第7節 十三の日
悪魔は人に語りかける、とはお師匠様が言っていたんだったか。
あのテッドの表情は、まさしく悪魔に憑かれた表情そのものだった。
人が被っている仮面は、簡単に剥がれる。
それはテッドだけじゃない。
多分、きっと、誰もが危うい橋の上を歩きながら、毎日を過ごしてるんだ。
だから何かあった時、人の心は簡単に壊れる。
常人は、狂人に変わる。
そんな当たり前のことに、今更私は気づいてしまった。
そして、十三の日が来た。
もし、テッドが悪魔に生贄を捧げるとしたら、間違いなく今日しかない。
私は、静かに決意をする。
「いい? 私は今から出てくるけど、お前たちはお留守番だから」
私が言うも、何だかシロフクロウとカーバンクルは納得できない様子だった。
私より頭が良いと言う(お師匠様談)シロフクロウはともかくとして、普段従順なカーバンクルまで私に逆らうとは珍しい。
二匹とも、何だか訝しげな表情を浮かべているように見える。
「そんな顔してもダメ! お前たちはここに居て、私の帰りを待つの! それで、私に何かあったら……」
私の言葉に、二匹の使い魔が顔を見合わせる。
つい弱音がこぼれ出てしまった。
私はそこで首を振った。
昔からポジティブモンスターと呼ばれた私である。
そう、弱音などと言うネガティブな感情は要らんのだ。らしくない。
「何でもない。とにかく、お前たちはここで待機!」
「ホゥホゥ」
「キュウキュウ」
「だぁぁ! たまには主人を信用なさいよ! もう!」
使い魔二匹をおいて無理やり家を出る。
そうだ。
これは私が成し遂げなければ行けないのだ。
他の誰でもなく、私自身が。
その日は朝から曇っていた。
雪でも降りそうな、あるいは雨でも降りそうな。
とにかく油断すればすぐにでも荒れそうな気配がする、薄暗い天気だ。
ピンポーン。
私がインターホンを鳴らして間もなく。
「どちら様ですかぁ?」と顔を出したのは、メアリだった。
「あれ? メグちゃんだ! どうしたの?」
ドアを開けたメアリは、私の顔を見て驚いたように目を丸くする。
その様子に、私は少しだけ照れて頭を掻いた。
「いやさ、フィーネからメアリがこの辺りに住んでるって聞いて。近くまで来たから、ちょっと挨拶でもって。これ手土産」
私がローズマリーのクッキーを差し出すと「うわぁ!」とメアリが目を輝かせる。
「ありがとうメグちゃん! 上がっていって!」
「そのつもり。実はお茶葉も持ってきてんだ」
「やったぁ! ママ、パパ! メグちゃんが遊びに来てくれた!」
「お邪魔します」
何の疑いもなく、メアリは私を迎え入れてくれる。
手を引かれるようにしてリビングに入ると、メアリの母のジルさんと、父親のテッドが私を出迎えてくれた。
「おや、メグさんじゃないか。この間はどうも」
「あははは、すいません、せっかくの休日なのに朝から押しかけちゃって」
ジルさんもテッドも、急に来た私を疑うこともなく出迎えてくれる。
こうして見ると、本当に幸せそうな家庭に見えた。
烙印が見えていなければ、この家族に何の違和感も抱かなかっただろう。
だけど今日は油断しちゃダメだ。
適当にお土産の説明をしながらも、魔力の気配をたどることを忘れてはいけない。
今のところ、以前のような不気味な気配は感じられない。
どうやらまだ儀式の準備は進めていないらしい。
いつ頃決行する予定なのかは知らないが、それまでに祭壇を見つけないと。
きっと、この家にあるはずだ。
「これちょっとしたお土産です」
私が持ってきた茶葉を差し出すと、ジルさんの表情が輝いた。
「あら、美味しそうな茶葉とクッキー」
「私の特製です。庭で取れた葉を乾燥発酵させて作ったんです。香りも良くて美味しいですよ」
「へぇ、すごい」
「ねぇママ。私、クッキー食べたい!」
「じゃあせっかくだしみんなで頂きましょう」
「あ、手伝いまっす」
手際良くお茶の準備を整え、カップに注ぎ、クッキーを皿に並べてテーブルを囲む。
運ばれてきた紅茶を見て、テッドは穏やかな表情を浮かべた。
「いい香りだね。美味そうだ」
「どうぞご賞味あれ」
「いただきます!」
私が言うと、三人は何の疑いもなく紅茶に口をつけた。
それを見て、私も紅茶を飲む。
上手く行った。
五分後。
