第19節 そしてまたいつもの日々へ

「ほんっとうにありがとうございました!」


祭りが終わった次の日。

我が家に市長のカーターさんが訪ねて来た。

ドアを開けた早々、開口一番にカーターさんは九十度の深々としたお辞儀をしてくる。


「ソフィさんが来てくださったおかげで今年は集客も大幅アップ! 各メディアにも取り上げて頂けて、来年も異界祭りが盛り上がってくれそうです!」

「そう。良かった」

「そうだね。私も今年はどうなるかと冷や冷やしたもんだが、ソフィが来てくれて助かったよ」

「ええ、本当に……」


カーターさんはそう言うと、私の方に視線を向ける。


「あの……それで、メグちゃんは一体どうしたんですか? あれ」


私はリビングにあるソファに横たわっていた。

体がスライムのようにグニャグニャになり、全く力が入らない。

力が出ないのもあるし、気力も限界まで削がれていた。


そんな私の様子を、ソフィとお師匠様は紅茶を飲みながら冷ややかな目で見つめてくる。


「なぁに、自分の限界も測らず魔法を使いすぎた哀れな魔女の末路だよ。開門の時と同じことを繰り返してるのさ。我が弟子ながら、情けないねぇ」

「ズベリーは愚か。だから同じミスを何度もする」

「うわーん! 全然身体に力が入らないんじゃー!」

「あははは……何だか大変そうですなぁ」


魔法を使いすぎるとこうなるらしい。

開門の時は鼻血が出てふらついたりしたが、今回はまた症状が違う。

どうやら使う魔法が違うだけで、出る症状も違うようだった。

厄介なものだ。


私がグニャグニャにヘタっているとソフィがやって来て私の額をコツンと小突く。


「やめなされ……」

「面白い」

「やめなはれ!」

「無抵抗の人間をいたぶるほど楽しいものはない」

「アカンて! お嬢はんアカンて! うわーん! お師匠様、助けてよ!」

「自分の修行不足を呪いな」


お師匠様はそう言うと、そっと市長に視線を向ける。


「それで、カーター。今日はどうしたんだい?」

「えっ、いや、私は先日のお礼にと……」

「それだけじゃないだろう。千里眼の魔女を舐めるんじゃないよ」

「いや……はは、かないませんなぁ、ファウスト様には」


突然始まった問答に、私とソフィは顔を見合わせる。

すると、カーターさんは胸元から一枚の紙を取り出す。

普通の紙ではない。動物の皮を使った……いわゆる羊皮紙だ。


「役所の特務課に一件、申請がありまして」

「“契約”か。珍しいね、今年は」



『契約』



お師匠様は確かにそう言った。

その瞬間、私とソフィは事情を察する。


異界祭りが終わると、通常全ての異界の住民はへと帰っていく。

そうしないと、数日間で体を保つことが出来なくなり、消えてしまうのだ。


正確には、と言った方が正しい。


異界の住民は本来この世界には存在しないはずの異端イレギュラーだ。

だからこそ、世界を結ぶ門が消えてしまうと、その存在は世界に……ことわりに認められない。


理が認めない存在は消える運命にある。

徐々に存在感が消え、認識をされなくなり、やがて世界に干渉出来なくなる。

生きながらにして、幽霊みたいな状態になってしまうのだ。

物質にも触れられないので大抵はそのまま餓死し、死ねないなら永遠に世界をさ迷うことになる。


異界の住民は異世界に干渉するすべを保たない。

だからこそ、年に一度の異界祭りにこの世界に来るし、祭りが終わると自分の世界へと帰っていく。


しかし、時にこちらの世界に留まりたがる者が居る。

そうした者たちに結ばせるのが『契約』だ。


悪さをしないよう、行動と範囲を魔法で制限をし、その体にかせを課す。

そうすることで、こちらの世界のルールを守らせ、同時にことわりに存在を認めさせ、こちらの世界に留まる力を与えるのだ。




「実は街の娘さんが、あちらの方と恋仲になったそうで。お相手と二人で暮らしたいと。それで、パレードの件もありましたし、ご挨拶もかねて持って来させて頂いたんです」


私はすぐに気がついた。

マリーさんと、ウーフ君のことだ。

彼とマリーさんは、この世界で二人で暮らすことを望んだのだ。


そんな私の思考を読んだかの様に、お師匠様は私に視線を向ける。


「メグ、どうする?」

「えっ?」

「二人のこと、お前が一枚噛んでるんだろう。心当たりがあるんじゃないのかい」

「えっと、一応……」


すると、何かに納得したかの様に市長は「ああ、だからですね」と声を出した。


「お礼を言いたいので直接お伺いしたいとご希望なさっていたそうで。なんのこっちゃと思っていたのですが……お連れした方がよかったですかね」

「来ようが来まいが、私らのやることに変わりはないさ。二人の合意があれば『契約』を結ぶのは難しくない。でも、適当にくっついちまったカップルが、すぐに『契約』を破棄したいと泣きついてくる……なんて事例もあるからね。ホイホイと結ぶわけにも行かないのさ。契約期間もあるし、最低一年はこっちの世界に居てもらう。ある程度でも、覚悟はいるんだよ。その覚悟が、二人にあると思うかい?」


