第7節 よく晴れた穏やかな日に彼女は

その日、目が覚めたカーバンクルは、主の不在にすぐに気がついた。


「キュイ?」


声を出すも、姿はない。

友人であるシロフクロウの姿も、そこにはなかった。


「キュウキュウ……」

「あらあら、どうしたの?」


声を出していると一緒に寝ていたフレアばあさんが目を覚ます。

彼女は寂しそうに鳴くカーバンクルを、優しく抱きしめた。


「メグちゃんがいないの? どうしたのかしら」


二人は私の姿を探す。

お風呂にも、洗面所にも、トイレにも居ない。

すると、外からカタリと物音がした。

カーバンクルとフレアばあさんは顔を見合わせ、静かに玄関のドアを開く。


「おお、今日は寒いねぇ」

「キュウ……」


刺すような外気が全身を一気に包んだ。

吐く息を白く染め上げ見渡すも、そこに私の姿はない。


すると、どこからか鳥の羽ばたく音がした。

だが、少し異様だ。

鳥が羽ばたくにしては、その音はから。


「フレアばあさーん!」

「メグちゃん……?」


フレアばあさんとカーバンクルは空を見上げる。

そこで見た光景に、二人は思わず息を呑んだ。



四人の人を乗せた巨大なシロフクロウが、そこにいたのだから。



「久しぶりの帰省だよー」


私が手を振ると、「うわぁ、おばあちゃんだ!」と孫娘が楽しそうに顔を出す。

階下で、あっけにとられたフレアばあさんとカーバンクルが目を丸くしていた。


「ほら、エドも挨拶しなって!」

「あ、はは……母さん、ただいま」


フクロウの背中から手を振る息子家族を見て、フレアばあさんは「お帰り」と静かに声を出した。




「驚いたよ、早朝にいきなりメグが押しかけてくるんだから。母さんが危篤みたいな言い方してさ」


すっかり陽が高くなった自然公園。

私達はこの間と同じベンチに座っていた。

娘と嫁が遊具で戯れる姿を見ながら、エドがジロリと私を睨む。


「全然忙しくて帰る間がないって聞いたから、きっかけを作ってあげただけじゃん」

「今日は大事な会議だったんだよ!」

「数年ぶりの帰省と会議とどっちが大事だってんだ!」

「それとこれとは話が別だ!」


私たちが言い合っていると「まぁまぁ」とフレアばあさんが紅茶の入った水筒を持って割って入ってくる。


「メグちゃんも悪気があったわけじゃないし、せっかく帰って来たんだったら、少しくらいゆっくりして行きなさいな」

「母さん、あのねぇ」


エドは何か言いかけたが、すぐに「まぁいいか……」と言葉を飲んだ。


「確かに、ここ数年は全然休み取れてなかったしな。これも良いきっかけか」

「感謝しろよ」

「こいつ……」


忌々しげに私を睨みながら紅茶を口に運ぶと、エドはそっと息を吐く。


「それにしても、懐かしいな、ここ」

「懐かしい?」

「昔よく遊んだんだよ。死んだ父さんと。森の奥にでっかい樹があるだろ? あれをよく見に行ったもんだ。昼過ぎまで遊んで、母さんが焼いたクッキーを持ってきてくれてね」

「懐かしいねぇ」


フレアばあさんは、どこか遠くを見つめる。

その瞳に映るのは、遥か昔の光景なのかもしれない。


『とっておきの場所』か。

ここは、フレアばあさんにとって、昔からの思い出が沢山詰まった場所なんだ。


「お父さーん! こっち来てー!」


娘のリリーが手を振り「やれやれ」とエドは立ち上がった。


「ちょっと行ってくるよ」

「行ってらっしゃい」


娘と奥さんの方へと歩くエドを、私とフレアばあさんは見送る。


「リリーちゃんも、ずいぶん大きくなったねぇ」

「最後にお孫ちゃんに会ったのいつなの?」

「まだ三、四歳くらいのころかねえ。小さかったから、私のことなんて忘れてると思ったのに」

「記憶力が良いんだな。将来有望だね、こりゃ」


遊具で仲睦まじく戯れる親子を眺めていると「ありがとうね、メグちゃん」とフレアばあさんは静かに言った。


