第7節 夕暮れの街と、小さな決意
「ありがとう、お姉ちゃん」
魔法が切れて桜が元の緑葉に戻る頃には、すっかり陽は傾き、影は長くなっていた。
アンナちゃんの家まで戻ってきた私は、二人に見送られる。
「あんなんで良かったかね」
「うん。きっとママ、喜んでる」
「本物の桜じゃないけど?」
「そこはまぁ……うん」フォローしろ。
私が嘆息していると、へンディさんも「メグちゃん、ありがとう」と頭を下げた。
「妻が死んでから、娘と二人、ずっと心が沈んでたみたいだった。でも、それだと安心して妻が眠れないなって気づいたよ」
「ホント、ちったあ頼れる親父になってくださいよ。結局仕事までサボっちゃって」
「患者さんも今日は許してくれるかな」
ヘンディさんはいつもの困ったような笑みを浮かべ頬を掻くと、ふと表情を変える。
「それより、メグちゃんは良いのかい?」
「あ? 何がです」
「いや、もう夕方だし、ファウスト様のお手伝いとかあるんじゃないの?」
「ヤバッ」すっかり忘れていた。「じゃあ拙僧はこれにて……」
私が踵を返すと、「お姉ちゃん!」とアンナちゃんが声を出す。
急いでんだよこっちは。
「お姉ちゃん、いつかファウスト様みたいになる?」
「えっ?」
「なるよね? 約束だよ」
「えーと……」
言えない。
自分があと、たった一年で死んでしまうだなんて。
私が言葉に詰まっていると、ヘンディさんがアンナちゃんを後ろから抱きしめた。
「なれるよ、メグちゃんなら。未来の大魔導師に」
そう言ったヘンディさんとアンナちゃんの顔は、心からの信頼に溢れていて。
何だか照れくさくて、私は思わず鼻をすすった。
「あったり前じゃん。期待しててよ」
アンナちゃんとヘンディさんに手を振り、私はその場を後にする。
夕景の街並みは、私がこの街で最も好きなものの一つだ。
会社帰りの人や、主婦達で市場が賑わい、レンガ造りの家からはシチューの香りがする。
一日の終わり、誰もがちょっと疲れて、ちょっと緩んだ顔をしている。
そうした光景が、すこし優しく、すこし切ない。
歩いていると、不意に足元になにか温かいものが触れた。
カーバンクルがカリカリと私の足を引っ掻いていた。
「そう言えばあんた居たね。すっかり忘れてたわ」
持ち上げるとカーバンクルはキーキー鳴き声を上げた。怒っているらしい。
「よしゃよしゃしゃ」と頭をぐしゃぐしゃに撫でると、喜んでるのか「ギュウ……」と潰れたような声を出してカーバンクルは沈黙する。
そのまま肩に乗せて、私は街を歩く。
「お、メグ、今帰りか?」
「そっすね」
「メグ姉、仕事お疲れ」
「お前もなー」
「メグちゃん、これ、夕飯のおかずの差し入れ」
「あんがと」
街を歩くと、いろんな人の声が耳に入る。
何だ今日は、その笑顔が妙に心に残る。
「いつか大魔導師に……か」
見上げた空には宵の色が混ざっており、一番星が輝いていた。
私はその空を見て、嘆息して頭を掻く。
「んなこと言われたら、まだ死ねないじゃん」
私が呟くと「キュウ」とカーバンクルが鳴いた。
「何だか嬉しそうだな、お前」
「キュイ?」
「生意気な奴め」
私はカーバンクルをそっと撫でた。
○
夜。
家に帰った私を見るやいなや「何だい何だい」とお師匠様は声を出した。
「死んだ魚みたいな顔で帰ってくると思いきや、随分光を取り戻してるじゃないか」
「人を魚と一緒にしないでいただきたい」
私は瓶に入った涙らしき物をお師匠様に見せる。
「これって嬉し涙すかね」
「違うね」
ピシャリとそう言われた。
「これは悲しみが混ざった涙だ。嬉し涙じゃない」
「糞の役にも立たない汚い涙ですか」
「あんたその口の悪さなんとかしな」
「
「まったく、誰に似たんだか……」
お師匠様は呆れたようにため息を付いた後、まじまじとビンを見つめた。
何でも見通すお師匠様にしては、随分と興味深げに。
「嬉し涙じゃないけど、清らかな涙だね」
「清らか?」
「ああ、キレイで澄み切った優しい感情だ」
「だからビンが間違って集めちゃったってことですか」
「かもしれないね」
そう言ったお師匠様は、何だか嬉しそうだ。
「あの……なんか喜んでます?」
「あんたは、人の心を開かせることが出来る魔女なんだね」
「そんなもん出来たところで、糞の役にも立たないっしょ」
「ちったあ褒め言葉を受け取ったらどうだい」
「大体、なんで一年前になって今さら呪いの話なんてしたんすか? せめてあと五、六年あったら……」
私はそこで言葉に詰まった。
「五、六年あったら、成し遂げられたって?」
「いえ……」
自分の性格なんてよくわかっている。
そんな時に言われても「時間があるから」って何もしないで、ひょっとしたらそのまま最期の日を迎えていたかもしれない。
「死の宣告が見えるようになるのは一年前からだ。持病であることも、十八で死ぬことも、そこで初めて分かる」
「お師匠様ほどの大魔導師でもすか?」
「ああ、そうだよ。例外はない。因果がすべて塗り替わる。それだけ強力な呪いだってことだ。それに、あんたもわかってるだろう」
お師匠様はそう言うと、柔らかく笑みを浮かべた。
「今のあんただから、言う価値と、運命に抗う力があるんだよ。やるだけやってみな、メグ・ラズベリー。今日から一年間に、あんたの人生のすべてをかけるんだ」
私は、そっと息を呑むと――
「わかりました」
ただ、それだけを返した。
これは、余命一年を宣告された、未熟な魔女の私が起こした、奇跡の物語。
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