第3話 浮かばれぬ魂、高く買います。


 その被害者は特務班が担当するにふさわしい、ろくでもない死にざまをさらしていた。


 俺は傍らの「当人」――つまり亡者に話しかけた。


「おい、何か思い出せそうかい、旦那」


 亡者はふわふわとそこいらを動きまわり、一か所に落ち着かせるのに骨が折れそうだった。俺は写真を見せようかと思ったが、自分の死体写真を見てショックで消えちまう亡者もいるので、奴らの扱いには細心の注意が必要だ。


「だめ。なにもわからない」


 亡者は血の気のない顔で言った。資料によると、こいつの場合は特に入念に「殺されて」いたようだ。全身を滅多突きにされた上、ご丁寧に首まで絞められていたという。怨恨か、異常性癖か、はたまた怨恨を装ったカムフラージュか。よくわからなかった。


「ここが殺人現場ですか」


 沙衣が廃墟と化したラブホテルの一室を、物珍し気に眺めながら言った。


「そうだ。ただし二年前の事件だ。その当時から荒れ果てていたようだが、事件の噂が広まって今じゃごみ溜めも同然だ。遺留品はとっくに持ち去られてるはずだから、今さら調べる必要はない。俺たちの仕事はそこに「いる」被害者からの聞きこみだ」


 俺はそう言って沙衣には見えない「重要人物」を顎で示した。


「誰がどこにいるんです?」


 訝し気に首を傾げた後輩に、俺は優しく「ここにいるじゃないか」と重ねて言った。


「まさか、被害者の霊が漂ってるなんて言うんじゃないでしょうね」


「そのまさかさ。死神は見えても、哀れな被害者の姿までは見えないようだな」


「……確かに、子供の頃から時々、おかしなものが見えることはありました。でもそれはずっと幻覚のような物だと思っていたんです。カロン先輩のようになんの疑いもなく霊だなんて決めつけたりはしません」


「なに、俺とコンビを組んでれば、いずれは「視」えるようになるさ」


「どういうことですか?」


「俺にはわかるのさ。「死神」がどうやらあんたを気に入ったらしいことがね」


 俺が凄みをきかせた声で言うと、沙衣は顔をこわばらせ、自分の両腕を掻き抱いた。


「……先輩、このままじゃ暗すぎます。カーテン開けて構いませんか」


 沙衣が心なしか血の気の失せた顔で言った。さすがに驚かせ過ぎたか。


「いいよ。誰かが外から今のあんたを見て、お化けと勘違いするかもしれないがな」


 沙衣は俺のジョークを無視して窓際に歩み寄ると、趣味の悪い柄のカーテンを開けた。


「いいお天気――」


 沙衣が殺人現場にふさわしくない平和な声を上げた、その時だった。


「きゃっ」


 窓に何かが当たる音がして、沙衣が悲鳴を上げた。


「なんだ?」


「鳥が……ガラスを突き抜けて……」


 ただならぬ雰囲気に思わず振り向いた俺は、目の前の奇妙な光景に言葉を失った。


 沙衣の顔面に、半分透き通った鳥が羽ばたきながら貼りついていたのだった。


「鳥の霊か。またおかしなものに好かれたな」


 俺が払いのけてやろうと近づいた、その時だった。俺の傍らを何かがすっと移動する気配があった。


「あっ……」


 俺に一歩先んじて沙衣に近づいたのは何と「被害者」だった。「被害者」は細い腕を伸ばすと、沙衣の顔面に貼りついた鳥の霊を引き剥がし、窓の方に投げつけた。大丈夫か、と声をかけようとした途端、沙衣がひときわ大きな悲鳴を上げた。


