第31話 さらば、優しき闇の住人よ
「どう、カロン?いかすでしょ。これに乗って搬入口に行けば、一発オッケーよ」
コンビニの社名が入ったトラックのボディを見遣りながら、美紅が得意げに言った。
「ありがとう。これで「第一天界ビル」に無事、潜入できそうだ。車両まであつらえてくれる人がいなくて困ってたんだ」
「車のことなら任しといて。戦車となるとちょっと骨だけど、大概のものは揃えられるわ」
いつもの蛇柄ドレスと違い、本業である自動車整備工のつなぎを着た美紅もまた、魅力的だった。「第一天界ビル」は現在、封鎖されていて、ごく一部の人間しか出入りのできない状態になっているのだった。
「コンビニの制服も三着、用意しといたわ。搬入口は麗からビルの見取り図を貰ってるでしょ?「本物」の来ない時間帯をうまく見はからって搬入してね」
「わかった、なにからなにまでありがとう。この仕事がうまく行ったら御礼をするよ」
「期待しないで待ってるわ。いつも一晩つき合うようなことを言って、お預けなんだもの」
俺は美紅に曖昧な返事を返すと、沙衣たちと打ち合わせるため、三途之署に向かった。
署に近い定食屋で腹ごしらえをすませ、通りに出るとふいに横合いから声がした。
「カロン、まだここで飯を食ってんのか。俺と同じで出世しない奴だな」
振り向くと、石動が店先と俺を交互に見ながら立っていた。
「石動さん。……昔よく、ここで丼ものを注文しましたっけね」
「そうだな。昔と言ってもさほど古い話じゃあないが……カロン、もし急ぎでなければちょっとつき合ってくれないか?署じゃあちょっとできない話があるんだ」
「署ではできない話……ですか?」
「ああ。定食屋の裏に俺の車が停めてある。……なに、時間は取らせないさ」
誘われるまま、俺は石動刑事と裏通りに移動した。定食屋の真裏に当たる路地に、確かに石動刑事がよく使っていた車両があった。俺が乗りこもうとすると突然、「待て、カロン」と押し殺した声が聞こえた。
「そいつに乗るのは、お前さんが完璧な「死体」になってからだ」
「……何ですって?」
あまりに意外な成り行きに俺が絶句していると、石動がいきなり俺が所持しているのと同様の特殊警棒を取りだした。
「明日か明後日には「アンフィスバエナ」の建物に乗り込むのだろう?その前にお前さんを始末しておくのが俺の「仕事」だ」
「イッさん……まさか「亡者」に?」
「お前さんならわかるだろう?刑事と言ってもそれぞれよんどころない事情を抱えている物さ。……行くぞ!」
石動は警棒を構えると、いきなり炎を繰りだしてきた。同時に石動の背後から、恨めしい顔つきの「亡者」が現れた。
俺が鞭で炎を払うと、石動はいきなり拳銃を取りだし、俺に向かって発砲した。
弾丸が俺の膝に命中し、俺はもんどりうって路上に倒れた。畜生、アンデッド・リボルバーか!
「どうだ?久しぶりに「撃たれた」感触は?お前さんのマグナムほどじゃないが、それなりに痛いだろう?」
「イッさん……あなただったんですね。俺の行動を逐一「亡者」連中に漏らしていたのは」
「今ごろ気づいたのか、カロン。もう少し知恵の回る男だと思っていたがな」
「レジャーランドで捕らえた亡者を逃がし、岩成に俺を襲わせたのもあなたですね」
「いかにもそうだ。案の定、お前はしぶとく生き残り、それで俺が直接手をかけざるを得なくなったというわけだ……そらっ」
石動の警棒から再び炎が放たれ、俺の顔を嬲った。幻の臭いが俺の鼻を突き、俺は弾丸がめり込んだ足で立ちあがった。
「残念ですが、あなたを逮捕します」
俺はマグナムを抜くと、石動に狙いを定めた。同時に石動に憑りついている亡者が黒い霧となって俺に覆いかぶさった。
「お前に捕縛されるような俺じゃない!」
気づくとリボルバーの銃口が俺の額に押し当てられていた。今だ。
「死……なにっ?」
石動と同化していた亡者が消え、銃を持つ手が跳ね上がった。興梠に教わった「邪気の中和」だった。銃声がこだました次の瞬間、俺は石動の胸に手を押し当て、高密度の気を爆発させた。
「……ぐあっ」
邪気を封じられ、自分の力を跳ね返された石動は後方に飛び、電柱に激突した。
「……イッさん」
俺はぐったりと路上にへたりこんでいる石動に近づくと、手錠を取りだした。
「できれば亡者と一体化する前に逮捕させてほしかった」
俺が石動の手首に手錠をあてがおうとした、その時だった。どこからともなく白い「もや」のようなものが現れたかと思うと、人の形になった。それは今より少し若い石動の姿をしていた。
「……これは一体?」
俺が動きを止め、呆然としていると「もや」は石動の身体から、別の黒い「もや」を引き出し始めた。それは、邪念に囚われたもう一人の石動だった。
「そうか……成仏するんだ。石動さん、あなたはもうとっくに「死んで」いたんですね」
ようやく俺はすべての事情を理解した。何らかの事情で亡者に魂を売った石動は、こうしてもらうつもりで俺を襲撃したのだ。俺は一つの魂となって消えてゆく石動を見ながら、携帯を取りだした。
「……もしもし、ダディですか?カロンです。石動刑事の死体を確保しました」
「そうか、よくやった、カロン。いやな仕事だったな。すまん」
「ダディ、イッさんが亡者だと知っていましたね?最初から俺に成仏させるつもりだったんでしょう?」
「ああ、そうだ。同期のよしみで、どうしても奴を亡者のまま死なせたくはなかったんだ」
「お蔭で敵を叩き潰す動機がまた一つ増えましたよ。こんなことを許しておくわけにはいかない」
「すまんな。石動の死体は特務班で丁重に弔わせてもらう。お前は敵を思う存分、叩き潰してくれ」
「そうさせてもらいます。……じゃ、イッさんにお別れするんで、これで」
俺は通話を終えると、路上で骸となった石動と向き合った。俺の知っている石動刑事はもう、ここにはいない。魂だけの存在となってどこかに行ってしまった。俺は石動の骸に向かって静かに語りかけた。
「イッさん、あんたをこんな風にした連中をこれから潰しに行きます。見ていて下さい」
俺は物言わぬ骸に誓うと、かつての先輩刑事に背を向け、再び署に向かって歩き始めた。
〈第三十二回に続く〉
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