第21話 湯気の向こうに死地を見た


「どうだ、懐かしいだろう?」


 俺が改めてそう呼びかけると、半透明の「被害者」は答える代わりにベッドの脇でゆらゆら動いてみせた。


「カロン、ここに何があるの?初動捜査でかなり調べ尽くしてるし、この前、来た時も決定的な証拠は出なかったじゃない」


「その通り、あらためて調べるような物はない。俺が確かめに来たのは、これさ」


 俺は沙衣にそう言い置くと、洗面台に近づき、鏡を取り外した。鏡の下から現れたのは、赤い文字で書かれた謎のメッセージだった。


「ふむ。「約束を破ったな。おまえはかならず報いを受ける」か……」


「これがどうかしたの?」


「この間訪ねたケーキ店に、荒木のスチールがあっただろう。あれに書かれていた直筆のメッセージとこの文字が、そっくりなんだよ」


 沙衣はまじまじと壁の文字を見つめると、神妙な顔になってうなずいた。


「確かに似てるのかもしれないけど……だとすると何がわかるの?」


「こいつを書いたのが荒木本人……つまりそこでふわふわしている奴だとすると、このメッセージは荒木が信用していた奴への、死を前にした恨み節ってことになる」


「信用していた人……?」


「考えられるのはこうだ。薬物を運ばせたチンピラ仲間が、裏切って誰かに自分を殺させたという告発。報いとは「自分の代わりに誰かがお前たちに復讐する」という意味だ」


「実際、そうなってるわけよね。じゃあ「この人」の代わりに復讐しているのは誰?」


 沙衣が天井近くでゆらめいている「被害者」の方を目で示した、その時だった。


「むくい……ちがう。あいつは間違ってる……」


「なんだって?」


 俺は一瞬、自分の耳を疑った。こいつの口から意味のある言葉を聞くのは初めてだ。


「復讐ちがう……早く止めないと、みんな死ぬ」


「被害者」はそこまで語ると、また表情のないただの「亡者」に戻った。


「こいつは「復讐者」は間違った人間を狙っていると言っていた。なぜだ?」


「この人と「復讐者」の間には認識のずれがあるってことよね」


「西鉄によると、殺された男たちは「荒木に殺される」と言っていたらしい。つまり「復讐者」は荒木にそっくりで、なおかつ荒木の遺志を理解していない人間ということになる」


