承:左回りの罠
昔から、賀茂は賑やかな場所を好いた。祭りの季節になるといつも浮足立って、平日の真昼でも僅かな時間を縫っては人知れず出掛けていく。そして休み時間が終わる直前になるといつの間にかそこにいて、満足気な表情で着席している。そんな男である。
時々、彼に誘われて共に騒がしい祭りへと繰り出すことがあった。東寺の門を潜る前、彼はいつも俺に言った。
「迷った時は一人で真っ直ぐに学校に帰るんだ。道が分からない時は右回りに進むこと。いいね、絶対に左回りはいけないよ」
その理由はきかなかった。いつもの冗談なのだろうと軽く聞き流した。
案の定、毎度の如く賀茂は忽然と姿を消した。それも俺がよそ見をしたほんの一瞬の隙で、三度目にしてやっと意図的に巻かれていることに気が付いた。
その度に真っ直ぐに学校に戻った。とりわけ賀茂の警告を畏れていたわけではない。限られた休息時間を費やすには勿体ないと感じただけなのだ。
俺が教室に入る頃にはいつも彼は先に戻っていた。「遅かったね」とひらひらと手を振る彼に文句を投げつけると、決まって言う。
「ごめんよ、気が付いたらきみがいなくてね。お詫びにタイヤキを買ってきたんだ。食べてよ」
そう、青色に染まったへんてこりんなタイヤキを差し出して、賀茂はにこりと笑う。
「クリームソーダ味だよ。ラムネ菓子が入っていて、口の中でしゅわしゅわって溶けるのが美味でね」
弘法さん名物メニューなのだと彼は語るが、そんな露店は一度も見たことが無い。
〇
「あったねぇ、そんなこと。確かこっちのほうだったと思うよー」
砂利の境内をざりざりと歩き、
賀茂ははしまきを頬張りながら懐かしいタイヤキ屋を探していた。さっきまで美味しそうに唐揚げをつついていた気はしたが、もう何も言うまい。買い食いが好きな男なのだ。
弘法さんの露店数は千を超えるという。骨董や古着は勿論、食品を扱った祭り屋台も複数あって、骨董市とは言えど屋台を目当てにやってくる人も多い。境内はそんな人で溢れかえっていた。
賀茂はひたすら隙間を縫って進んでいく。彼のあとについて歩くと、わざと遠回りをしているのではないかと思う程、景色が変わっていく。そのうち何処を歩いているのかも分からなくなって、周囲を見渡しているうちに、気が付くと彼が姿を消している。いつもそんな調子であった。
だが今日はさせるまい。巻かれさえしなければ、現在地点など特に重要ではないのである。
「あったあった、ここだよ」
立ち止まった彼の視線の先には確かにタイヤキ屋があった。屋台の中には恰幅の良い中年の女性が立っていて、真夏にもほど近い薄着姿で額の汗を拭っていた。
よく見ると、垂れ幕に下げられたメニューの中に「クリームソーダ味」という文字がある。あのへんてこりんなタイヤキは実在したらしい。
「あら、賀茂君やない」
「どうも
賀茂は丁寧に頭を下げた。
今までどうしていたのかと問いかける彼女に、「大学が忙しかったんですよ」と平気で嘘を吐く。
にこにこと愛想を振りまく賀茂に、竹田さんはすぐに例のタイヤキを焼いてくれた。熱した鉄板型に流し込む生地が、爽やかを通り越して毒々しく青い。
昨今は写真映えのするカラフルでキラキラとした食べ物が流行っているが、流石にこれはいただけない。そう思ってはいたが、色とりどりのラムネ菓子が練り込まれた水色の餡を投入した時、若い女の子たちがわらわらと群がり始めた。
焼きあがったタイヤキは一層禍々しさを増して、まるで窒息寸前と言わんばかりに青い顔をしていた。苦しみもがくタイヤキと睨み合っていると、賀茂は躊躇なく齧りつき、ぺろりと平らげた。
「きみも早く食べなよ。焼きたても最高だから騙されたと思って」
確かに見た目は酷いが、味は意外といけるのだ。
