷きになってくれたから無事だったわ。今は他のみんなと一緒に、サバトを続けているはず」
「そりゃ良かった」
対立した仲ではあるが、それでも万が一の事があったら目覚めが悪い。
それに、ゾル家三姉妹が口だけじゃないのは良くわかった。
あれだけの連携魔法を使える魔女は、そういない。
彼女たちがこれまで魔法に真摯に向き合ってきた事が、試合を通じてよく伝わって来たのだ。
だから、憎いとか、バカにしたいという気持ちは無かった。
試合……?
「そうだ! 試合! 試合はどうなったの? 勝敗は?」
するとローズマリーは静かに首を振る。
「あなたが倒れて、掛かっていた魔法も解けてしまったからね。勝負はあっちの勝ちって言うことになったわ」
「そっか、そりゃそうだよね……。気絶しちゃったら訳ないか」
不思議と、悔しいという感情は無かった。
やるだけの事はやったし、自分の実力が足りていなかったのが悪いのだ。
だから、今はただ結果を受け止めねばならない。
とは言え。
これでサバトの状況改善は失敗に終わったわけだ。
「メグは、どうしてあの時逃げなかったの?」
不意に、ローズマリーが私に尋ねる。
「あの時、あなたなら身をかわして衝突を避ける事も出来たはずだよ。跳躍魔法を掛けていたんでしょう?」
「だって、アイシャが頭から落ちて来てたから。私が避けてたらどうなるかわからんし」
「アイシャが大怪我したら勝負も勝てたし、色んなことが上手くいったかもしれないのに?」
「そんなん、上手くいっても全然嬉しくないじゃん。助けなかった事がずっと引っかかって、罪悪感だけが残ると思う。外出した時にストーブ消したか分かんなくなるようなもん。何やっても気がかりだし、楽しめない。それが一生続くんだ。最悪だよ」
私が言うと、ローズマリーは「そう……」と静かに、しかしどこか満足そうに頷いた。
「良かったわ」
「何が?」
「勝負には負けてしまったけれど、誰にも大きな怪我がなくて」
「そうだね」
「きっと、メグが咄嗟に掛けた肉体強化の魔法が役に立ったのね」
「肉体強化の魔法……?」
おかしい。
確かにあの時、私は咄嗟に自分に強化魔法をかけようとした。
でも、間に合わなかったはずだ。
詠唱を四節も唱えない内にアイシャがぶつかってきたから。
一体どうなってんだ。
不思議に思っていると、不意にズンッと建物全体が大きく揺れた。
何事かと身構える間も無く、続けてジリリリリという耳をつんざくようなベルが鳴り響く。
突然の事にカーバンクルはビックリして跳ね上がり、私はとローズマリーは驚いて目を見合わせる。
「何事!?」
「地震じゃなさそうだけれど……どうしたのかしら」
「これって、非常ベルだよね?」
私が尋ねるのと、医務室のドアが開いて一人の老魔女が飛び込んでくるのはほぼ同時だった。
「大変だよ! ローズさん! 火事だ! 避難指示が出てる!」
「えぇっ!?」
慌てて医務室を飛び出た私達の視界に入ったのは、窓越しに見える火の手が上がった上階層の様子だった。
煌々と燃えた炎が窓から顔を見せており、黒い煙が上がっている。
今はまだ距離があるが、かなり火の勢いが強い。
うかうかしていると私達のいる一階まですぐに到達しそうだ。
「上の階でやってた魔法教室で事故だよ。不用意に唱えた火の魔法が失敗して燃え広がったんだ」
「何で? 館内は魔法事故を防ぐ結界が張られてるはずでしょ!?」
私が尋ねると、「たぶん、結界が張ってない区画で魔法が発動してしまったんだね」とローズマリーが捕捉した。
「演習場は結界があるけれど、館内は一部だけ。流石に全域には及んでいないから」
「そんな……」
話していると、廊下の向こう側からサバトの参加者達が姿を現した。
皆もこちらに気がついたのか、駆け寄ってきてくれる。
その中にはゾル家の三姉妹の姿もあった。
長女のアイシャは私の顔を見ると、気まずそうに顔を逸らす。
「あぁ、みんな。良かった、無事だったのね」
そんなアイシャの様子を知ってか知らずか、ローズマリーは聖母のような安堵の笑みを浮かべた。
しかし私には気になることがあった。
「ねぇ、事故があったって言う魔法教室の人たちは?」
すると、皆が困惑したように顔を見合わせ、首を振った。
「火の手が強いからアタシ達も助けられなくてね。ここもうかうかしてるとあっという間に火に囲まれちまう」
「それじゃあ見殺しって事!? これだけ魔女がいるのに」
私が叫ぶと「無茶だよ」とアイシャが口を開いた。
「魔力で強化された火は並大抵の魔法じゃ鎮火出来ない。火事だけじゃない。過去に災害から人命救助をしようとした魔導師が、危険な目に遭ったり死亡するような二次災害は少なくないわ。魔法は万能じゃないから」
それは私だって知ってる。
でも、このまま何もしないでおいていいのか。
歯がゆさが、私の心を満たす。
消防署への連絡はしているのだろうけれど、まだ到着する気配はない。
考えている猶予は、残されていなかった。
「ローズマリー、カーバンクルを預かってて」
「メグ、一人で行く気かい……?」
彼女の言葉に、私は頷いた。
「危険だわ」
「でも、このままじゃ間に合わなくなる」
「さっきのアイシャの話を聞いたでしょう? ミイラ取りがミイラになる事だってあるんだよ」
「それでもいい」
私は視線を逸らすことなく、ローズマリーを見つめた。
「何もしないまま後悔するのは嫌なんだ」
余命一年を宣告されてからずっと、私は自分のやれる事をただ必死でやり続けていた。
もし私が命の種を生み出せなくて、死ぬことになったとしても。
やり残したことや、中途半端な事は、きっと大きな後悔になってしまう。
そんなのは嫌だった。
ちゃんとやり切ったって満足して、納得出来る自分でありたい。
例え、その途中で死んでしまったとしても。
「あなたはやっぱり、ここで進める魔女なんだね……」
噛み締めるようにローズマリーは呟くと、静かに顔を上げた。
「それなら、私も一緒に行くわ」
ローズマリーの言葉に、私は耳を疑った。
その場に居た誰もが驚きの表情を浮かべる。
「私も一緒に皆を助けに行く。誰も死なせはしないよ。ロンドの魔女の名にかけてね」
「本気で言ってるの? 無茶だよ。建物が崩れたり、火に囲まれるかもしれない。私はこう見えても運動能力高いから、私に任せてよ」
「そうだよローズさん、危ないよ」
「メグちゃんの言うことを聞いたほうが良いんじゃないかい?」
しかしそれでも、ローズマリーは首を振った。
「メグ、あなたも無茶を承知の上で言ってるんでしょう?」
「そりゃそうだけど……ローズマリーまで危ない目に遭ったら、私、どうしたらいいのか……」
「大丈夫だよ。こう見えてまだまだ現役なんだから。そう簡単に火に飲まれたりなんかしないよ」
「そう言っても……」
止めようとして、私はふと言葉を飲み込んだ。
ローズマリーの瞳の奥に、今まで見たことのないような光が宿っていたからだ。
「何か、考えがあるの?」
気がつけば、そう訪ねていた。
ローズマリーは、いつもの笑みをにっこり浮かべて、静かに頷く。
その風格は、中央都市を統べる大魔導師そのものだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます