推理パートでひたすらスパイダーマンについて語っている探偵
てこ/ひかり
Amazing Mystery#1
「し、証拠はあるの!?」
『柊の間』に、女性の絞り出した声が響き渡った。その悲痛な声を合図に、普段は宴会などで利用されている、25畳の大広間に集められた8人の関係者たちがざわざわと騒ぎ始めた。皆、お互いの腹の中を探り合っているような、不安や動揺を隠せないその目の色……それもそのはずである。何故ならたった今、探偵を名乗る青年によって、彼ら8人の中のひとりが”殺人事件の犯人”として名指しされたのだから。
この古びた山奥の温泉旅館で起きた、忌まわしき”殺人事件”の犯人として。
「オイオイ、だって被害者の鈴木は、
「そうよ。私が犯人だって言うのなら……その証拠を出してみなさいよ!!」
さざ波のようにざわめき立つ広間に、女性の甲高い声が木霊した。少し気を取り戻したのだろうか、先ほど青年に「貴方が犯人です」と言われた時よりも、幾分血色が良くなっている。40代半ばであろうその女性は、浴衣が肌蹴るのも御構い無しに、白い歯を剥き出しにして青年に噛み付いた。その青年の方は……。
「証拠、ですか? 証拠、ね……」
女性とは対照的に、薄味の顔に笑みを絶やさず、先ほどから開け放たれた窓の枠に腰掛け、優雅に夜景を眺めていた。集まった8人が、彼の次の言葉を待ち固唾を飲んだ。20代か、下手したら10代くらいにも見える若い男は、右手に持った扇子でゆったりと自分の顔を仰ぎ、それから間をたっぷりととって口を開いた。
「皆さん……こんな話を知っていますか?」
「……?」
やがて彼は自分に集められた視線を一つ一つ楽しむように眺め回し、口元に扇子をあてがうと滔々とこんな話を語り出した。
「昔々あるところに……アメリカのニューヨークに……ピーターと言う高校生がいました。ピーターは幼い頃に両親を亡くし、叔父叔母に引き取られ暮らしていました。そう、田中さん。貴方と同じように……」
「ど……どうして私のこと……それがどうしたって言うのよ? 事件と何の関係があるわけ?」
「ピーターは幼馴染のメリーに片想いしていました。しかし、頭はいいものの同級生から『根暗』とバカにされるピーターに、メリーは高嶺の花。彼の唯一の友達は、巨大軍需企業の経営者で天才科学者のノーマンの息子、ハリーだけだったのです」
「なんだって?」
「一体何の話を……?」
「分かりませんか?」
明らかに動揺する8人の前で、若い男はぱん! と顔の前で扇子を閉じて見せた。
「それならば少し時間を差し上げましょう。私はその”証拠”を取りに行って参りますので……それまでに」
「!」
若い男がおもむろに窓枠から立ち上がり、田中と呼ばれた女性を流し目で挑発した。
「……お覚悟を決められましたら、どうかご自分の口から償いの言葉を紡がれますよう」
「何を……!」
かっとなった田中が何か言い返す前に、男は襖を締め広間の外へと出て行った。
後に取り残された8人は蜂の巣を突いたように騒然となった。
「オイ。出て行ったぞアイツ。証拠を取りに行くだと?」
「俺たちを集めといて、自分は出て行くって何なんだよ」
「彼はさっきから一体何を言っているんだ……?」
「さあ……分からない。だけどアレだろ? アイツこそが、テレビやネットでも話題になっている名探偵……
「
まるで宴会のような騒ぎになった『柊の間』で、関係者のひとりがため息をついた。
「噂には聞いてるよ。散々ニュースや記事になってるもんな。どんな難事件も立ち所に解決し、警察にも目を置かれていると言う……確か自称”I.Q180•19”の天才探偵……」
「小数点以下はいらないだろ。誰と張り合ってるんだ、誰と」
「その推理も独特で、あまりに天才すぎて”たとえ話”が難解すぎて誰も解読できないらしい」
「ということは、今さっきのは……」
残された者たちが互いに顔を見合わせた。
「糸井探偵なりの、推理ってことか?」
「私はやってないわよ!」
首を捻る他の関係者に向かって、犯人に名指しされた張本人が吠えた。
「デタラメを言ってるに違いないわ! だって、肝心の証拠があげられないんだもの」
「失礼。お待たせしました」
騒ぎの収拾がつかなくなりかけた頃、糸井探偵が何食わぬ顔で広間に戻ってきた。
「先ほど私がお話しした、証拠を持ってきましたよ」
「!」
「田中さん。そろそろ自白する気になりましたか?」
「なるわけないでしょう」
笑顔でそう問いかける糸井に、田中は真顔で吐き捨てた。
「だったら見せてみなさいよ、その証拠ってやつを! アンタねえ、人前で犯人呼ばわりしといて、ただで済むと思ってんの!?」
「ピーターはね……」
