第19話 美しい花には牙と爪がある


此岸花しがんばな」と書かれた金属製の重い扉を開けたとたん、噎せかえるような香水の匂いと脳天をどやしつけるような大音声のロックミュージックとが俺を出迎えた。


 俺は沙衣を伴い、毒々しい照明の下を奥のカウンターへと進んでいった。


「カロン、ここはよく来るの?」


 物珍し気に店内を眺めていた紗枝が背中越しに囁いた。


「ああ。やばいヤマの時は特にな」


 俺が振り向かずに答えると、カウンターの向こうから艶めいた声が飛んできた。


「あら、カロンじゃないご無沙汰ね。またやばい仕事に巻きこまれたの?」


「そういうことだ。……たぶん、あんたの守備範囲だよ」


「やっぱりね……まあとにかく座って。話はそれからにしましょう」


 古い女優のように前髪を大きく巻いた美人は、俺の返事を聞いて眉を寄せた。


 俺は沙衣を促してカウンターに腰を落ち着けると、ノンアルコールビールを頼んだ。


「あら可愛い。はじめまして、私は神月麗こうづきれい。カロンのお友達よ」


「はじめまして。私は河原崎沙衣、三途之署捜査一係特務班です」


 沙衣の馬鹿丁寧な挨拶に、麗は目を細めた。


「早速だが麗、五道っていう男を知らないか。獄卒会に取り入ってるらしいんだが、どうもどこから流れてきたのかわからない。俺の弱点を知っていたところを見ると、亡者がらみかもしれない」


「ちょっと待って」


 麗はタブレットを取りだすと、目にも留まらない速さで画面をタップし始めた。


「――やっぱりこいつか。企業ややくざのトップに取り付く、裏社会じゃ有名な拝み屋よ」


「拝み屋……?」


「経歴から察するに、ちょっとばかりあの世の声を聞く力があるみたいね。邪気が集まってる場所に狙った人間を連れて行って、恐ろしい体験をさせる。邪気が去るのに合わせてあたかも自分が払ったかのように見せかける……そんな子供だましで闇社会の実力者たちを次々と虜にしていった、そんなところじゃないかしら」


「なるほど、どうりで牛頭原が理解できないわけだ。こうなると荒木の死体を買った奴もあの世に通じてる可能性があるな」


「死体を買う?……面白い話ね。よかったら詳しく聞かせてくれないかしら」


 俺は麗に、荒木の死からつい先日の岩成のことまでをかいつまんで話した。


「ふうん……これは根が深そうね。ちょっとこっちでも調べさせてもらっていいかしら」


「調べるのは構わないが身辺には十分、気をつけてくれよ。亡者がらみは厄介だからな」


「わかってるわ。こう見えても一度死んだ身よ。そう簡単に二度も死なないわ」


「……一度死んだ?」


 差し出されたノンアルコールカクテルを眺めていた紗枝が、唐突に口を挟んだ。


「ええ、そうよ。何せ十代の時から殺し屋をやってたし、危ない場面には事欠かなかった」


 目を見開いて「殺し屋……」と呟く紗枝に、俺は「絶対証拠を残さない、腕利きさ」とあまり効果のないフォローをした。


「でも信じてたパートナーの密告で、あっさり逮捕されちゃったのよね。証拠不十分のまま起訴されて懲役刑になったわ。そのブタ箱で、一人の男性と知りあったの」


 麗はふと懐かしむような、それでいてどこか暗い光を宿した目で言った。


「その人にね、「ここを出たら一緒になろう」って言われて、出所した後しばらく仕事を手伝ってたの……もちろん、裏稼業よ。ところがある日、お金と共に行方をくらましちゃったの。悪事を企んだのは私ってことにされてね」


「ひどい話……」


「私は裏切られた仲間たちに監禁されて、死んだ方がましなくらい、繰り返し辱めを受けた。その後、そいつらをぶちのめして自分も死のうとしたんだけど、あの世から断られちゃってね。それで今はこうして、似たような身の上の子たちと仲良くやってるってわけ」