お師匠様の言葉に私が答えようと思ったその時。


「大丈夫」


そう言ったのは、ソフィだった。


「その二人なら大丈夫。私が保証する」

「ソフィ……」


ソフィの視線は、決してお師匠様から逸れることはない。

お師匠様はしばらく何かを確かめるようにソフィを見つめる。

室内に緊張が満ち、市長があたふたするのがわかった。


そして、しばらくして……お師匠様は不意にふっと笑みを浮かべたかと思うと。


「あんたが言うなら大丈夫だね」


と、緩やかに表情を崩したのだ。


「それじゃあ、契約を結ぼうじゃないか。見届人は――」

「私がやる」


ソフィが立ち上がる。


「私にやらしてほしい」

「ふぅん、ソフィがそう言うのは珍しいね。お前もこの二人に思い入れがあるのかい?」

「別に。ただ、何となく気が向いただけ」

「なるほどね。お前が見届人なら、二人も喜ぶだろうさ。構わないが、良いのかい?」

「良い」

「それなら、任せようじゃないか」


私が呆然としているのを尻目に、ソフィはサラサラと契約術式を羊皮紙に描くと、近くのナイフで指を切り、そこに血の契約印を押した。


「我が名の元に ここへ契約を結ぶ」


その呪文は、この世に新たな住民を迎え入れる。




「それじゃあ」


市長が帰ってほどなくして、ソフィも次の仕事があるため中央都市に発つことになった。

また新たなパレードの仕事があるらしい。

私の体力もようやく回復して、お師匠様と共にソフィを見送る。


「世話になったね。助かったよ」

「またいつでも遊びに来てよ。美味い茶菓子用意しとくからさ」

「楽しみにしておく」


私はそこで、一つ思い出したことがあり「ソフィ」と声をかけた。


「最後に一つ聞きたいことがあるんだけど」

「何」

「どうして見届人になろうと思ったの?」


するとソフィはキョトンとした様子で、私の顔を見つめてくる。


「どうして?」

「あんまりそう言うお節介をするタイプじゃないじゃん」

「それは……ズベリーのせい」

「私の?」

「魔法に感謝してるズベリーと同じことをすれば、私も魔法が好きになるかなと思った。それで、魔法で人を助けてみた」


そんなソフィは、最初に出会った時とは印象がまるで違う。

彼女は、変わろうとしている。

少しずつ、歩み寄ろうとしてる。

自分の過去と向き合って。

それが分かった。


「好きになった? 魔法」

「全然。面倒くさい。魔法は嫌い」


「でも」とソフィは続ける。


「もう魔法を消したいとは思わない」

「どうして?」

「友達との絆だから」


その瞳は真っ直ぐ私を捉えていた。


「ズベリー、私とも一つ契約をしてほしい」

「契約?」

「私が良いと言うまで、絶対に死ぬことは許さない。死んだら殺す」

「理不尽だ……」


何だか前にも七賢人の祈さんに似たようなことを言われた気がする。

賢人は皆、同じような思考回路をしてるのだろうか。


でも、まぁ。


「そのつもりだよ、私はね」



ソフィの背中が見えなくなった後「行っちまったね」とお師匠様は言った。


「あの子に必要なのは、理解ある大人でも、先導者でもなくて、同じ年の友達だったのかもしれないね」

「お師匠様がソフィを代理人にしたのって、ひょっとしてそれが理由なんですか?」

「さて、どうだろうね」


上手くはぐらかされる。

相変わらず食えない人だ。

そう思っていると「そう言えばあの狼男だけどね」とウーフ君の話を持ち出された。


「花火職人になるそうだよ」

「花火職人?」

「あっちの世界では元々花火職人をしてたんだとさ。それでここに花火を見に来てたんだ。先代がなくなった今、後を継ぐ決心をしたそうだよ」

「へぇ……」


そこで私はポケットからビンを取り出す。

少しだけ量の増えた、涙の小ビン。


「色んな縁が回るもんだなぁ」

「何だいあんた、今回それっぽっちしか集まってないのかい」

「えっ?」

「千粒集めるって意気込んでたじゃないか」

「あ、そうじゃん! あー、もう! 全然集まってへんやん!」


計画では余裕で千粒集まるはずだったのに。

どうしたものかと思っていると、励ますようにポンと肩を叩かれた。


「来年も花火が上がるんだ、それだけでお前にしちゃ上出来だよ」


そして「こういうのも悪くないもんだね」とお師匠様はどこか嬉しそうに笑うのだった。

その愉快そうな顔を見ていると、何だか色んなことがどうでも良くなってくる。


「それじゃあ買い物頼んだよ、メグ」

「買い物? 別に良いですけど、どうしてこのタイミングで?」

「どうせ新しい街の住民に会いに行くんだろう? あの二人に」


すっかり思考を読まれていた。

やっぱりこの人にはかないそうもない。


「それじゃあ、焼き菓子でも持って行ってきますか」


祭典は終わり、また街に日常はやって来る。

当たり前の日々なのかもしれない。

でも少しだけ変わったこともあった。


魔法が嫌いだった少女は、少しだけ魔法を受け入れてくれた。

私は、ずっと憧れていた世界的有名人と友達になった。


私は、強く深く思い描いてしまうのだ。

来年の異界祭りの光景を。

その中に、自分がいる情景を。


私は再び日常に帰っていく。

少しだけ、生きる決意を新たに。

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