第33話 闇にすべてを奪われし者よ


「……熱っ」


 思わず顔を覆った俺を、炎が襲った。亡者の放つ炎は邪気が変質したもので、その威力は術者の力に比例する。芦田の放つ炎は俺のコートを焦がす程度だった。


「さすがに頑丈ですな、刑事さん。……そらっ」


 芦田の肩から二匹の犬が身を乗り出し、再び炎を吐いた。俺は顔の前に特殊警棒をかざし、身を屈めると熱風の中を跳んだ。


「……何っ?」


 俺は犬には構わず芦田の鳩尾に邪気の渦を叩きこんだ。芦田ががくりと身体を折ると、同時に肩の上の犬も一回り小さくなった。術者の気が乱れれば怪物も揺らぐ。当然だ。


 ――よし、出番だぞ死神。この獣たちを真っ二つにしてやれ。


 ――ふむ。断ったらどうする。


 ――どうもしないさ。お前さんの株が下がり、魂を手に入れるのが遅れるだけだ。


 ――仕方ないな。まったく死神遣いの荒い男だ。


「死ねっ、燃え尽きろおっ」


 怪物の大きさが半分ほどになり、うろたえた芦田が吠えた。二匹の犬は炎を吐くのをやめ、俺の首筋めがけて突進を始めた。


 ――そうれ。


 俺の首に犬の歯が突き立った瞬間、死神の鎌が犬の首を一刀両断に切り落とした。炎に包まれた二つの首は、狂ったようにあちこちを飛び回った。


「あちちち、兄貴、こいつ熱いっすよ」


 犬の纏った炎がケヴィンのアロハを掠め、大きな焦げ跡をこしらえた。


「すまない、そっちまで気が回らなかった。……芦田さん、逮捕します。観念して下さい」


 俺がそう言って特殊警棒をへたり込んだ芦田の胸につきつけた時だった。


「待ってください」


 ふいに背後から聞き覚えのある声が飛んできた。振り変えると、げっそりとやつれた明石が目に憎悪の炎をたぎらせて立っていた。


「明石さん……」


「僕が馬鹿でした。「新しい格闘技を産みだす」なんていう言葉を真に受けて、この世ならぬ者たちに研究所を乗っ取らせてしまった。その元凶ともいえる人物が、そこにいる芦田です。刑事さん、無茶な願いだとは思いますが、この男の始末は僕につけさせてください」


「駄目だ、明石さん、曲がりなりにも刑事である俺が、私刑を見過ごすわけにはいかない」


「いえ、こればかりは譲れません、僕が命をかけて育てて来たプロジェクトを……」


 明石がそう言って芦田に詰め寄ろうとした、その時だった。芦田の尻の下から、黒い「もや」が立ち上ったかと思うと、首のない二匹の犬になった。犬は俺たちの目の前で一つに融合し、実態感のある巨大な一匹の犬になった。


「……まずい、「オルトロス」だ!」


 明石が叫ぶのと同時に、切断された首の断面からいきなり二つの頭部が生え、さらには尻尾が無数に分かれて蛇となった。怪物は芦田の身体を咥えあげると、唸り声を上げて後ずさった。


「おのれ、この上、俺からすべてを奪おうというのか、「亡者」たちよ!」


 明石が叫び、オルトロスと呼んだ怪物に飛びかかろうとした。が、明石の手が届くより一瞬早く、怪物は波打つ床の襞に飲みこまれ、あっと言う間に床下へと姿を消した。


「待てっ」


「明石さん、追うんじゃない!」


 俺が制止を呼びかけた次の瞬間、明石の足元がぐにゃりとたわみ、波打った。足をとられた明石はそのままずぶずぶと床に飲まれ、吸い込まれていった。


「明石さんっ」


 必死で手を伸ばし、明石の手首をつかんだと思った次の瞬間、銃声と共に俺の背に衝撃が伝わった。俺は思わずのけぞり、明石の手を離していた。


「明石……さん」


 俺は床に飲みこまれる明石をなすすべもなく見送った後、卑劣な狙撃者に逆襲すべく背後を振り返った。入り口の所に立っていたのは、片手に銃――アンデッドリボルバーを携えたハンク由沢だった。


「きさま……」


 俺は立ち上がり、思わずマグナムに手をかけた。だが、銃を抜くことにためらいがある俺は、銃を抜く前に相手の弾丸を受けていた。


「……ぐはっ」


 俺が身体を二つ折りにして呻くと、沙衣とケヴィンの悲鳴が聞こえた。



 ――だめだ、来るな……このくらいの銃撃で死ぬ俺じゃない。おとなしく見ているんだ。


 由沢に銃口を向けられた二人を俺が祈るような気持ちで見た、その時だった。轟音がとどろいたかと思うと、由沢の身体がゆっくりと後ろざまに倒れていった。


「……なんだ?いったい」


 俺がふらつきながら立ちあがると、崩れた由沢の背後から、銃を手にした長身の男性が姿を現した。


「……カロン、殺されそうなときは相手が何者だろうとためらうな。これは忠告だ」


 そういうと男はやり切れないといった表情で、煙の出ている銃口を見つめた。


「……牛頭!」


 俺たちを救ってくれたのは、やさぐれ刑事と妙に気の合うやくざ――牛頭原だった。


             〈第三十四回に続く〉

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