「茜、悪い」

 俺は地を蹴ると同時、現実浸食インフェクションで足元を爆破。

 両ベクトルの力点から打ち出された俺の体は、瞬き一つで茜の間合いに入る。茜は瞳を見開き、自身の油断に気付く。だがもう遅い。

「これで、終わりだ」

 至近距離での分断ディバイド

 闇の決意を吹き飛ばす、必殺の一撃。

 僅か手元を動かすも、既に分断ディバイドは茜の体を這っている。

 暗紫色の光を一身に受けた茜の体は――肉体を二つに裂き、中から暗紫色の液体をブチ撒けた。

「なっ……!?」

 不可解な状況に、思考が停止する。

 だが、それで終わらない。

 茜の血液、いや暗紫色の液体はそのまま俺を飲み込み、視界を暗転させた。

「なん、っだ、これ!」

 視界を遮る液体を払おうと、目元を手で覆う。だが、同時に後頭部をなにかに掴まれる。

髪留スタン

 両手両足の動きが、硬直する。

「……ごめん、剣一。ウチの勝ちだ」

 ――え。

 爪痕スカーズ

 その言葉が耳に届いた後――背に奔る、五枚の爪。


 体を奔る衝撃に、膝を折る。

 こめかみから足の先にかけて灼熱の鉄を充てられたような、激痛。

 その痛覚は身体を裂かれる痛みではない。脳に、心臓に、魂に、直接焼き付けられる、存在しない痛み。

 自分の体内から、自分という存在が切り離され、夢から醒めたような、泣きたくなるほどの、喪失感。

 そして傷を這う爪は、茜の指から細く生えた爪ではない。依代が携える闇を吹き飛ばすための、現実に存在しない能力による攻撃。

 俺の身体から……暗紫色の光は失われた。


***


「……マジ、かよ」

 負けた、のか?

 本当に負けたのか?

 俺の決意は、不意なる一撃によって……失われたのか?

「実はね、さっきまで剣一が戦ってたのは、ウチじゃないの」

「は……?」

副次能力サポートスキル分身リベカ。遠隔操作が出来る、もう一人の氷川茜ウチ

「嘘、だろ? 副次能力サポートスキルは、熟練者キャリアのひと握りしか習得できない。それをたかが一ヶ月足らずで」

「だから言ったじゃん、遊んでたわけじゃないって」

 未だ晴れない暗転した世界の中で。背中越しに回された腕が……俺の頭を抱く。

「確かに、茜の動きは早かった。けど、お前を熟練者キャリアと呼ぶには、まだ……」

「わざと動きを調整したのよ。剣一に油断してもらうためにね」

「な……」

「油断した剣一は勝ちを確信、分身リベカは敗北時に破裂し、相手の動きを封じる液体になる。剣一は疑いもなく分身リベカの罠にハマり、隙を狙って本体が攻撃。完璧でしょ?」

「そんな単純な罠に……かかったってのか?」

「バレてないか、ヒヤヒヤしたけどね。何度か本気で操作コントロールしたし」

 言われれば思い当たる節があった。

 開幕に見せた分断ディバイドの緊急回避、宙に逃れたはずなのに、突然背後を取られたこともあった。

 茜の動きは計画しつくされていた……?

 だが、いくらなんでも実力差が埋まりすぎている。茜がどんなに過酷な一ヶ月を過ごそうと、わざと手を抜くなんて行動が取れるだろうか。もし、そんなことが出来るとしたら未来予知でもでもしないと……

「未来予知じゃない。剣一の考えを読み取っただけ」

 考えを、読み取る?

「どこに着地するか、次はどう攻撃するか、本気を出さずこの戦いを続けたい、とか」

「お前、本当に……」

主能力メインスキル杜鵑草トリキルティス。相手の心に存在する自分と意思疎通をし、対象者の考えを本体ウチに伝達する能力」

「なんだよ、それ……反則級じゃないか」

「いいでしょ? でも剣一も悪いのよ。だってこの能力は相手の中に氷川茜ウチがいなければ行使できず、実体のイメージと近ければ近いほど意思疎通を完璧にする。そして少しだけど、本体ウチからの干渉さえ可能にする」

 二年間、ずっと顔を合わせ続けてきた俺が、茜のイメージを間違えるはずがない。だからこそ本物の茜とのリンクを濃密なものにした?

「……もしかして、俺がざくろに見せられた光景は」

「そ。ざくろちゃんの胡蝶グロリア正夢ソムニに、杜鵑草トリキルティスで剣一に棲む氷川茜ウチに干渉した。その結果、書き換えは失敗し、ウチは能力者となったざくろちゃんを止められた」

「そっ、か」

 つまり、精神世界で茜にぶつけられた言葉は、本人が発したものだった。

 その言葉で俺は目を覚まし、ざくろを忘れないで済んだってことかよ。

 ……本当に、どうしようもねえな。

「剣一から伝わってくる声、鮮明なくらい全部聞こえてきた」

 頭の上に硬いものが乗る。

 茜がアゴを当て、頭を乗せてきたのだろう。

「なんで、こんなハッキリ聞こえるかな」

「……しらね」

「だから聞こえたって言ったでしょ。剣一がざくろちゃんに言われてた言葉とか、剣一の考えてた未来とか」

「はは、それは……ゴメン」

「勝手に覗いた、ウチも悪い」


 好意を受けずに、厚意を受け入れる。

 ざくろと母様に見捨ててもらう。

 見捨ててもらうために俺は茜と……そんな、独りよがりの妄想。

 先のない俺に付き添うと言ってくれた、誰かさんの甘言に全力で乗ろうとする、情けない男の未来絵図。


「剣一が思い描いてくれた未来、メッチャ嬉しかった。でも、ダメだよ……」

 背後に響く、震える呼気。

「黒田剣一。婚約者のために働き続けて不登校、でも留年だけはしない要領のいい高校生。目立たないけど、どこか達観してて。大人しそうな顔して、ウチのことをイジり倒して。ぶっきらぼうなくせに付き合いだけは良い。そんな人に……ウチは引っかかったの」

 決意の喪失感に身を委ねながら、俺はぼんやりと茜の話を聞いていた。

 茜の言葉で語られる、茜の中にいる自分の姿。――相手の中に自分が存在する、嬉しさ。

 ふと、ハンバーガーショップでサンマをやり続けた日のことが胸を掠める。

 ざくろの駆け落ちで空いた穴を、とても満ち足りた気持ちで埋めてくれた人。誰と比べるまでもなく、俺にとってかけがえのない大切な人。


「ねえ、剣一」

 深呼吸一つと、澄み通った声。




「あなたのこと、好き。初恋だった」




 頭に回された手に、少しばかり力が籠る。


「でもウチが恋をしたのは、ざくろちゃんが好きな剣一だった。マザコンを拗らせて、当然のような顔をする剣一だった。だからその二人と一緒にいない剣一なんて、きっと好きで居続けられない。ウチの目を惹いて止まなかった剣一は……最初からそんな人だった」

 こめかみを親指で押し当てる。

 恨めしいと言わんばかりに、痛くない程度に締め付けながら。

「最初からウチにチャンスなんてなかった。だって剣一の心には、最初からざくろちゃんしかいなかった。勝手に惚れて、勝手にフラれた女が同じクラスにいただけ」

 ……俺は、その告白に返す言葉を持たない。

 だって、茜の吐露する想いは、同時に俺への別れの言葉でもあったから。

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