「でも、いまさら決意を無くしたって……どうしようもねえよ」

 俺の決意は、ざくろを送り出すことだった。

 タイミングが良ければ、確かにざくろとの将来を考えられたかもしれない。

 でも、ざくろは知ってしまった。

 ざくろとの婚約は、香織との別れに使われただけの仮初かりそめだと。

 そして、疑念を否定してやることもできなかった。

 俺は自分の正義に酔ったナルシスト。勝手にざくろを救って、満足した残酷なヤツだ。

「いまさらざくろと一緒になんて……なれるかよ。アイツにどんな顔すればいいんだ? 俺はざくろを泣かせ、嘘をつき続けた」

「なにグチグチ言ってんのよ、剣一にはざくろちゃんを救った責任があるじゃない」

 いつしか似たような言葉を口にした人がいた。

「ざくろちゃんにとって剣一は絶対の王子様なんだよ? どうやったって絶対に返せない恩を、剣一に感じてるんだよ!? そんな剣一が辛い思いをしてるのに、見捨てようなんて思うわけないじゃない!」

「もう、遅ぇよ……」

「それでも、みっともなく甘えに行くのよ! 許してもらいなさいよ! 剣一がざくろちゃんを救ったのは事実なのよ!? いまさらウソの一つや二つ付かれたくらいで、剣一を拒否するわけないじゃないの!」

「そんな、情けないこと……」

「ざくろちゃんが見たいのは、その情けない剣一よ! ざくろちゃんは剣一に甘えてもらえないから、ずっと苦しんでたんじゃないの!?」


 ――ざくろの言葉が、蘇る。

『わたしには甘えてくれないのに、鮎華さんには甘えっぱなし!』

『わたし、もっと剣ちゃんに触れて欲しいよ。そういうのがないと、人ってきっと疲れちゃう』


「ハハ……ざくろ、言ってた。そんなこと、言ってたな」

 ざくろが求めていたのは情けなくて、甘えたがる俺、か。

「俺、ずっと見栄張ってたから、な」

「いいじゃん。好きな人の前では誰でもいいカッコしいなんだから」

 俺はざくろが好きだったから、見栄を張っていた? そんなこと考えたこともなかった。


 俺は、ざくろが……怖かった。

 駆け落ちを断られた時の、絶望が忘れられなかった。

 どんなに助けたいと思っても、手からすり抜けていくのが怖かった。

 自信があって、お金もあって、いつでも支えてやれるような男じゃないと、ざくろは守れない。

 そんな男になれないと。ざくろはきっといなくなってしまう。

 俺は絶対に、ざくろにだけは弱みを見せるわけにはいかない。

 それが、ざくろの前で作り続けてきた、俺の姿だった。


「ウチなんて……そんな素敵な嘘、ついてもらったことないんだから」

『茜に嘘なんて、言わねえよ』

 いつしかそんな寒い言葉を口にした日があった。

 こんな嘘の集合体みたいなヤツが、よく言ったもんだ。

 俺はもう、自分の口にした言葉さえ自信がない。茜にだって、知らず知らずの内に嘘の一つや二つ吐いているだろう。

「でも、ウチは剣一にたくさん嘘ついたんだよ」

「え?」

「だって、本当のウチなんて空っぽだもん。見栄張らなきゃ、きっと剣一になんて見てもらえなかった」

 茜が、俺に好かれようと見栄を張ってた?

「ウチ、せっかちだし。どんなに好きだからって、十年も二十年も待てるワケないじゃん。剣一の気を惹きたいから言っただけに決まってるじゃん。素顔すっぴんだって絶対見せないし、本当は剣一とざくろちゃんのことなんて……応援してないし」

「……茜は、嘘つきだな」

 最後の一言は、嘘。

 俺の背中をこんなに押して、応援してないなんて。

 氷川茜は、天下の大ウソつきだ。


「でも、ざくろちゃんはさ、剣一に嘘ついてもらえるんだよね? ざくろちゃんは剣一に見栄を張らなきゃって、思ってもらえるんだよね? うらやましいな……見栄張ったダッサイ剣一、見たかったなぁっ……」