「似ているのに気持ちが通じていない人間……わけがわからないわ」


「そういえば、こいつはどう見ても復讐なんかしそうにないな。となると……そうか!」


「どうしたの?」


「もしかすると、俺たちは事件の鍵を握る人物を一人、見落としていたのかもしれない」


「事件の鍵を握る人物?まだそんな人、いた?」


 しきりに首を傾げる紗枝に、俺は「いるとも」と頷いた。


「この魂の元の棲家……荒木の「死体」だよ」


「死体ですって?……じゃあこの人、実は死んでなかったってこと?」


 沙衣は目を追聞く見開いて「被害者」を指さした。


「ああ、荒木が「死」を意識した時、こいつが身体から追いだされて、憎悪の感情だけを宿した仮の「死体」が残った。そいつを五道が誰かの依頼で奪い、売ったというわけさ」


「仮の死体……」


「調べてみればわかるさ。……行こう、それだけわかればここにはもう用はない」


 俺は紗枝にそう言い放つと、ポケットから「死霊ケース」を出して蓋を開けた。


                  ※


 麗から「死体の買い手がわかった」と連絡があったのは、遺留捜査を終えてホテルを後にした直後だった。


「芦田って言う人よ。運動器具を作っている技術者みたい」


 俺の頭の中に一つの顔が蘇った。運動器具か。あのスーツをそう呼んでいるわけだな。面白い。


「そいつなら知ってる。人間をオモチャにしている会社の開発者だ」


 俺は麗に丁寧に礼を述べると、紗枝に通話の中身を告げた。


「どうするの?アンフィスバエナにまともに乗りこんでいっても「はい、私が死体を買いました」なんてことは口が裂けても言わないわよ」


「悪い奴にはこっちもそれなりに策を弄する必要がある。罠をしかけよう」


「罠?」


「奴の大好物を餌に、こっちの縄張りまでおびき寄せるんだ」


「大好物って?」


「奴が手塩にかけたスーツのモニター達……檻から逃げだした「モルモット」達だよ」


「……何て言っておびき寄せるの?」


「それはこれからだが……とりあえず「こいつ」に「自分の死体」になりきってもらおう」


 俺が「死霊ケース」の蓋をパチンと開けると、もやのようなものが立ち上り、人の形になった。


「こいつに「今にも死にそうだ、助けてくれ」と「自分の声」で芦田に助けを求めてもらおう。奴はすっとんでくるはずだ。何せ放っておいたら大事な死体が本当に「死んじまう」わけだからな」


「うまくいくかしら」


「失敗したらそれこそこのヤマは再び迷宮入りだ」


 俺はそう言うと、「死霊ケース」の蓋を閉じた。


           ※


「こんなところで作戦会議?」


 湯気の充満する店内に足を踏み入れた沙衣は、そう言って眉をひそめた。


「ああそうさ。これ以上の場所はないと思うぜ」


 俺はそう言うと、コの字型のカウンターに腰を落ち着けた。


 もつ鍋と惣菜の店「釜ゆで屋」は、カウンターのみの小さな小料理屋だった。


 周囲は妖し気な風俗店とラブホテルが立ち並び、若い女性が足を向けるには勇気がいる立地だ。


「カロちゃん、このところ見ないと思ったら、こんな若い子と遊んでたんだね。すっかり悪いオヤジになったなあ」


 カウンターの内側から年配のふくよかな女性が笑いと共に声をかけてきた。


「そりゃあないぜ、お加世かよさん。この子はうちの新入なんだ。この店に入るのもハードルが高いくらいのお嬢さんなんだよ」


「ふうん、そうかい。……まあ、あんたがここに来るってことは、扱ってるヤマがそろそろのっぴきならない事態になってきたってことだろうからね。遊びじゃないのは顔を見たらわかるよ。……はい、もつ煮と焼きサバ飯」


 お加世はそういうと、小鉢をてきぱきと俺たちの前に並べ始めた。


「ああ、その通りだ。……ところで「お化け屋敷」は開いてるかい?」


「……あそこを使うのかい?敵と一戦交える気なら「ケイン爺さん」に言っとくよ」


「頼むよ。あそこに誘い込めればこっちに有利に運べるはずなんだ」


 俺がそう言いつつもつ煮に箸を伸ばそうとした、その時だった。


「おう、カロン、久しぶりだな。……ここに来てるとは思わなかったぜ」


石動いするぎさん……」


 俺は隣に現れた年配男性に気づくと、思わず居住まいをただした。髪が半分白い、トレンチコートのこの男性は俺が新米時代に散々世話になったベテラン刑事だった。


「どうした、また死人に振り回されてるのか?」


「いえ……おおむね事件の全貌は把握してます。これから「お化け屋敷」で勝負をかけようと思ってたところです」


「ふむ……お前さんには釈迦に説法だろうが、いくら不死身でも命を大事にしてくれよ」


「はい。……イッさんには迷惑をかけました。俺が何度も死にかけて……」


「それはもういい。お前と組めて面白い経験をたくさんさせてもらった。それに今、お前は一係のエースだろう。非公式の部署だがな」


「そうですね……」


 俺は石動を紗枝に紹介すると、もつ煮を食べ始めた。どうせ誰かが汚れ役を引き受けなければならない仕事だ。ならば一度ならず「死んだ」俺にはうってつけの仕事に違いない。


 差し出された焼酎の湯気に荒木の顔を思い浮かべつつ、俺は口の中で「乾杯」と言った。


              〈第二十二回に続く〉

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