②
「茜、悪い」
俺は地を蹴ると同時、
両ベクトルの力点から打ち出された俺の体は、瞬き一つで茜の間合いに入る。茜は瞳を見開き、自身の油断に気付く。だがもう遅い。
「これで、終わりだ」
至近距離での
闇の決意を吹き飛ばす、必殺の一撃。
僅か手元を動かすも、既に
暗紫色の光を一身に受けた茜の体は――肉体を二つに裂き、中から暗紫色の液体をブチ撒けた。
「なっ……!?」
不可解な状況に、思考が停止する。
だが、それで終わらない。
茜の血液、いや暗紫色の液体はそのまま俺を飲み込み、視界を暗転させた。
「なん、っだ、これ!」
視界を遮る液体を払おうと、目元を手で覆う。だが、同時に後頭部をなにかに掴まれる。
「
両手両足の動きが、硬直する。
「……ごめん、剣一。ウチの勝ちだ」
――え。
その言葉が耳に届いた後――背に奔る、五枚の爪。
体を奔る衝撃に、膝を折る。
こめかみから足の先にかけて灼熱の鉄を充てられたような、激痛。
その痛覚は身体を裂かれる痛みではない。脳に、心臓に、魂に、直接焼き付けられる、存在しない痛み。
自分の体内から、自分という存在が切り離され、夢から醒めたような、泣きたくなるほどの、喪失感。
そして傷を這う爪は、茜の指から細く生えた爪ではない。依代が携える闇を吹き飛ばすための、現実に存在しない能力による攻撃。
俺の身体から……暗紫色の光は失われた。
***
「……マジ、かよ」
負けた、のか?
本当に負けたのか?
俺の決意は、不意なる一撃によって……失われたのか?
「実はね、さっきまで剣一が戦ってたのは、ウチじゃないの」
「は……?」
「
「嘘、だろ?
「だから言ったじゃん、遊んでたわけじゃないって」
未だ晴れない暗転した世界の中で。背中越しに回された腕が……俺の頭を抱く。
「確かに、茜の動きは早かった。けど、お前を
「わざと動きを調整したのよ。剣一に油断してもらうためにね」
「な……」
「油断した剣一は勝ちを確信、
「そんな単純な罠に……かかったってのか?」
「バレてないか、ヒヤヒヤしたけどね。何度か本気で
言われれば思い当たる節があった。
開幕に見せた
茜の動きは計画しつくされていた……?
だが、いくらなんでも実力差が埋まりすぎている。茜がどんなに過酷な一ヶ月を過ごそうと、わざと手を抜くなんて行動が取れるだろうか。もし、そんなことが出来るとしたら未来予知でもでもしないと……
「未来予知じゃない。剣一の考えを読み取っただけ」
考えを、読み取る?
「どこに着地するか、次はどう攻撃するか、本気を出さずこの戦いを続けたい、とか」
「お前、本当に……」
「
「なんだよ、それ……反則級じゃないか」
「いいでしょ? でも剣一も悪いのよ。だってこの能力は相手の中に
二年間、ずっと顔を合わせ続けてきた俺が、茜のイメージを間違えるはずがない。だからこそ本物の茜とのリンクを濃密なものにした?
「……もしかして、俺がざくろに見せられた光景は」
「そ。ざくろちゃんの
「そっ、か」
つまり、精神世界で茜にぶつけられた言葉は、本人が発したものだった。
その言葉で俺は目を覚まし、ざくろを忘れないで済んだってことかよ。
……本当に、どうしようもねえな。
「剣一から伝わってくる声、鮮明なくらい全部聞こえてきた」
頭の上に硬いものが乗る。
茜がアゴを当て、頭を乗せてきたのだろう。
「なんで、こんなハッキリ聞こえるかな」
「……しらね」
「だから聞こえたって言ったでしょ。剣一がざくろちゃんに言われてた言葉とか、剣一の考えてた未来とか」
「はは、それは……ゴメン」
「勝手に覗いた、ウチも悪い」
好意を受けずに、厚意を受け入れる。
ざくろと母様に見捨ててもらう。
見捨ててもらうために俺は茜と……そんな、独りよがりの妄想。
先のない俺に付き添うと言ってくれた、誰かさんの甘言に全力で乗ろうとする、情けない男の未来絵図。
「剣一が思い描いてくれた未来、メッチャ嬉しかった。でも、ダメだよ……」
背後に響く、震える呼気。
「黒田剣一。婚約者のために働き続けて不登校、でも留年だけはしない要領のいい高校生。目立たないけど、どこか達観してて。大人しそうな顔して、ウチのことをイジり倒して。ぶっきらぼうなくせに付き合いだけは良い。そんな人に……ウチは引っかかったの」
決意の喪失感に身を委ねながら、俺はぼんやりと茜の話を聞いていた。
茜の言葉で語られる、茜の中にいる自分の姿。――相手の中に自分が存在する、嬉しさ。
ふと、ハンバーガーショップでサンマをやり続けた日のことが胸を掠める。
ざくろの駆け落ちで空いた穴を、とても満ち足りた気持ちで埋めてくれた人。誰と比べるまでもなく、俺にとってかけがえのない大切な人。
「ねえ、剣一」
深呼吸一つと、澄み通った声。
「あなたのこと、好き。初恋だった」
頭に回された手に、少しばかり力が籠る。
「でもウチが恋をしたのは、ざくろちゃんが好きな剣一だった。マザコンを拗らせて、当然のような顔をする剣一だった。だからその二人と一緒にいない剣一なんて、きっと好きで居続けられない。ウチの目を惹いて止まなかった剣一は……最初からそんな人だった」
こめかみを親指で押し当てる。
恨めしいと言わんばかりに、痛くない程度に締め付けながら。
「最初からウチにチャンスなんてなかった。だって剣一の心には、最初からざくろちゃんしかいなかった。勝手に惚れて、勝手にフラれた女が同じクラスにいただけ」
……俺は、その告白に返す言葉を持たない。
だって、茜の吐露する想いは、同時に俺への別れの言葉でもあったから。
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