第6節 父が狂者に至るまで
ようやく電車を降り、休む間もなく私はテッドを追いかけた。
見失わないよう、限りなく接近することにする。
どの道この人混みだ、万一見つかったとしても怪しまれることはないだろう。
視認したテッドからは、以前会った時のような嫌な感覚はしない。
きっと以前は、私が迂闊に烙印に触ってしまったのがよくなかったのだろう。
悪魔の気配を如実に感じ取れるよう感化されてしまったのだ。
日付が経って感覚が正常に戻った今だからこそ、ここまで近づくことが出来る。
ドブネズミやゴキブリですら平気で鷲掴み出来るこの私が一目散に逃げ出すほど、悪魔の気配は底が見えず恐ろしい。
何と言うか、恐怖という感情そのものに根源から包み込まれるような、染められる感覚がした。
テッドが会社に入るのを見届けると、私はカーバンクルに向き直る。
「良い? 私はここまでしか入れないから、後はお前がやるんだよ?」
「キュイ」
「良い子」
私はカーバンクルの頭を撫でると、魔法をかけた。
指先で魔法を構築するのは光が出るので目立つ。
ここは呪文を使うしかない。
「
するとカーバンクルの姿が小型のネズミへと変化していった。
早速指示を出したいところだが、それ以上に私の中に感動に近い感覚が溢れ出ていた。
一体何故か。
「うそ……六節で行けた」
本来なら十二節かかるはずの魔法構築が、半分の六節で発動したからだ。
そうか。アウトプットとインプットだ。
魔法の仕組みや魔力の流れを明確にイメージして、表に出す練習を私は重ねていた。
だから、理解の深い魔法になればなるほど、私の中で魔法式を構築することが出来るんだ。
だから術式を短縮出来た。
言葉で言うのは簡単だが、これはすごいことである。
普通の魔女が一節魔法を短縮するのに、十年はかかるという。
ここに来て一気に六節も呪文を短縮出来たのは、驚くべきことなのだ。
魔法の修行は確かに形になっている。
この数ヶ月は、私を急速的に進歩させている。
「チュウ……」
ネズミと化したカーバンクルに頬を撫でられハッとした。
浸っている場合じゃない。
「急がんと」
私はカーバンクルに視覚共有の魔法をかけると、「行っておいで」と建物に解き放った。
本来ならこのまま家に帰ってしまっても良かったかも知れない。
でも私の魔法は未熟だから、あまり距離を開きすぎると視覚共有ができない。
だからカーバンクルがテッドを尾行する間、私は近くのカフェで待機して様子を見守るのだ。
「どれどれ」
カーバンクルの視覚越しに、社内のテッドの様子が見て取れる。
社内のテッドは愛想が良く、働き者な人だった。
とても娘を悪魔信仰に捧げる人には見えない。
ふと油断すると彼が悪魔契約者だと忘れそうになるくらいだ。
ただ。
「ちょっと窓際な感じはするかな」
愛想が良くて、働き者だけれど、どこか空回りしている感じ。
みんな普通に接しているように見えて、一歩引いている。
心なしか上司の当たりも強い気がした。
テッドは事業で失敗したと、フィーネは言っていた。
とすると、以前は自営業で、会社に勤め出したのは最近か。
そして、会社では馴染みきれずに、仕事でも成果が出ていない。
朝起きて、満員電車に乗って、会社では少し浮いていて。
でも家に帰ったら、優しい奥さんと可愛い愛娘が待っている。
「それじゃあダメなのかな……」
何時間か経った。
店を点々としながら、様子を見守っていた私だったが、日が傾き始めた頃に、私はカーバンクルやシロフクロウと落ち合うことにした。
「ご苦労様、カーバンクル。シロフクロウも、偵察ありがとね」
「キュイ」
「ホゥ」
とうとうテッドに怪しいポイントは見つけられなかった。
会社でのテッドに、不審な点はない。
それが私の出した結論だ。
そろそろ夕刻だ。
あとは会社から帰宅するテッドを尾行して、どこかに立ち寄る素振りがなければ、祭壇は彼の家にあるということになる。
そう思っていると、不意に「おや」と背後から声を掛けられた。
聞き覚えのある声に、ギクリと体が緊張する。
立っていたのは、テッドだった。
「君は確か、ファウスト様のところの……」
「いやぁふひははは。メグ・ラズベリーです。奇遇ですなぁ、こんなところで」
「どうしてここに?」
「お師匠様の言いつけでちょっと。メアリのパパさんこそ、お仕事ですかな?」
「あぁ、職場が近くなんだ。僕はもう帰るんだけど、良かったら一緒にどうだい?」
「はい、ぜひ」
良かった。上手くごまかせた。
それに相手から誘ってくるなんて、渡りに船だ。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。
ここはこのまま一緒に帰るのが最善手か。
行きと違って帰りの電車はあまり混んでいなかった。
帰宅ラッシュの時間からは、少しズレているらしい。
「いっつもこの時間までお仕事なんですか?」
「あぁ。まだ入り立てで慣れていなくてね。今日は少し早いくらいかな」
「入りたて?」
「うん。以前までは自分でWEBサイト運営の会社を興していたんだけどね。上手く軌道に乗らなくて。それで、サラリーマンになったんだよ。営業だから、あまり向いていない仕事だけれど……妻と子供を食べさせていくのに、手段は選んでいられないからね」
「一家の大黒柱も大変ですなぁ」
テッドの表情からは、どこか疲れのようなものが感じられる。
一日の終わりで、くたびれ果てているのが見て取れた。
「でも、私なんかと一緒にいて良いんですか? 会社員なら、会社の付き合いで飲みとかあるんでしょ?」
「なくはないけど、いつもまっすぐ帰ることにしているんだ。ジル――妻が僕のためにご飯を作ってくれているし、メアリも三人でご飯を食べるのを楽しみにしてくれているからね」
「家族思いですね」
今日一日彼を尾行してわかったことがある。
テッドは、悪魔に生贄を捧げる人にはとても見えないと言うことだ。
仕事ではパッとしないけれど、家族を愛して頑張っているサラリーマン。
それが、私の抱いたテッドの印象だ。
これまでのことはただの見間違いで、自分が何か悪い夢でも見てしまって、現実と夢を混同しているのではないだろうか。
それほどまでに、私の確証は揺らいでいた。
だからだろう。
彼と話すうちに、私の警戒心はすっかり和らいでしまっていた。
「いやぁ、私も今日始めて通勤ラッシュの電車に乗りましたけど、マジで地獄すね」
「無理もない。慣れていても辛いよ。僕も毎日、会社に行くだけでクタクタさ」
「大変ですね、家庭のパパは」
「まぁ、もう少しの辛抱だから」
「もう少し? どうしてですか?」
私が首を傾げると、テッドは静かに笑みを浮かべた。
「あぁ、会社を辞めようと思っているんだよ。実はさっき言っていたWEB会社、まだ畳んでいなくてね。大型案件がもうすぐ入ってくるんだ。そうなったら、当面食べていく目処が立ちそうでね」
「へぇ、それはめでたい。今度は上手くいくと良いですね」
その時。
先ほどはまるで感じられなかった不気味な気配が、彼の表情に浮かぶのがわかった。
「あぁ」
テッドの目は、全く笑っていない。
「今度はきっと上手くいくよ。何せ、知恵が手に入るんだから」
そこで、私は気づいた。
自分がさっきまで見ていたテッドの顔は、ただの仮面だったということに。
これが、彼の本当の顔。
「絶対に失敗しない、最高の知恵が」
その不気味な笑顔は悪魔そのものだった
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