「きゃああっ」 


「どうしたんだ、鳥なら……」


「だっ……誰ですかこの人っ」


 沙衣の視線は俺ではなく、どうやら俺と沙衣の間にゆらゆら漂っている半透明の人物に向けられているようだった。


「……そうか、やはり「視える」ようになったか。まあ、職業病だと思ってあきらめるんだな」


 俺が慰めを口にすると、驚いたことに沙衣は眼鏡を直しながら、「被害者」をまじまじと眺め始めた。


「カロンさん、この人……怪我してます。救急車を呼びましょう」


 俺は全身から力が抜けるのを意識しつつ、正しい対処法のレクチャーを始めた。


「もう遅いよ。呼ぶなら霊柩車だ」


                  ※


 俺は見慣れた自分の部屋で、血の海に漬かって天井を見上げていた。


 目線を下に向けると、鳩尾のあたりから生えているナイフの柄が、マジックの演出のように現実離れして見えた。


 だらりと畳の上に下ろされた腕にはもう何の力もなく、辛うじて動く頭を傾けると、喉がごぼっと気味の悪い音を立てた。


 ――もう、どうにもいけねえな。


 俺は諦めの気分で戸口のところにいる黒づくめの人物を眺めた。


 金目のものを見つけ損ねて不機嫌そうな後ろ姿は、俺以上に不憫に見えた。人物は立ちあがると手袋をはめた手でドアノブを握り、ゆっくりと回した。


 人物がドアを開けて外階段に姿を消すまで、俺は助けての一言すら発することなく、ただ血の海に横たわっていた。頭に浮かぶことと言えば、これで敷金はぱあだ。それどころかアパートを事故物件にした責任を取らざるを得なくなるかもしれない。


 ――なんて馬鹿馬鹿しい人生なんだ。


 俺は徐々に襲ってくる静かな絶望感に、わずかな慰めを見出しながら目を閉じた。


 どうせ人に惜しまれるような人間じゃない。かけてきた迷惑はこの際、この世に置きっぱなしにしていっちまおう。神様だって今さら引き止めるつもりもないだろう。


 俺は次第に遅くなる鼓動に身を任せ、「その時」を待った。……だが。


 それからどのくらい経っただろう。いっこうに訪れない暗闇に焦れた俺が、今さら見たくもない世界を見るため再び瞼を開けたその時だった。


 ――なんだここは。


 俺の周囲は、安手のドラマに出てくるような霧の立ちこめる薄闇に覆われていた。


「これが……天国って奴か」


 俺が景色に負けず劣らずの安っぽい台詞を口にすると、突然、頭上からエコーのかかった男性の声が響いた。


「天国ではない。ここは三途の川のほとりだ」


「三途の川だと?悪ふざけもたいがいにしてくれ」


 俺がすでに息絶えたはずの口で悪態をつくと、驚いたことに答えが返ってきた。


「ふざけてはいないよ、朧川六文君」


「どうして俺の名前を……お前は一体、誰なんだ」


「そうだな……お前たちの言葉で言うなら、死神だ」


「死神だと?……死神が一体俺に、何の用だ」


 大方、魂でもよこせというのだろう、こんな不良品でよければ、喜んでくれてやろう。


「お前と取引がしたい。このまま放っておけばお前はじきに死ぬ。だがわしと取引をすれば、死から逃れられるだけでなく、不死の身体と新たな人生を得ることが可能だ。……どうだ、悪い話ではあるまい?」


 俺は血の海に浸かった頭で、死神とやらの言葉を反芻した。半分棺桶に足を突っ込んだ男がいいニュースだの悪いニュースだのと言われたところで、こちとら虫の息だ。相手の弱みにつけこんで商談を持ちかけてくるあたり、悪質な死神と考えて差し支えあるまい。


「仮にあんたに俺の魂をくれてやるとして……見返りは何だ?……それと、魂を抜かれた俺はどうなる?その辺の注意事項を教えてもらわないと「次へ」のボタンは押せないな」


「……いいだろう。契約内容を吟味するのは大事なことだ」


 死神がそう言うと俺の傍らにもやっとした黒い影が揺らめき、たちまち人の形を成した。


 身の毛もよだつ骸骨を思い描いていた俺は、現れた姿の意外さに閉じかけた瞼が開くのを意識した。俺の枕元に立っていたのは、青い作業服にネクタイを締めた年配男性――一言で言えば町工場の社長といった風情のさえない人物だったのだ。


「どうした、わしの外見が気に入らぬか」


「いや……今どきの死神ってのは随分と庶民的だなと思っただけだ。どんな姿だろうと俺には関係ない」


「これはわしが生きていた時の姿だ。とある小さな工場の工場長だった」


「それが死んで死神になったというわけだ。まさに波乱万丈の死にざまだな」


「わしが二度目の不渡りを覚悟して自分に生命保険をかけていた頃、死後の世界では死神バブルでね。まともな転生学科を出ずに試験を通っただけの非正規死神が溢れていたのだ。電車にはねられ闇の中を彷徨ったわしは成仏できず、中間冥界で職を探さねばならなかった。そしてたまたま求人のあった死神組織に雇われたのだが……そこが想像以上のブラック組織でな。知らない間に百体近い魂の借金を背負わされていたのだ」