「私が寂しがっていたから、見かねてエドを連れて来てくれたんだね」

「一宿一飯の恩義は忘れないようにしてんの。でも、余計なことじゃなかった?」

「大丈夫。だって、こんなに私を幸せにしてくれたんだもの」

「そう言ってくれると嬉しいけどね」


フレアばあさんは、優しい笑みを浮かべてくれた。

その顔を見ると、私はスッと、胸のしこりが取れるような気がするのだ。


「メグちゃんは、きっと将来、世界一の魔女になれるわ」

「なれるかな」

「ええ。おばあちゃんが太鼓判を押すよ」

「そう言われるとありがたいね。そう言えばさ、七賢人の人が私を助手にしたいって言ってくれてんの。私、お師匠様の元を独り立ちしたら、世界に出るかも」

「あらまぁ、素敵ねぇ……」

「祈さんって言う東洋の魔女でね。植物にめっちゃ詳しいんだ。そうそう、その祈さんが初めて家に来た時さ、会議終わりか知らないけど足の裏がもう臭いの何のって」


その時、不意に。

ポチャリと音がした。

私は自分の持っている瓶を取り出す。

涙が増えていた。

涙? 誰の?


「これって……」


私はフレアばあさんの方を見る。

彼女は日差しを浴びたまま、静かに目を閉じていた。

それは、穏やかに眠っているようだった。


「フレアばあさん? 寝ちゃった?」


声をかけるも、返事はない。

何の変哲もなく、心地よさそうに目をつむっている。


「ばあさん?」



そこで、私は全てを悟った。



吐く息は震え、声が出なくなる。

呼吸が少しずつ荒くなり、思考がまとまらなくなった時――

不意に、誰かが私の前に立った。


「安らかに眠っているね」


永年の魔女は、心から慈しむような、悲しそうな、優しい顔をしていた。


「こんな穏やかに、眠るように最期を迎えるのは幸せなことだよ。そうだろう? メグ」

「お師匠様……」

「結末を変えることは誰にも出来ない。その中で、あんたは彼女の最期を知ることが出来た。そうでなければ、きっとフレアさんは一人で、誰にも看取られることなく亡くなっただろう」


お師匠様は、そっと私を抱きしめる。


「メグ、よく頑張ったね」


きっと永年の魔女には最初からすべてわかっていたのだ。

フレアばあさんを助けられないこと、私が彼女の最期を看取ることを。

運命に抗おうとすればするほど、傷つくのは私だと言っていたから。


お師匠様は何十回も……何百回もそんな経験をしたに違いない。

自分と同じ痛みを、私に味わってほしくなかったのだろう。

だから、私を止めた。自分と同じ過ちを犯さないように。


「お前は生きなきゃならない。死んでしまった人のためにも、残された人たちのためにも。沢山の人が見ることの叶わなかった明日を背負って、お前は生きてるんだ。それが、死者を知ることの出来る、お前の使命だよ」

「……はい」

「家族を呼んであげなくちゃね」

「私が行きます」


私は、お師匠様の顔を真っ直ぐに見る。

きっと顔はくしゃくしゃで、鼻水が出ていたかもしれないけれど。

それでも涙だけは、どうにか堪えた。


「これは、私がやるべきことだから」


日差しが柔らかく、楽しそうに子供が笑う声が、辺りに満ちていた。

空は青く、風は優しく、ここ一ヶ月の中では、最高に過ごしやすい一日だった。


そんな穏やかな日に、一人の老婆が亡くなった。


彼女の名前はフレアと言った。

園芸が好きで、私にとっても祖母のような人だった。

いつも優しくて、穏やかな声で人を受け入れ、包み込んでくれる人だった。


私は彼女の分まで、生きようと思う。


今日はビーフシチューを作ろう。

明日はローズマリーを練り込んだクッキーを焼こう。

そうやって、彼女はこれからも、私の中に生きていく。


私が生きる限り、ずっと一緒に。

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