リビングからは、静かな三つの寝息がしている。
紅茶を飲んでいた私は、三人が起きないことを確認すると、静かに立ち上がった。
私が三人に飲ませたお茶は、魔法を掛けた特殊な茶葉を使用している。
使ったのは眠りの魔法だ。
あれを一度飲むと、魔力耐性がない人は一、二時間は起きてこないだろう。
本来ならそんなことしたくなかった。
でもそうまでしないと、この家で祭壇を見つけるのは難しいことに思えた。
後で然るべき罰は受ける。でも、人の命がかかっているんだ。
私だって、もう手段は選んでいられない。
一つ一つ、メアリの家の部屋を見て回る。
三人暮らしにしては立派な一軒家で、二階建ての家内は妙に広く感じた。
鍵の掛かった部屋とか、怪しい祭壇が祀られた部屋とか、色々期待して回ったが、それらしいものは見つからない。
子供部屋、夫婦の寝室、物置、色々あるが、怪しい場所はなかった。
いい加減一通り巡って、最後の一番奥の部屋に私は足を踏み入れた。
静かにドアを開くと、独特の匂いしてくる。
その匂いには覚えがあった。本の香りだ。
「書斎か……」
最後の部屋には、おそらくテッドが集めたであろう大量の本棚が並んでいた。
何百……ひょっとしたら何千冊はあるかも知れない。
綺麗に整頓された本棚が部屋中を図書館のように埋め尽くしており、私はその部屋に、どこか懐かしさのようなものを抱いた。
お師匠様の部屋と雰囲気が似ているのだ。
部屋に入り込むと、まるで本が音を吸っているかのように静寂に包まれる。
本棚は手前と奥側の二重構造になっているらしく、スライド式で手前の本棚を動かせるようになっていた。
かなり手が混んでいる。
シンとした部屋は妙に空気が張り詰めていて、何だか緊張感があった。
広い部屋だったが、それでも家庭にある書斎なんてたかが知れていて、一分程度で全体を見て回ることが出来る。
いずれにせよ、目的の祭壇らしきものは見当たらない。
「怪しいと思ったんだけどなぁ」
私はそっとため息をつくと、部屋の奥側にあった椅子に座った。
付属している机の上には小さなライトがあり、いつもはここで本を読んでいるであろうということが伝わってくる。
何気なくボーッと部屋を見渡していると、不意にあるものが目に入った。
五芒星だ。
本の背中に、五芒星が書かれた本が一冊、本棚に並んでいた。
いや、正確に言うとそれは五芒星ではない。
逆向きの……逆五芒星だった。
――ペンダントみたいなのは今だにつけているの、この間見たなぁ。
――ペンダント?
――うん。なんかシルバーで出来た五芒星みたいなの。良い年した大人がつけるアクセサリーじゃないよね。
私はフィーネの言葉を思い出す。
そうだ。
五芒星は今でも魔法で使われるからそこまでピンと来ていなかった。
でも逆五芒星は違う。
悪魔信仰は逆五芒星を象徴としている。
この本は、きっと悪魔信仰に関する本に違いない。
私は立ち上がると、そっと本を手に取った。
すると、どこからかカチリとスイッチを入れたかのような音が鳴るのが分かった。
不思議に思っていると、さっきまでビクともしなかった本棚が、突如としてスライド出来るようになっていることに気がつく。
「ここもスライド式だったんだ……」
私が動かした本が、留め具を外す役割を担っていたらしい。
荷重式のスイッチがそこに配置されていたのだろう。
本を動かすと、押されていたスイッチが外れて、それが留め具と連動していると言うわけだ。
ゆっくりと本棚をスライドさせると、そこにあったのは本棚ではなかった。
あったのは、地下に続く階段だった。
薄暗くて、部屋の電気をつけないと先が見えない、不気味な階段。
今日は天気が悪くて外明かりが入り込まないから、余計にだ。
私が階段を前に息を飲んでいると、不意に辺りの風が地下に向けて流れるのが分かった。
空気を吸っている。
人を招いている。
そんな気がした。
「この先に……」
私が静かにつぶやいた、その時。
不意に背後からガタリと音がした気がした。
何事かと振り返るその前に、突如として後頭部に鈍い衝撃が走る。
意識が途絶える直前、私が見たのは、不気味な笑みを浮かべたテッドだった。
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