第6話 復讐者は升目を塗りつぶす


 アンフィスバエナとオルトロスの意味するところは、あっさりと判明した。

 どちらも「双頭の」怪物の名だったのだ。


「アンフィスバエナ」は、古代ローマの「博物誌」などに登場する頭と尾に口のある双頭の毒蛇で、「オルトロス」はギリシャ神話に登場する双頭の犬だ。


「単純に考えれば明石を見て言ったんだから、奴が二つの顔を持つ男だってことになる」


 俺が言うと、沙衣は「二つどころじゃないでしょ」と至極当然のように言いはなった。


「だってベンチャーの社長でアスリート、格闘技マニアで技術者、ついでに女たらし」


 俺はおいおい、と言いたくなった。最後の方は完全に見た目からの決めつけだ。


「調べてみたところ、アンフィスバエナの方は明石の手掛けている事業の名称でもあったんだ。「アンフィスバエナ・フィジカルプロジェクト」という格闘技用のスーツを開発する研究所だ。明石は投資で儲けた金を、そのプロジェクトに注ぎこんでいるらしい」


「じゃ、やっぱりこの「被害者」さんをモルモットにしてたってことよね。しらじらしく「ファンだ」なんて聞いてあきれるわ」


「まあそう早まるな。今のところ荒木と明石の接点はジムの会員同士だったというだけの話だ。君の言う通り明石が荒木の肉体に価値を見出していたのなら、むしろ殺害には関係していないと考えるべきだろう」


 俺が最も重要な点を指摘すると、沙衣は「あっ、そうか」と舌打ちした。


「……でも、何かの理由で話がこじれたのかもしれないし。それこそ違法な人体実験をばらすぞ、とか脅していたのかもしれないでしょ」


 矢継ぎ早に繰りだされる沙衣の推理に俺は呆れつつ、一応、念頭に置くべきでもあるなと思った。


「まずは実行犯を特定することだ。明石が裏で糸を引いていたとしても、その追及は次の段階だ」


 俺が釘を刺すと、沙衣は「んー、何か陰謀の臭いを感じたんだけどな」と口を尖らせた。


「次は荒木の「偽物」に襲われた男たちの検証だ。荒木を再起不能にしたのは事故死した二人を含む三名の人間で、いずれも荒木に薬物の運び屋を斡旋した裏社会の人間だ。生き残っている一人は現在、傷害の疑いで拘留されているが、その人物の証言によると荒木が殺害された時、襲撃の実行犯だった三人は一緒にいて、確かなアリバイがあったらしい」


「つまり復讐された人たちは殺害の実行犯ではないってこと?なのに復讐されたんだ」


「そうだ。「復讐者」を名乗る荒木の代理人はまず、荒木を再起不能にした三人を始末したうえで、殺害の実行犯を片付けるつもりでいる――というのが殺人課の読みだ」


「つまりターゲットは四人ってことね。その拘留中の人を張ってれば、いずれ「復讐者」が現れるんじゃない?」


「本件を持ちこんだ一係もそう踏んでいる。そこでまずは拘置所に行ってみようというわけだ。……この頼りない「被害者」も連れてね」


 俺は電車の乗客と一緒にゆらゆら揺らめいている「被害者」を一瞥し、肩をすくめた。


                 ※


「頼むから、さっさと真犯人とやらを挙げてくれ。でないとここを出たら他の二人と同じように殺されちまう」


 接見室のアクリル板の向こうで三人目の男――西鉄龍男にしがねたつおはすがるように言った。


「散々悪いことをしてきたんだ。そのくらいの覚悟はしておいて当然だろう」


 俺が少々、意地の悪い返しをすると、龍男は冗談じゃない、というように頭を振った。


「荒木が殺された時、俺たちは奴と和解する相談をしていたんだ。俺たちのせいで奴が再起不能になったのは事実だが、実はあの時、奴はこう言っていたんだ。「知り合いのIT社長が手掛けているベンチャーで、肉体を損傷した人間を再び戦えるようにする研究をしているんだ」と。

 奴はあきらめていなかった。俺たちも闇社会から足を洗って堅気になろうとしていたし、復讐される理由なんかこれっぽっちもないんだ、なのに……」


 龍男の口調は次第に泣き言交じりになっていった。俺は直感的に「こいつはやっていないな」と思った。


「その「復讐者」なんだが、本当に仲間の二人はそいつにやられたのか?」


「それは俺にもわからん。やられるところを見たわけじゃないからね。ただ、事故死する直前、切羽つまった口調で「荒木に殺される」っていう電話を寄越してきたのは事実だ」


「ふうん……ヤクで幻覚を見ていたって可能性は?確か一人は転落死で、一人はトラックの前に飛びだして撥ねられたはずだ。二人とも、いかにも幻覚っぽい死にざまじゃないか」


「俺のその可能性は考えたし、あんたのお仲間からも同じことを聞かれたよ。だが昔はともかく、死ぬ前のそいつらはヤクをやってはいなかった。なぜわかるかというと、二人とも次の仕事が決まっていたんだ。堅気になろうとする人間がヤクに手を出すはずがない」


「そうとも限らないぜ。堅気になるからといって、ヤクと手が切れるとは限らないだろう」


「それはそうだが……俺の感触では、あの喋りはヤクでラリッてる奴の喋りじゃなかった」


「ふうん……すると「復讐者」は荒木の人生を狂わせた奴らを律儀に殺して回ってるって事か」


「だったら、荒木を殺した奴を殺せばいいんだよ!生きてりゃあ、やり直せたんだからな」


 恐怖がピークに達したのか突然、龍男が激昂した。


「順番なんてどうでもいいだろう。何も四人も殺さなくたって……」


 どうやら龍男は次に狙われるのは自分だと思いこんでいるらしかった。俺は、背後で浮いている「被害者」を肩越しに見た。自分を再起不能にした一味の一人のはずなのに、龍男を見る「被害者」のまなざしにはいかなる感情の揺れも見られなかった。


「なあ旦那。頼むから俺が釈放される前に荒木の偽物か殺害犯、どっちか捕まえてくれよ」


 龍男は泣きつかんばかりの勢いで俺に言った。俺は「努力はする」と言って接見を終えた。


              〈第七回に続く〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る