一口齧ると、滑らかなソーダ味の餡とバニラクリームの甘さが、もちもちの生地と絡まって口内に広がっていく。そして、ラムネ菓子が時間差で舌の上でしゅわりと溶け消え、その感覚は子供の頃に味わったクリームソーダそのものであった。
「賀茂君がレシピ持って来た時はどうしよか思たけど、流石ケーキ屋の息子やわ」
「それは口外禁止ですよ」
賀茂は人差し指を口元で立て、にっこりと笑う。
「おまえ、俺に食わせるためだけにこんなもの作らせてたのか」
タイヤキのしっぽを口の中に押し込んでから問い詰めるも、彼は奇妙な笑いを零すだけで、否定も肯定もしない。それどころか、「今じゃここの名物さ」と得意気に主張する。
彼の言葉の肩を持つように、いつの間にか店の前には若者の列が形成されていた。
買い食いに満足したのか、自由気ままに露店を渡り歩く賀茂のあとについて回った。彼は古美術商の店先であらゆる骨董品をじっくりと眺め、「これはいいね」だの「これにはツイてるよ」だのと、好き勝手に宣った。時々見知った顔に出会うらしく、商会に入らないかと怪しい勧誘を受けていた。
俺は骨董品にはまったく興味はないが、それを眺める賀茂は俺には見えない何かを見ているようで、興味深かった。そうやって自由自在に振舞う彼を見ると、やはりこいつはへんてこりんだとも思う。
賀茂は嬉しそうな顔でがらくたの中から何かを掴み上げた。黒く塗られた獣の面であった。
「
「今宮? 総人の? 何に使うんだ、こんな面」
「さぁ、総人のひとは何してるのかよう分からんからね」
彼は手早くそれを買い取って、再び歩き出す。
タイヤキ屋を出てからあらゆる方向に歩き回ったが故に、もう自分が何処にいるのかも分からなかった。普段は開けた境内なのに、所せましと並ぶ露店が複雑な迷路を作り出し、右へ左へまた右へと歩いていると、別世界へと誘い込まれているように思えてくる。進む道の果てが全く見えないのだ。
そんなことをぼんやりと考えながら、賀茂の背中を追いかけていた時だった。
辺りを埋める喧噪の中に、やけに澄んだ鈴の音が響き渡った。くるりと周囲を見回すと、まだ幼い十くらいの少女が二人、走り抜けていくのが見えた。鈴の音は彼女たちから聴こえてくるようで、俺は愉快に走る少女の姿を追視する。
きっと双子のなのだろう。長い黒髪に、切りそろえられた前髪から覗く大きな瞳もそっくりで、二人に違いはそう簡単には見つけられそうもない。
よく見ると、鮮やかな橙色の着物の袖に金色の鈴が縫い留められおり、彼女たちが袖を振る度にしゃらしゃらと音が鳴った。
少女の足取りは軽やかで、人混みもするりと抜けていく。背を向けた時、二人の頭にそれぞれ白と黒の狐面が乗っていることに気が付いた。何度も同じ場所を走り回る姿は、じゃれ合う子狐のようにも見えた。
俺はふと賀茂の話を思い出した。
少し変わった格好で、人を綺麗に避けながら走り抜けていくその姿はどこか人ならぬもののように感じさせる。もしかすると彼女たちが祭りに紛れる裏京都の住民なのではないか。
そう話しかけようと振り返ると、そこに賀茂はいなかった。
やられた。
そう思った時にはもう遅い。
直後、視界がぐにゃりと歪み、目眩のような気持ち悪さが襲いかかった。次第に頭がふわふわとしはじめ、急に心の片隅にあった不安が膨らんで、取り残された恐怖が溢れ出す。
「おい、賀茂」
まだ近くにいないものかと声を上げた。だが、返答はない。何かが身体全体にのしかかるような怠さを感じながら、俺はよろよろと元来た道を引き返した。
境内にはまだ多くの露店が並んでいる。さざ波のように押し寄せる人を分けて、南方向へと歩き、朱塗りの冊格子に囲まれた人気のない場所へと辿り着く。
どんどんと気分が悪くなって、俺は黄葉した銀杏の傍にくったりと座り込んだ。そこでようやく気が付いた。
あぁしまった、これは左回りだった!
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