第6節 最初の涙
アンナちゃんのお母さんは、家から五分ほど歩いた先にある墓地に眠っていた。
「立派なお墓だね。ここにママが眠ってるの?」
「うん」
私は墓石にそっと手を触れる。
加工され文字が刻まれた石は、どこか無機質でどこか暖かい。
この下に『死』が眠っているのだ。
「本当は知っているんだ、私」
「何を?」
「ママはもう起きないんだよね」
アンナちゃんは、こちらを見ることなく。
まっすぐと表情を変えず、静かにそう言った。
それはどこか、溢れ出す悲しみを抑えているようにも思えた。
その瞬間、私はハッとする。
こんな小さな女の子が持つ、内側の
そっか。
アンナちゃんは、分かってたんだ。
お母さんが死んだこと。
もう会えないこと。
戻っては来ないこと。
「ねぇお姉ちゃん」
「どした?」
「魔女でも、ママを起こせないの?」
一瞬、逡巡した。
どう答えたら良いのか。
でも、嘘をつきたくなかった。
「うん。誰もアンナちゃんのお母さんを起こすことは出来ない」
私は静かに頷いた。
アンナちゃんは、私の顔を静かに見つめる。
「ゾンビっているじゃん」
「うん」
「あれが何で人を襲うか知ってる?」
「知らない。何で?」
「爆睡してたのに無理に起こしたからだよ。キレてんだよ」
「じゃあ、ママも起こしたらキレるの?」
「ブチギレだよ。だからみんなビビッて起こせないんだよ。神様もね」
「寝過ぎだね、ママ」
「そんだけ頑張ったんだよ。寝かせてやれよ。それが人ってもんだ」
「人ってもんかぁ……」
死んだ人を生き返らせる。
魔法史においても、何人もの魔導師がその研究に生涯を捧げてきた。
だけど、それは出来なかった。
何度もお師匠様に言われたことだ。
人を生き返らせるなんて傲慢なことだと。
世の流れを知り、理の声を聞き、それらを汲み取るのが魔法なのだと。
だから、受け入れなきゃならないこともある。
「お花を咲かせても、ママは起きない。それでも、花を咲かせたい?」
「うん」
「どうして?」
「きっと、ママは喜ぶから」
小さい頃に両親を失った私は、大切な人を失う悲しみも、辛さもよく分かっていない。
十七歳になって、自分が死ぬと分かっても、正直何も実感がない。
こんなに小さな女の子のほうが、よっぽど『死』を知っている。
そんな気がした。
「おーい」
不意に背後から声がして振り向くと、男の人が手を振って歩いてきていた。
ヘンディさんだった。
「よかった、合流出来て」
急いで来たのか、ヘンディさんは肩で息をする。
「ヘンディさん、何でここに?」
「どうしても気になってね、午後の診察は遅らせてきた」
「仕事しろよ」
私の言葉にも、ヘンディさんは困ったような笑みを浮かべる。
まったく、ダメな親父だ。ダメダメだ。
そんなダメな親父の背中を、私は押してやる必要があった。
私は、墓石に手を置く。
「アンナちゃん。東洋にはね、ソメイヨシノって木があるんだよ」
「ソメ?」
「ソメイヨシノ。品種は桜。春先に咲く花だよ」
ヘンディさんの話にあった、ピンク色の雪。
棚にあった薬草やハーブの中に『それ』を見つけて、私はピンク色の雪の正体に気が付いた。
見つけたのは、チェリーハーブ。
桜の花びらを用いて作ったハーブだ。
通常は紅茶などに使うのだが、今日は違う使い方をする。
「我が声よ届け」
私は手の平に握ったそれに、そっと手をかざす。
十二節に渡る呪文を口にする。
「大地の豊穣よ 木々の豊潤よ あまねく奇跡を聞き届け 我が元にかつての色彩を蘇らせよ 幻影は形となり 形は夢を見せ 夢は希望を授け あまねく奇跡はここにあり 果ては東より その色彩を浮かばせ」
辺りの光が私の手元に集まり、周囲に夜が訪れたかのように暗闇は満ちる。
集った光は私を包み、まるで夜に光るホタルの様に、幻想的な光景を生む。
木々の知識があれば、その性質を一時的に変化させることが出来る。
ここに苗木や種がなくとも、辺り一帯の草木を疑似的に桜として構築することが出来るはずだ。
その全ての元になるのが、このチェリーハーブ。
それは決して科学では生み出せない奇跡だった。
力が自然と干渉し、周囲の景色を変えて行く。
光が満ち、在りえぬ光景を生みだす。
桜の色彩が満ち溢れる。
先ほどまで緑の色彩に覆われていた木々が、瞬く間にその姿を美しい東洋の花に変える。
「美しい姿を見せて」
私が最後の一説を唱えると、一気に世界は変わった。
「うわぁ……」
感嘆の声を上げて、ヘンディさんとアンナちゃんは、空を見上げる。
ピンクの雪。
そう呼ばれた無数の桜の花びらが、次々と振り落ちていた。
辺り一面が、桜の木々に覆われていた。
「すごい……」
「桜の再構築魔法だよ。とは言っても、一時的な幻影みたいなもんだけど」
私が得意げに鼻をすすると、ヘンディさんが「思い出した」と静かに口を開いた。
「アンナが生まれる前に行った東洋の旅行だ。一面に舞い落ちる花びらを見て『まるで雪だね』って……イリスが言ったんだ」
「ママが?」
「あぁ、笑ってた。嬉しそうに、幸せそうに」
その時、二人の頬を静かに涙が伝った。
カタリと音が鳴り、私はポケットにあるビンに目を向ける。
ビンが静かな光を放っていた。
涙が、ビンの中にこぼれ落ちたのだ。
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