「ふうん……死後の世界にも、甘い話には裏があったっていうわけか」


「その通り。ノルマを返さない限り、退職しても借金だけは残るという仕掛けに首でも吊ろうかと思っていたところ、ある筋から「現世に派遣され、霊感のある人間とチームを組む」という解決策を提示されてね。血眼で「浮かばれない霊が視える人間」を探したのだ」


「なるほど、それで納得がいった。つまり俺の「視える」力を貸してくれって言うんだな?」


「その通り。お前は殺人現場に出向き、死者の声を聞いて未解決事件を解決する。真犯人を捕えることでお前の株は上がり、キャリアに箔が付く。わしは真犯人が逮捕されることで成仏できた魂を回収し、借金を返す。借金を返し終えたら溜めた魂でいい転生学科に入学し、安定した正規の死神に就くことができるというわけだ」


「なるほど、話はわかった。……こんな魂でよければ好きにしてくれ。……ところで魂を抜かれた後、俺はどうやって生きていけばいいんだい。まさかゾンビになるってわけでもないだろう」


「わしはもう一つ、魂を持っている。仮の魂「フェイクソウル」だ。こいつを抜いたオリジナルの魂の代わりにお前の身体に注入する。仮の魂だから、お前は銃で撃たれても、手足をもぎ取られても死ぬことはない」


「ほう、そりゃあ気前のいい話だ。……だが撃たれても切り刻まれても死なないんじゃあ、周りに怪しまれるぜ」


「それは自分で何とかするんだな。いいか「フェイクソウル」は一日一回、エネルギーを充填せねば、枯れて消滅してしまう。それだけは忘れるな。それ以外にも色々な条件でエネルギーが目減りすることがある。


 エネルギーがゼロになって「フェイクソウル」が消滅すれば、お前はたちどころに死ぬ。その代わり、エネルギーさえあればお前はいつでも、わしの力を使うことができる。……ただし、お前と同じような特殊能力を持つ相手と戦う場合には、特殊な武器が必要になる」


 死神はそう言うと、俺の前に変わった形をした一丁の拳銃を放った。


「これは亡者の武器、アンデッドリボルバーだ。おまえにはその中でも最強の拳銃である「スケルトンマグナム」をやろう。これには一発しか弾が込められていないが、一発でも当たれば相手の身体をこの世から跡形もなく消し去ることができる」


「……スケルトンマグナム」


「本来の銃とは別に隠し持ち、特殊な相手と戦う時にだけ使うのだ。いいな?」


「ああ。どっちにしても俺は銃は嫌いでね。相手が凶悪犯だろうと何だろうと、撃ち殺すぐらいなら自分が死んだ方がましっていう人間なんだ。……だがこいつなら、心置きなくぶっ放すことができそうだ」


「エネルギーが満タンの時はお前の左手首が黒く染まる。エネルギーの減少と共に手首は白くなってゆき、切れると真っ白になる。真っ白になる前にどこかで補給しろ。くれぐれもエネルギーの切れかけている時に戦うような愚かな真似だけは避けろ」


「……ああ、わかった。じゃあ、お前さんの借金完済を祈願して、握手といくか」


「これでお前は今日から不死身の敏腕刑事だ。生まれついての特異体質に感謝するのだな」


 死神はそう言うと、俺の弱々しく掲げた手を握った。次の瞬間、身体の奥から熱い塊が凄まじい速度で飛び出し、代わりに冷たく人工的な何かが俺の中に注ぎこまれるのがわかった。


「うっ……」


 俺は短く呻くと。血の海からゆっくりと身体を起こした。


「どうだ、生き返った気分は」


「……というより死にぞこなった気分だな。まあよろしく頼むよ、相棒」


 俺がそう声をかけるとしょぼくれた年配男性の姿がゆらめき、たちまち黒いマントに身を包んだ骸骨へと姿を変えた。


「わしを呼びだす時はこの姿か、生前の姿かどちらかを選べ。相手によってはこの姿を見せるだけでも、かなりの威嚇効果があるはずだ」


 死神は町工場の親父の声で言うと、エコーのかかった笑い声を上げた。


「こいつはいい。俺は生まれつき容姿が冴えないのがコンプレックスでね。一度、見た目だけで相手をびびらせてみたかったんだ。これでやっとおまわりらしくなった気がするよ」


 俺は渦巻きながら俺の首筋へと吸い込まれてゆく死神を、親しみを込めて受け入れた。


 死神が身体に収まると、俺の腹から生えていたナイフがするりと勝手に抜け、血だまりの中にとん、と落ちた。


               〈第四回に続く〉

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