「っ、あかね……」

 少しずつ距離を取ろうとする、茜。

 俺たちの距離は、いまが一番近かった。

 今後、その距離が縮まることは、二度とない。

「だからさ、ウチに甘ったれたこと言わないでよ。言うのはざくろちゃん、ウチはもうウンザリするほど聞いたから」

「……なんで、だよ」

「うん?」

「なんで、お前はそんなに優しいんだよ……」


 三年もの間、俺の学校生活を支えてくれたのは茜だった。

 親切なクラスメートが勉強を教えてくれなければ、進級できなかった。

 敵であるはずの風紀委員長が不登校を黙認してくれなければ、卒業だってできなかった。

 心に空白が出来た時、一緒に遊んでくれるフレンドがいなければ、俺は立ち直れなかった。

 そのすべてを支えてくれたのは、たった一人の女の子だった。


「俺、お前に甘えてばかりだった。茜になにもしてやれないダメな男だった。それなのに、俺のこと最後まで見捨てないでくれて……ありがとう」

 返事はない、後ろから聞こえる息遣いだけが、そこに茜がいるとを教えてくれる。

「茜には一生かかっても返せないくらい、助けられてきた。だけど俺はっ……!」

「いい、そういうのじゃない。剣一といれて楽しかった、それだけで十分」

「釣り合ってねえだろ!」

「それはウチが決めること、剣一が決めることじゃない」

「そうだったとしても……!」

 拳を固く握り、奥歯を噛みしめる。

「茜がっ、報われないじゃないか!!」

 すべての元凶は俺だ。

 けど……こんなに、優しい茜が、茜だけが報われないなんて、許せなかった。

「文句ひとつ言わず俺のことを支えてくれたじゃねえか。それなのに俺、ほとんど感謝すら口にしない最低なヤツだった。なのに茜だけが、辛い思いをするなんて、絶対におかしいだろ!?」

 自分のしてきたことを棚に上げ、世界の不条理に毒を吐く。

「決意を持つキツさは俺が一番知ってる! なのに俺が茜に残してやれるのって、こんなものなのか!? 俺はどれだけ茜を傷つけ続ければ気が済むんだ!? 誰か茜を救ってくれるヤツはいないのかよ!? 一人くらいどこかにいてくれたって、いいじゃねえか!!」

 こんないいヤツが、辛い思いをする世界なんて、間違ってる。

 頑張った先にご褒美がない世界なんて間違ってる。

 それなのに俺は茜に救われて、茜の側から去ることしかできない。

「なんで、誰も茜を助けてやらないんだよ。なんで俺は茜を助けてやれないんだよっ……!」

「剣一っ!」

 背後から、怒鳴り声。

「怒んないでよっ、ウチのために怒んないでよっ!」

「だって、だってさあ……!」



「そんなことされたら……ウチ、嬉しくて泣いちゃうじゃんかぁ……」



 茜が――好きだった。

 屈託のない笑顔が好きだった。

 傲慢なほど自信のある茜が好きだった。

 距離を感じさせない言葉遣いが好きだった。

 ねえ、剣一って呼びかける声が好きだった。

 鬱陶しいくらい、絡まれるのが好きだった。

 恋敵を助けてくれる茜が好きだった。

 俺の背中を押してしまう、お節介な茜が好きだった……


「茜、ごめん、本当にごめん……」

「あは……なに、言ってんの。剣一、最高だったよ。本当にこの三年間、退屈しなかった」

 茜は声を崩しながらも、笑い続けている。

 別れを、台無しにしないために。


 最後まで、茜には助けられてしまった。

 同時に俺は、実感する。

 ただ差し伸べられた手を、受け入れ続けることは苦痛なんだ。

 途方もないくらいの感謝を、相手へ返せないことは……胸を掻き毟るほど、辛いということを。

 そして俺は、それを大切な人に望み続けてきたんだ……

 だから、俺は茜が望む形での別れを、受け入れるしかないんだ。



「早めに、負けろよ」

「どうだろ。剣一に勝ったウチ、サイキョーだし」


「友達、作れよ」

「うん、頑張る」


「……次、いけよ」

「……うん」


 目を覆っていた暗闇が、ほどけていく。

 そこに広がるのは闇一つない、目も眩むような明るい真っ白な世界。

 その傍らで佇むのは――冥界の王、ハデス。

「ちゃっかり、してんのな」

「決意の喪失に立ち会うのは、余の責務だ。貴様には世話になった、黒田剣一」

「俺も助かった。この二年、お前がいなければ、きっと香織を追い出すことさえできなかった」

「相利共生。貴様が能力者となって、この街の能力者は減った。感謝する」

「そうかよ」


 気づけば俺の身体は暗赤色に染まっていた。

 消失の時は、近い。


「剣一、がんばってね」

「茜もな」


 そう言うと、記憶が微睡み、世界が輪郭を失っていく。

 くだらない決意を持った俺に、さようなら。

 素敵な思い出をくれた、クラスメートに、さようなら――

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