胸ぐらを掴みかねない勢いで迫り来る田中をさらりとかわし、糸井は遠くを見るように夜景に目をやった。
「それから”特殊能力”を手にするんですよ。動体視力や跳躍力が上がり、天井やビルの壁面でさえ自由に飛び回ることができるようになったんです。それでその”能力”を使って彼が何をしたかって言うと……」
「…………」
「片想いのメリーの気を引こうと賭けレスリングに参加。可愛らしいと言うか……笑っちゃいますよね。まるでスーパーヒーローみたいな能力を手にして置いて、やることが女の子の気を引くことって」
「それとこれとが一体どう言う……!」
田中が痺れを切らし、とうとう糸井の胸ぐらを掴んだ。成人男性とは思えないもやしのような体つきをした糸井は、うめき声をあげ、なすすべもなくその丸太のような両腕で空中に持ち上げられた。
「待てよ……」
やがて糸井が首根っこを締め上げられ1回目のダウンを奪われる寸前、黙って糸井の話に耳を傾けていたひとりが、ハッと気がついたように声を上げた。
「もしかして殺された被害者は……田中さんに片想いしていた?」
「なんだって?」
彼の言葉に、全員の目が一斉に同じ方角に向けられた。田中も、糸井を空中で締め上げながら男の方を振り返った。
「何を言って……?」
「でもそうじゃないか。あの時夕食の席で死んだ鈴木は、だからワインを飲み干したんじゃないか?」
広間が奇妙な静けさに包まれる中、ひとりの男が田中を横目で見た。
「自分の好きな人が、入れてくれたワインだから……好きな人の前で、かっこいいところを見せようと思ったから。糸井探偵が言いたいのは、もしかしてそう言うことなんじゃないか?」
「そんな……」
しばらく、広間は水を打ったように静まり返った。やがて田中の、糸井を掲げる手がわなわなと小刻みに震えた。
「か……勝手なこと言わないでよ!」
「どうなんだ? 糸井」
「とにかく、私が言いたいのは……」
首元を緩められた糸井探偵が、苦しそうに声を絞り出した。そして肌蹴た浴衣の中から、1枚のdiscを取り出して見せた。
「それは?」
「これがその証拠のBlu-ray discです。この中に、私の話した全内容が録画されて入っていると言うことです」
「なんだって!? まさか……犯人が毒を入れたところを!?」
「映像を撮っていたのか!? いつの間に!?」
突如探偵から差し出されたdiscに、集まった一同は騒然となった。探偵は涼しげな顔で、驚きを隠せない8人にスマホを掲げて見せた。
「今時ね、どこでも誰でも、簡単に撮影できる時代なんですよ。さて……今からここにあるTVで、録画された全内容を放映しても良いのですが」
呆然と立ち尽くす田中の手から逃れた糸井が、口元に笑みを取り戻し、広間の中央に据えられたTVの前までふらふらと歩み寄った。そして田中の方を振り返り、その透き通った目で彼女をじっと眺めた。
「その前に……田中さん」
「…………」
「あなたの口から、お聞かせ願いたい。鈴木さんに毒を盛ったのは、貴方ですか?」
「わ、私は……!」
「…………」
「……それとも、皆に見てもらいますか?」
「私は……」
「…………」
「…………」
「…………」
「……完敗ね」
「!!」
やがてしばらくの沈黙の後、田中の口からポツリとこぼれ落ちた言葉に、その場にいた全員が目を見開いた。田中が諦めたように、自嘲気味に笑い声をあげた。
「まさか、そんな証拠があるなんてね。そうよ。鈴木さんのワインに毒を入れたのは私……」
「!」
「最初に彼と出会ったのはお店。付き合ってもいないわ。ただの客と店員の間柄よ……本当。でもそれから、愛とは名ばかりの……”束縛”と”重荷”がどんどんエスカレートして行ったの。いつの間にか、毎日”お店”に来るようになって、私の家の住所まで調べ上げて。警察に相談しても、実害がない以上動けないの一点張りで」
「…………」
「あのまま放って置いたら、彼の”愛”のせいで私の方が殺されてた……だから毒を盛ったの」
田中はそう呟くと、少し悔しそうにTVの前に座る糸井に顔を向けた。
「教えて探偵さん……その映像、いつから撮ってたの?」
「2002年ごろですね」
「え?」
訝しげに首をかしげる田中を横目に、糸井は嬉しそうにdiscを再生機器の中に流し込んだ。
「始まりますよ、”スパイダーマン”。しっ……お静かに。ああそれから、田中さん」
「は?」
「事件の証拠なんですが……探したけどやっぱりありませんでした。ごめんなさい。でもさっき証言取れたから、別に良いですよね?」
推理パートでひたすらスパイダーマンについて語っている探偵 てこ/ひかり @light317
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます