第4話 死者に口なし現場でニヤリ
結局、殺人現場に「被害者」を立ちあわせてわかったことと言えば、「誰かに呼び出された」ことと、「いきなり現れた顔のわからない人物に襲われ、絶命した」ことだけだった。
「困るなあ、あんた亡くなった当人なんだから。通常の捜査で判明したことと同じじゃ再捜査の意味がないんだよ。何か思い出してくれよ」
俺が苦言を呈すると「被害者」はさして困った様子も見せず、ベッドやテレビの間を玉つきの玉みたいに行きつ戻りつしていた。
「被害者」の名は
母子家庭で育ち、高校卒業と同時にジムの門を叩いたという。二十歳でプロデビュー、その後、フェザー級のタイトルマッチに挑戦するところまで上り詰めたが、怪我が元で第一線をリタイヤ、結婚はしたものの生活は徐々に荒んでいったらしい。
事件当時、被害者がどんな人脈と交際していたかを知るものは少なく、別居中だった妻も生活の様子は知り得ていなかったという。
腕に覚えのある成人男性をめった刺しにした犯人とは、どのような人間なのだろうか。
記録によると本捜査時は、過去の対戦相手に始まり友人知人、果ては闇の世界の人脈まで洗いざらい調べたが結局、容疑者の特定にまではいたらず、やくざの情婦に手でも出して殺されたのではとの憶測が囁かれたのみで、捜査本部は事実上、解散となった。
「ところが死後一年以上経って、別件を調べていた刑事が奇妙な噂を耳にした」
「噂ですか?」
「最近、事故で不慮の死を遂げたチンピラのうちの何人かが、命を落とす直前に知人とこんな会話を交わしていたというんだ。「死んだはずの荒木が俺を狙っている」とね」
「そんな……だって、本人はここにいるじゃないですか」
沙衣はそう言うと、ゆらゆらと部屋をさまよっている半透明の人物を指さした。
「そうだ。だからその話を聞かされた知人たちも「誰かが死んだ荒木の名を語り、復讐して回っているんじゃないか」と思ったらしい。もっともな話だ」
「語るといっても、よほど親しいひとじゃないと復讐なんてしないんじゃないでしょうか」
「だから最初は別居していた奥さんが疑われた。だが、強固なアリバイがあるため、容疑の対象から外されたんだ。そこでうちのトップは考えた。その復讐者が何者かはわからないが、復讐者が狙っているターゲットの中に必ず荒木を殺した人間がいるはずだ、そいつを炙りだせば復讐者の正体もおのずとわかる、とね」
「つまり荒木を殺した真犯人と、現在の「復讐者」を同時に逮捕できるというわけね」
「その通り。問題は現在、「復讐者」の特定をめぐる捜査が行き詰まっていて、別の未解決事件をに手を付け始めていた俺のところに急きょ、お鉢が回ってきたっていう点だ。トップは被害者「本人」に聞けは即、解決と踏んでいたらしいが、いざ聞きこみを始めてみればこの通り、楽勝とは程遠いありさまというわけさ」
俺はこれ以上、ダメージを受けようのない亡者に精いっぱいの恨みごとをぶつけた。
「そうですね。ご本人が何も覚えてない以上、捜査の進めようがありませんものね」
沙衣は挨拶を交わして以来、初めて俺の立場に同情らしきものをしてみせた。
「とにかくこの方に何でもいいから思いだしてもらわないことには、俺の能力も生かしようがないというわけだ。……そうだろう?」
俺は「被害者」に声をかけようとして一瞬、おやと首を傾げた。それまでは無目的にただ室内をさまよっていた「被害者」が初めて一箇所にとどまっていたからだ。
「おい、鏡なんて見ない方がいいぞ。なにしろあんたは亡くなった時の姿で……」
鏡の前に立っている「被害者」を見て俺ははっとした。鏡には何も映っていなかった。それはそうだろう。死者がいちいち鏡に映っていてはあちこちで大騒ぎになってしまう。
「カロンさん……この人、本当に鏡を見ているんでしょうか」
「何だって?」
「この場所から動かないってことは、ここに何かがあるってことを誰かに伝えたいんじゃないでしょうか」
「この場所って……鏡の前にかい」
「それは私にもわかりません。この場所で殺されたのかもしれませんし」
「それはどうかな。わざわざ背後から近寄っているのがばれる場所で殺すか?」
そこまで言って、おれははっとした。鏡の位置がどうもおかしい気がしたのだ。
「ちょっと待てよ。……まさか」
俺は「被害者」の身体を突き抜けて鏡の前に立った。鏡の縁を両手で掴み、力を込めて上下に動かすと、鏡はあっさりと壁から外れた。
「……きゃっ!」
鏡を外した後の壁を見て、沙衣が小さく悲鳴を上げた。俺は壁と「被害者」とを交互に見て、なぜこの場に立っていたのかを理解した。
「なるほど、こんなことを書かれたら死んだ後でも気になって仕方ないだろうな」
俺は壁に赤い塗料で書かれたメッセージに戦慄を覚えた。そこには短く、こう記されていた。「約束を破ったな。おまえはかならず報いを受ける」と。
〈第五回に続く〉
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