③
「でも、いまさら決意を無くしたって……どうしようもねえよ」
俺の決意は、ざくろを送り出すことだった。
タイミングが良ければ、確かにざくろとの将来を考えられたかもしれない。
でも、ざくろは知ってしまった。
ざくろとの婚約は、香織との別れに使われただけの
そして、疑念を否定してやることもできなかった。
俺は自分の正義に酔ったナルシスト。勝手にざくろを救って、満足した残酷なヤツだ。
「いまさらざくろと一緒になんて……なれるかよ。アイツにどんな顔すればいいんだ? 俺はざくろを泣かせ、嘘をつき続けた」
「なにグチグチ言ってんのよ、剣一にはざくろちゃんを救った責任があるじゃない」
いつしか似たような言葉を口にした人がいた。
「ざくろちゃんにとって剣一は絶対の王子様なんだよ? どうやったって絶対に返せない恩を、剣一に感じてるんだよ!? そんな剣一が辛い思いをしてるのに、見捨てようなんて思うわけないじゃない!」
「もう、遅ぇよ……」
「それでも、みっともなく甘えに行くのよ! 許してもらいなさいよ! 剣一がざくろちゃんを救ったのは事実なのよ!? いまさらウソの一つや二つ付かれたくらいで、剣一を拒否するわけないじゃないの!」
「そんな、情けないこと……」
「ざくろちゃんが見たいのは、その情けない剣一よ! ざくろちゃんは剣一に甘えてもらえないから、ずっと苦しんでたんじゃないの!?」
――ざくろの言葉が、蘇る。
『わたしには甘えてくれないのに、鮎華さんには甘えっぱなし!』
『わたし、もっと剣ちゃんに触れて欲しいよ。そういうのがないと、人ってきっと疲れちゃう』
「ハハ……ざくろ、言ってた。そんなこと、言ってたな」
ざくろが求めていたのは情けなくて、甘えたがる俺、か。
「俺、ずっと見栄張ってたから、な」
「いいじゃん。好きな人の前では誰でもいいカッコしいなんだから」
俺はざくろが好きだったから、見栄を張っていた? そんなこと考えたこともなかった。
俺は、ざくろが……怖かった。
駆け落ちを断られた時の、絶望が忘れられなかった。
どんなに助けたいと思っても、手からすり抜けていくのが怖かった。
自信があって、お金もあって、いつでも支えてやれるような男じゃないと、ざくろは守れない。
そんな男になれないと。ざくろはきっといなくなってしまう。
俺は絶対に、ざくろにだけは弱みを見せるわけにはいかない。
それが、ざくろの前で作り続けてきた、俺の姿だった。
「ウチなんて……そんな素敵な嘘、ついてもらったことないんだから」
『茜に嘘なんて、言わねえよ』
いつしかそんな寒い言葉を口にした日があった。
こんな嘘の集合体みたいなヤツが、よく言ったもんだ。
俺はもう、自分の口にした言葉さえ自信がない。茜にだって、知らず知らずの内に嘘の一つや二つ吐いているだろう。
「でも、ウチは剣一にたくさん嘘ついたんだよ」
「え?」
「だって、本当のウチなんて空っぽだもん。見栄張らなきゃ、きっと剣一になんて見てもらえなかった」
茜が、俺に好かれようと見栄を張ってた?
