第7話 闇を見よ、足音に耳を傾けよ


 重い扉をくぐり抜けた先で俺が目にしたのは、遥か向こうまで続く燭台の列だった。


 俺の前には赤いカーペットが敷かれたプロムナードが伸びており、その道を両側から挟むように燭台の列が続いていた。


 蝋燭に火が点されているのは手前の数メートルほどで、後は遥か向こうまで完全に火が消えていた。俺は自分が手にしている燭台の火を、これから一本づつ奥に向かってともしてゆかねばならないのだ。


「ほとんどガス欠じゃないか。……今日はだいぶ頑張ったからな」


 俺は手前の蝋燭から火をともしつつ、進んでいった。この蝋燭は俺の「フェイクソウル」のエネルギー量を意味している。一番奥には「俺」が横たわっていて、もしこの蝋燭の炎がすべて消えるようなことがあると、「フェイクソウル」は枯れて消える。つまり本物の「死」というわけだ。


 このチャージ作業は集中力を要するので、目覚めている最中に行う事は極めて難しい。


 よって、眠っている時間――夜を充てざるを得ないのだ。本物の「俺」はアパートのベッドの上、というわけだ。

 俺は暗いプロムナードを蝋燭に火を灯しながら淡々と進んでいった。どのくらい歩いたろうか。やがて視界の奥に横たわっている「俺」の姿が見え始めた。俺は満タンまであと二、三十本程度と見当をつけた。


 ――やれやれ、やっとこれで現世に帰れる。


 俺がほっと一息つきかけた、その時だった。闇の中にレクイエムのメロディが響いた。


 ――くそっ、いったい誰なんだ、あと少しって時に電話なんかかけてくる奴は。

  

 俺は携帯の電源を切っておかなかった自分の迂闊さを呪いつつ、後ろ髪を引かれる思いで「入り口」の方に引き返し始めた。


                 ※


「もしもし、カロン?こんな時間にごめんなさい。実はちょっと困ったことになったの」


 電話の相手は沙衣だった。部屋の時計で時刻を確かめると、午後十一時半だった。


「こっちも色々と困ってるよ。……で、何だい」


「実はコインランドリーの帰りに女の人が襲われているのを目撃したの。私が声を上げたら犯人は逃げたんだけど、女の人が怯え切ってたから私のアパートで休ませてる。それで……その人の顔を見て、はっと気がついたの。この人見たことあるって」


「知ってる人だったのか。……で、誰だったんだい」


「知ってるというか、捜査の資料写真で見た顔だったの」


「資料写真で見た?」


「念のために名前を聞いて、間違いないと思ったわ。あなたも知っている人よ」


「勿体つけるなよ。いったい誰なんだ」


荒木洋子あらきようこさん。……荒木丈二の奥さんよ」


「なんだって?」


 俺は時計をにらみ、それから左手首の色を確かめた。灰色だ。まだチャージは三分の一ほど残っている。……しょうがねえ、暴れなければいいだけのことだ。

 俺はコートを羽織ると、無鉄砲な女刑事の自宅へと出向いた。


               ※


「すみません、私のために」


 リビングのローテーブルを前に青白い顔でうつむいている荒木洋子は、ショートカットの似合う三十手前の女性だった。


「いったい、何があったんです」


 驚くほど調度の少ない室内に驚きつつ、俺は洋子とテーブルを挟んで向き合った。


「もうすぐ主人の二周忌という事で、ボクサー時代のお友達の店で何かできないかっていう話をしていたんです。その帰り道で突然、真っ黒なスーツを着た男に襲われて……」


「顔は見ましたか?」


「それが……全身に貼りつくような黒いスーツを着ているうえに、顔も目の部分にスモークがかかったマスクを被っていたので何ひとつわかりませんでした」


「スーツだって?そんな暴漢、始めて聞いたな」


 俺が首を傾げていると、コーヒーカップの乗ったトレイを手にした紗枝が横合いから口を挟んできた。


「私つい、職業意識で「両手を上げなさい」って言っちゃったの。そしたらいきなり傍の電柱を拳で殴って威嚇してきたの。すごい音がして電柱に罅が入って……すごくスリムなのに化け物みたいな力で、身がすくんじゃったわ」


「何なんだそりゃあ……奥さん、相手に心当たりはないんですか?」


 俺が問い質すと、洋子は「わかりません」と即座に首を振った。


「ねえカロン、変だと思わない?ご主人はとうに亡くなっているし、奥さんを個人的に恨んでいる人間って想像しにくいわ。脅すのが目的だとしても、何のためかわかんないし」


「そうだな。旦那を殺した真犯人を目撃してるっていうならまだ話は分かるが……」


「……ねえ「復讐者」と「真犯人」が同一人物っていう考えはどうかしら」


 沙衣が唐突に、珍妙な推理を披露し始めた。


「「真犯人」が、自分を捕まえて欲しくて「復讐者」を装ってチンピラ二人を殺した……そして捜査が行き詰まったところを見計らって証拠を提供する……どう?」


「本気で捕まえて欲しいなら、さっさと自首すれば済むことだろう。わざわざ「復讐者」を装って自分をマークさせる動機は何だ?」


「……それもそうか。画期的な推理だと思ったんだけどな」


 本気でがっかりしている沙衣を見て、俺は全身の力が抜けていくのを覚えた。 


「とにかく今夜のところは彼女を自宅まで送って……何だ?」


 俺は沙衣が俺の左手首をじっと見つめている事に気づいた。 


「カロン、左手が……「黒い」わ」


 俺ははっとして左手首を見やった。チャージがまだ半ばの俺の手は、くすんだ灰色をしていた。見ようによってはどす黒くうっ血しているように見えなくもない。


「ああ、そうだな。チャージの途中で呼びだされたお蔭で、こんなに「白い」状態で来ちまった」


 俺が嫌味のつもりでそうぼやくと、沙衣が真剣なまなざしで俺を見返してきた。


「カロン、さっきの暴漢だけど……まるで凶器が歩いているような感じだったわ。もしまた会っても、普通に逮捕ができる相手じゃないと思うの。どうすればいいと思う?」


「凶器か……そうだな、俺だったら署に連絡して援軍を呼ぶかな」


 俺が当たり障りのない回答を口にすると、傍らでかたかたと小さな音がし始めた。洋子の手が恐怖で小刻みに震え、カップがテーブルに当たっていたのだ。


「あ……ごめんなさい」


「いいのよ。思いださせちゃったわたしたちが悪いの。……カロン、このくらいにして二人で送っていきましょう」


「ああ、アパートの周囲に不審な奴がいないか、俺が先に出て見ておくよ」


 俺はそう言うと、コートを羽織って一足先に沙衣の部屋を出た。


 冷たい空気を肌に感じながら階段を降りて戸外に出ると、歩行者の気配こそなかったものの、すぐ近くの路上に一台のバンが停められているのが見えた。


 バンの様子を遠巻きに見ていると、なぜか車内灯が点いたり消えたりを繰り返していた。


 俺は職質したい衝動に駆られ、バンに歩み寄った。変だ、と気づいたのは車内の様子がわずかに見えた時だった。


 車内に人の気配はなく、車内灯だけが勝手に点いたり消えたりしているのだった。放置車両か?そう思った瞬間、いきなり何かが俺の首に巻き付いた。


              〈第八回に続く〉

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