第5節 お祖父さんの時計

十分も経たないうちに奥からおじさんが出てきた。


「待たせたね、二人とも」

「どうだった?」

「残念だが、この時計はもう寿命だね」


おじさんはゆっくりと首を振った。


「部品を交換したりなんとか出来ないかと思ったんだが、針もガラスも随分傷んでいるし、古くて代替の部品もない。長いこと使われてたみたいだから、直すのはもう出来ないんじゃないかな」

「ボロクソやんけ」

「事実のみを伝えたはずだが……」

「女の子はね、繊細なんすよ。美少女は特にね。私とか」

「ははっ」

「何ワロとんねん」


私がおじさんを睨んでると「やっぱり、そうですか……」と叱られた犬のようにフィーネは視線を落とし、その姿を見た私たちは黙った。


彼女が落ち込むのも無理はないことなのかもしれない。

この時計は、彼女が大好きだった亡き祖父から譲り受けたものだからだ。


フィーネの祖父は私達がまだ幼い頃に亡くなった。

祖父の亡骸にすがりつくように彼女がわんわん泣いていたのをよく覚えている。

あんな気持ちの良い泣きっぷりは人生の中でもそう見ることはないだろう。


この時計が彼女にとってどれだけ大切なものであるか。

それはよくわかっているつもりだ。

何故なら、私は彼女の親友だから。


「君が大切にしてくれて、この時計もきっと幸せだったよ。大切にされていたのが伝わってきたからね」

「ありがとうございます。……まぁ、捨てずとも、記念に保管しておくってのもありだよね」


フィーネはそう言って微笑む。

だが、その表情はどこか陰っていた。

きっと彼女は、自分に言い聞かせているんだ。

仕方ない、諦めないとって。


「フィーネちゃんや」

「どうしたの?」

「一つ、提案があんだけど」




「追悼?」




枯れ葉が落ちる木の葉が集う広場。

木の枝で地面に魔法陣を描く私を見て、フィーネは目をパチクリさせる。


「そう、魔女が伝統的に行う、追悼の儀。長く働いてくれたものに感謝を込めて、ゆっくり休んでくださいって言ってあげるの」

「そんなのあるんだ」

「万物には聖霊が宿ってるってのが魔女や魔法使いの考え方だからね。魔法で力を借りることもあるし、役目を終えた精霊に感謝を捧げるのは礼儀みたいなもん」

「ちょっと宗教チックだね」

「まぁ魔法なんて宗教観の塊みたいなものだから……」


小さな円を描き、その円を囲むように更に大きな円を描く。

次に円と円の間に、呪文を構築する。

一節ごとに区切りを入れて、意味をもたせるのだ。

これは詠唱とも連鎖する。


地面に描く魔法陣を構築していると、物珍しそうにフィーネがのぞき込んで来た。


「こういうのに使う図形ってなんかきれいだよね」

「ルーン文字のこと?」

「ルーン文字って言うんだ?」


ルーン文字は線と線を組み合わせた特殊な文字だ。

一字一字に意味が込められている。

今と違って、昔の人はもっともっと自然と密接に暮らしていた。

そうした自然と共にある文明が産んだ古い文字には、自然やことわりに働きかける力がある。


「占いとかでも使うじゃん。知らない?」

「初めて聞いた。こういうのって全部覚えてるの?」

「十二星座の記号とか、ルーン文字とか、覚えやすいのは頭に入ってるかな。テーベ文字とかはとりあえず魔法に使うやつだけ丸暗記。意味はわかってない」

「へぇえ……」


フィーネは何やら感心した様子で私を見た。

その視線が、妙に気になる。


「なに」

「いや、メグって実は意外と頭良いよね」

「実は? 意外と? 死ぬかい?」


そうこうしているうちに、魔法陣の構築が完了した。

私は魔法陣の中心にハンカチを敷くと、その上にフィーネの時計を置く。


「どうするの? これ。燃やしちゃったりしないよね?」

「大丈夫だよ。私が親友の大切なものにそんなこと、するように見える?」

「見えるから言ってるんだけど……。親友に訳わからない薬飲ませようとするし」

「さぁ、とりあえず始めよう」


私がパチンと指で合図すると、カーバンクルが肩から飛び降り、空を飛んでいたシロフクロウが舞い降りてきた。

二匹の使い魔が、私の対面――正三角形を描くような位置取りで魔法陣を囲む。

こうすることで私達を媒介に、均等に魔力が巡る。


私が魔法陣に手をかざすと、辺りが薄暗くなり、陣に描かれた文字がボゥッと輝いた。

魔力反応だ。

私はその陣に向かって、十二節の詠唱を開始する。


「優しく働き者の精霊の魂よ 永久の眠りの中で巡れ 巡れ」


私が呪文を唱えると、魔法陣を囲むように木の葉が風に舞い上がられて集まってくる。

まるでそれはダンスを踊っているかのように。


「永遠の感謝と永年の労いを ここに捧げん」


すると腕時計がほのかな輝きに包まれ、中から光の球の様な物が出てきた。

まるで小さな太陽の様に、美しく清らかな光を放っている。


「我 謝辞を以って彼の者をことわりへ還さん」


すると光の球は、高く高く天に昇り始めた。

その周囲を、舞い上がった木の葉が包み込む。

幻想的な光景に「わぁ……」とフィーネが感嘆の声を出した。


「願わくば また理を巡り 我がたもとまで戻らんことを祈り 祈り」


光が大きく膨らむ。

フィナーレだ。


「巡れ」


その瞬間、光は音も立てずに大きく爆ぜ、四方八方へとその光を拡散した。

拡散した光は、地面に、木々に、そして天に広がり、やがてその姿を静かに消す。


薄暗かった辺りが再び明るくなる。

音とざわめきが、静かに舞い戻ってくる。


「お、終わったの?」

「うん」

「どうなったの?」

「時計の中にいた精霊を理の中に還した。こうやって自然に還した精霊は、また巡り巡って新たな精霊となり、物に宿り、帰ってきてくれる」


私はそう言うとニッと笑みを浮かべた。


「形は変わっても、大親友のフィーネちゃんが、大好きなお祖父さんと、また一緒に居られるようにってね」

「メグ……」

「死んだ人は蘇らないし、寿命を終えたものはもう動かない。でも巡り巡って、別の形でまた出会うことは出来る。きっとあの時計は、いつかまた、フィーネちゃんのとこに帰って来てくれるよ」


フィーネは静かに唇を震わせ。


「うん。ありがとう……!」


静かな涙を、頬から流した。

流れた涙は、ビンへと溢れた。

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