「ウチ、せっかちだし。どんなに好きだからって、十年も二十年も待てるワケないじゃん。剣一の気を惹きたいから言っただけに決まってるじゃん。
「……茜は、嘘つきだな」
最後の一言は、嘘。
俺の背中をこんなに押して、応援してないなんて。
氷川茜は、天下の大ウソつきだ。
「でも、ざくろちゃんはさ、剣一に嘘ついてもらえるんだよね? ざくろちゃんは剣一に見栄を張らなきゃって、思ってもらえるんだよね? うらやましいな……見栄張ったダッサイ剣一、見たかったなぁっ……」
「っ、あかね……」
少しずつ距離を取ろうとする、茜。
俺たちの距離は、いまが一番近かった。
今後、その距離が縮まることは、二度とない。
「だからさ、ウチに甘ったれたこと言わないでよ。言うのはざくろちゃん、ウチはもうウンザリするほど聞いたから」
「……なんで、だよ」
「うん?」
「なんで、お前はそんなに優しいんだよ……」
三年もの間、俺の学校生活を支えてくれたのは茜だった。
親切なクラスメートが勉強を教えてくれなければ、進級できなかった。
敵であるはずの風紀委員長が不登校を黙認してくれなければ、卒業だってできなかった。
心に空白が出来た時、一緒に遊んでくれるフレンドがいなければ、俺は立ち直れなかった。
そのすべてを支えてくれたのは、たった一人の女の子だった。
「俺、お前に甘えてばかりだった。茜になにもしてやれないダメな男だった。それなのに、俺のこと最後まで見捨てないでくれて……ありがとう」
返事はない、後ろから聞こえる息遣いだけが、そこに茜がいるとを教えてくれる。
「茜には一生かかっても返せないくらい、助けられてきた。だけど俺はっ……!」
「いい、そういうのじゃない。剣一といれて楽しかった、それだけで十分」
「釣り合ってねえだろ!」
「それはウチが決めること、剣一が決めることじゃない」
「そうだったとしても……!」
拳を固く握り、奥歯を噛みしめる。
「茜がっ、報われないじゃないか!!」
すべての元凶は俺だ。
けど……こんなに、優しい茜が、茜だけが報われないなんて、許せなかった。
「文句ひとつ言わず俺のことを支えてくれたじゃねえか。それなのに俺、ほとんど感謝すら口にしない最低なヤツだった。なのに茜だけが、辛い思いをするなんて、絶対におかしいだろ!?」
自分のしてきたことを棚に上げ、世界の不条理に毒を吐く。
「決意を持つキツさは俺が一番知ってる! なのに俺が茜に残してやれるのって、こんなものなのか!? 俺はどれだけ茜を傷つけ続ければ気が済むんだ!? 誰か茜を救ってくれるヤツはいないのかよ!? 一人くらいどこかにいてくれたって、いいじゃねえか!!」
こんないいヤツが、辛い思いをする世界なんて、間違ってる。
頑張った先にご褒美がない世界なんて間違ってる。
それなのに俺は茜に救われて、茜の側から去ることしかできない。
「なんで、誰も茜を助けてやらないんだよ。なんで俺は茜を助けてやれないんだよっ……!」
「剣一っ!」
背後から、怒鳴り声。
「怒んないでよっ、ウチのために怒んないでよっ!」
「だって、だってさあ……!」
「そんなことされたら……ウチ、嬉しくて泣いちゃうじゃんかぁ……」
茜が――好きだった。
屈託のない笑顔が好きだった。
傲慢なほど自信のある茜が好きだった。
距離を感じさせない言葉遣いが好きだった。
ねえ、剣一って呼びかける声が好きだった。
鬱陶しいくらい、絡まれるのが好きだった。
恋敵を助けてくれる茜が好きだった。
俺の背中を押してしまう、お節介な茜が好きだった……
「茜、ごめん、本当にごめん……」
「あは……なに、言ってんの。剣一、最高だったよ。本当にこの三年間、退屈しなかった」
茜は声を崩しながらも、笑い続けている。
別れを、台無しにしないために。
最後まで、茜には助けられてしまった。
同時に俺は、実感する。
ただ差し伸べられた手を、受け入れ続けることは苦痛なんだ。
途方もないくらいの感謝を、相手へ返せないことは……胸を掻き毟るほど、辛いということを。
そして俺は、それを大切な人に望み続けてきたんだ……
だから、俺は茜が望む形での別れを、受け入れるしかないんだ。
「早めに、負けろよ」
「どうだろ。剣一に勝ったウチ、サイキョーだし」
「友達、作れよ」
「うん、頑張る」
「……次、いけよ」
「……うん」
目を覆っていた暗闇が、ほどけていく。
そこに広がるのは闇一つない、目も眩むような明るい真っ白な世界。
その傍らで佇むのは――冥界の王、ハデス。
「ちゃっかり、してんのな」
「決意の喪失に立ち会うのは、余の責務だ。貴様には世話になった、黒田剣一」
「俺も助かった。この二年、お前がいなければ、きっと香織を追い出すことさえできなかった」
「相利共生。貴様が能力者となって、この街の能力者は減った。感謝する」
「そうかよ」
気づけば俺の身体は暗赤色に染まっていた。
消失の時は、近い。
「剣一、がんばってね」
「茜もな」
そう言うと、記憶が微睡み、世界が輪郭を失っていく。
くだらない決意を持った俺に、さようなら。
素敵な思い出をくれた、クラスメートに、さようなら――
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