「似たような子たち?」


 沙衣がぼそりと呟いた、その時だった。


「カロンちゃんじゃない。久しぶり―!」


 脇から蛇柄のドレスを着た派手な美人が現れ、俺の背に自分の胸を押しつけた。


「ずるいわあ、麗とだけ話して逃げるつもりだったんでしょ。朝までつき合うって前に約束したのに」


「あ……うん、まあな」


 俺は言葉をあいまいに濁すと、目線をあらぬ方向に向けた。こいつは美紅みくと言って、某国で要人のシークレットサービスをしていた人間だ。

 テロリストの襲撃を受けた際、要人を庇って蜂の巣にされ、閻魔大王の手前まで行ったという大した経歴の持ち主でもある。


「もう、仕事なんて忘れちゃいなさいよ」


「……美紅、その辺にして置かないと、カロンが隣のお嬢さんに殺されちゃうわよ」


 美紅がぱっと俺の背から離れた瞬間、俺の視野に丸い目を三角にした紗枝の顔が飛び込んできた。


「カロン、それだけ楽しかったら仕事なんて簡単に忘れられるわね」


 美紅はそう言うと口元だけをきゅっと吊り上げ、死人より恐ろしい表情になった。


「いや、忘れて無いさ。ただここじゃこういうコミュニケーションが当たり前……」


 俺がめずらしくしごろもどろになりかけた、その時だった。


「――カロン、頭を低くしてっ」


 麗の鋭い声が飛び、俺は思わずカウンターに突っ伏した。ほぼ同時に「うっ」というくぐもった呻き声が聞こえ、さらにその直後、人が床に崩れる鈍い音が聞こえた。


「……あら、こちらの方、潰れちゃったのかしら」


 美紅の間延びした声に振り返ると、俺のすぐ後ろの床にスーツ姿の男が倒れ伏しているのが見えた。男の右腕にはアイスピックがつき刺さり、近くの床に注射器のようなものが転がっていた。


「ひどいわね、麗。いきなりこんな凶器を投げつけるなんて」


「あんたこそ、その怪力で手刀をお見舞いしたら死んじゃうわよ」


 俺は呆然とした。見たところ、男は岩成を連れ去った連中の一人のようだった。

 それにしても俺がここにいることをどうやって嗅ぎつけたのだろう。


「これは本格的に調べた方がいいかもしれないわね」


「カロン、このお客の始末は私たちに任せて。お礼は……そうね、男性エネルギーを二人分、三日づつってとこでどう?」


「……勘弁してくれよ。このところガス欠気味なんだ」


「ふふっ、私たちと遊んだら、当分女の子とは遊べなくなるわよ。覚悟なさい」


「……女の子とって?」


 ふいに沙衣が割って入った。俺は刺客を手際よく連れ去る美紅の手際を惚れ惚れと眺めながら「ああ、言ってなかったっけ。この店の従業員は全員、男性さ。世界一美しいね」


「カロン、だいぶ大人になったわね。生きてる女の子に憑りつかれるなんて」


「まったくだ。……そうだ麗、一応、言っとくが、こいつは亡者が見えるんだ」


「本当?……じゃあこれも?」


 悪戯っぽく笑った麗の背後から突然、黒いもやが立ち上ったかと思うと、角の生えた鬼の姿になった。


「えっ、嘘っ」


「あら麗、いきなりショータイム?」


 刺客の身体を壁に凭せ掛けた美紅が、こちらを振り返って言った。すると今度は美紅の背後から大きく口を開けた赤い大蛇が姿を現した。


「す……素敵なお店ね、カロン」


 沙衣が震える声で言い、一呼吸置いて「でも」と付け加えた。


「……私にはまだ、ちょっと早いみたい」


              〈第二十回に続く〉

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