第32話 亡者の館にて宴に招かれる


「荒木の死体を回収できるかどうかは、時間との勝負になる。経路をよく叩きこんでおけ」


「第一天界ビル」を目指してハンドルを握りながら、俺は沙衣とケヴィンに檄を飛ばした。


「もし敵が一斉に襲いかかってきたら、どうするんです?」


 ケヴィンが恐る恐る尋ねた。もっともな質問だ。


「基本的に戦うのは俺一人だ。お前たちは後ろから俺を盾にしてついて来るんだ」


「そんな……カロン一人で三人分、戦うなんて」


 沙衣が硬い声音で言った。盾になるだけで済むなら、むしろ楽な方なのだが。


「今回のヤマは単なるボクサー殺しの真相究明じゃない。背後にいる闇の組織との戦いなんだ。そのことに納得がいかないなら降りてくれと散々、念を押したはずだがな」


 俺が改めて諭すと、二人は押し黙った。対亡者用の装備をあつらえてきたとはいえ、俺以外は実戦経験のない素人だ。仮の魂とエネルギーをを使い切る覚悟で挑まねばならない。


 ビルの裏手に侵入すると俺はトラックを停め、警備担当者に偽造IDを提示した。

 運転席に戻り、緊張気味に待機していると、搬入口のシャッターがゆっくりと上がり始めた。よし、第一関門は突破だ。ここからは大人の鬼ごっこになる。なにせ、搬入する商品を用意していないのだから。


 俺は広い駐車スペースの一角にを据えると、エンジンを切った。人気はないが油断は禁物だ。俺は素早く後方に移動するとコンテナの扉を開け、沙衣たちに合図を送った。


「死体搬出用の籠を下ろしたら、一気に搬入エレベーターまで行く。周りには一切、注意を払うな」


 俺はキャスター付きのコンテナを下ろした二人に命じると、エレベーターを見据えた。


「よし、行くぞ!」


 俺たちは十メートル足らずの距離を一気に駆けた。商品の入っていないコンテナをコンビニの制服を着た人間が三人がかりで運ぶ光景は、どうしたって怪しさを免れ得ない。


「よし、あとは研究所のある五階まで上がるだけだ」


 搬入用のエレベーターまでどうにか辿りつくと、俺は大きく息を吸った。

 研究所に果たして荒木がいるかどうか、確かめたわけではない。最悪の場合、芦田を人質に取る計画もあったが、いずれにせよ泥縄と言わざるを得ない。


 俺たちはエレベーターに乗りこむと、恐らく敵しかいないであろう五階のボタンを押した。


 ケージの上昇が止まり、扉が開くと俺は特殊警棒を手に外に出た。廊下に人気はなく、以前、芦田と会ったモニター室の周辺にも警備らしき人影はなかった。


「ずいぶんと不用心だな。……行こう。俺の後ろにぴったり付いてくるんだ」


 俺は後ろの二人にそう声をかけると、廊下をそろそろと進み始めた。あたりの様子がおかしいことに気づいたのは、移動を始めて間もなくのことだった。どういうわけか、すぐ目の前にあるはずのモニター室の扉が一向に近づいてこないのだった。


 ――おかしい。廊下そのものがどうかしてる。


 俺は足に止め、前後を見やった。エレベーターを降りた時と景色が全く変わっていないことに気づくと、俺の中の緊急警報が鳴り響いた。


「まずい、フロアに眩惑効果のある物質が充満してる。落ち着いて幻が消えるのを待つんだ」


 俺は呼吸を整えながら、敵の出方を待った。一人であれば幻覚などさほどの脅威ではないが、やはり見通しが甘かった。俺が自分の迂闊さを悔やんでいると、ふいにケヴィンが声を上げた。


「誰か来ますよ、兄貴」


 振り変えると、後方から大柄な人影が近づいてくるのが見えた。人影は俺たちからやや距離を置いて立ち止まると、黒いフェイスマスクをやおら剥ぎ取ってみせた。


「あんたは……」


 俺は絶句した。マスクの下から現れた顔は、かつての荒木のライバル、ハンク由沢だった。由沢の着用しているスーツは以前、ここで見た格闘用の物とは異なっており、不気味な突起や管が加えられた禍々しいスーツは一見して亡者仕様とわかるものだった。


「刑事さん……あなた、本当は「こちら」の方だったんですね。これで心置きなく抹殺できます」


 由沢はどこか調子の狂ったような口調で言うと、いきなりこちらに向かって突進を始めた。俺は鞭を取り出すと、由沢の足元に向けて炎を放った。


「はっはあ、遅い!」


 由沢は鞭が届くより一瞬早く床を蹴ると、俺たちの頭上まで一気に跳躍した。


 ――くそっ、マグナムしかないか?


 俺がホルスターに手をやった瞬間、白い蒸気のような物が一斉に立ち上り、由沢の身体を天井に押しつけた。


「……うっ、何だっ?」


 白い気の束は無数に分かれると、由沢の身体に矢継ぎ早の攻撃をしかけた。


「ぐあああっ」


 床に叩きつけられた由沢から離れた無数の気を見て、俺はそれがケヴィンの「コヨーテ」だと気づいた。どうやら危機を察して反射的に現れたらしい。


「ケン坊、大丈夫なのか?」


 俺が声をかけると、すぐ後ろから魂の抜けたような声が「大丈夫っす」と返ってきた。


 ふと気づくと周囲の風景が確かさを取り戻し、モニター室の扉が俺のすぐ側に見えた。


「随分遠回りさせやがったな。……入らせてもらうぜ」


 俺はケイン爺さんのこしらえた万能カードキーでモニター室のロックを外した。

 ドアが開き、俺の目の前に現れた風景は、またしても意表をつくものだった。


「くそっ、まだ幻覚の続きだったのか!」


 俺はとてもビルの一室とは思えぬ、臓器のように伸縮を繰り返す物質で覆われた空間を前に叫んだ。禍々しい部屋の奥に立って俺たちを待ち構えていたのは、由沢に勝るとも劣らない奇怪なスーツに身を包んだ芦田だった。


「ようこそ刑事さん。お待ちしておりました」


 芦田の両肩には、炎に包まれた幻の犬が二頭、乗っていた。犬は歯を剥き出し、大きな口を開けてこちらを威嚇していた。


「なんだそいつは。子ども向けのアニメか何かかい」


「くくく、私の守護獣、ケルベロスキャノンですよ。彼らの吐き出す業火で本物の死を迎えてください、刑事さん」


 芦田がそう口にすると、二頭の犬の口から俺に向けて、大量の炎が吐き出された。


             〈第三十三回に続く〉

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