終章

 黄金色に染まった住宅地。

 孤高空間アイソレイトが生み出す、現界を模倣した別世界。能力者が存分に力を振るうことの出来る闘技場コロシアム

 そして現実浸食インフェクションの持つデメリットを帳消しに出来る、掟破りの副次能力サポートスキル

 相手のフィールドへ呼び込まれた対なる能力者は、鉤爪を構えて喉を搔き切らんと地を駆ける。

分断ディバイド!」

 フライを振り被り、唐竹に斬撃を放つ。

 地を奔る、暗紫色の衝撃波。しかし茜は接触寸前で二時方向へ跳躍、住宅の屋根へ回避。行き場を失った衝撃波は、延々と前へ進み模造品レプリカの街を破壊し尽くす。

 俺は能力の発現により、脚を地に縛られる。その隙を視た茜は、両爪を振り上げ急降下。

 ――回避には移れない。

 交差クロスに振り下ろされる二対の五枚刃。回避には移れない、やむを得なず、真下からフライで受ける。

 フライの先に手を添え、鉤爪の間に差し込む。馬籠戦同様に線なる防御。受けは油落としの穴ではなくフライ返し本体。

 腕いっぱいに伸ばした依代で線なる防御は、鉤爪の根と衝突して激しく金属音を立てる。爪は合間を縫って俺の首元に伸び……文字通り首の皮一枚で、食い止められた。

 後は鍔迫り合い。茜は体重を乗せ、上から力任せに押し込もうとしている。

 軋みを立てる依代の合間から覗く、獲物を前に見開かれる雌豹のまなじり。理性を失った獣の口から駄々流しにされた涎が、俺の顔に滴り落ちる。

「……きたねえぞ、茜」

 茜は応えない。応えられない。

 俺たちは本能に抗い、一ヶ月以上も決闘を保留にした。

 理性的な思考を維持するのは難しい。それは熟練者キャリアとなった俺とて変わらない。熱は下がらず、指は震え、思考が纏まらない。一ヶ月足らずの新参者あかねが、正常な精神を維持するのは不可能だ。

「涎を飲ますプレイが好みなら……別の場に、してくれよっ!」

 踵を叩き、現実浸食インフェクションを発現。茜の足元に突き上げる岩塊を創出。

 異変に気付いた茜は、体制を僅かに崩すも、後方へ跳躍。その場に立ち尽くし、様子を見ようと脚を止める。

「意外と冷静だな。さんざ焦らしプレイをした挙句、ここに来て立ちんぼか?」

 安い挑発。だが茜は眉一つ動かさない。

 ……茜の状態がわからない。

 分断ディバイドを回避し、岩塊を交わす反応速度は冷静といっていい。

 だが、血眼ちまなこ得物おれを見つめ、涎を駄々流しにする様は狂戦士バーサーカーそのものだ。爪を地に這わせ、低く構える様子も……どこぞの偏愛者アリサを思わせる。

 挑発の意味を理解しないのか、挑発と理解しつつ冷静なのか。

 だが、俺とて条件は同じ。

 こうして相手の様子を窺おうとする反面――茜への加虐心が抑えられない。

 フライを持つ手は震え、意味もない嗤いが口端に浮かぶ。

「ひどいじゃないか、茜。俺があげたプレゼント、真っ二つにするなんてさ?」

 茜が言葉に反応し、微嗤ほほえむ。

「降ろした髪も好きだけど、俺の前なら髪を留めてくれ。そんな物騒な鉤爪カタチにしないでさ?」

 あの髪飾りは俺がやった物。

 それを依代に選ぶのなら、俺の存在が茜にとって大きいことを意味する。

「もう一度、髪留めにして戻せ。そうしてまた自分を縛り付けろ。そしていつまでも俺の茜でいてくれよ!?」

 自分の脚を抑えることが出来ず、欲望のままに茜へ飛び掛かる。

 対して茜は回避行動を取らず、迎撃態勢に移る。

 分断ディバイドを使用せず、俺は物理的に依代フライで茜を傷付けにかかる。が、茜は僅か横に跳び、俺は地面に向かって斬撃を振り下ろす。力任せに降ろしたフライが地を陥没させ、地面に深々と突き刺さる。

 ハハハ! バカか、俺は!

 俺の基本戦術は間合いを取って放つ、分断ディバイドによる遠距離攻撃だ。

 それなのに、なぜ俺は自分から近距離戦闘を仕掛けてるんだ? 自分から負けに行く気か!?

 地に依代を突き刺した隙を視て、茜が爪を伸ばす。

「バカ、甘いっ!」

 俺は地に刺さったフライを自ら手放し、その場で跳躍して攻撃を回避。そのまま茜の後方に回り、素手で茜の後ろ髪を乱暴に掴む。

「こうやって、前みたいな髪型に戻すんだ」

 髪を引かれたことに苛立ったのか、茜が振り向き様に回し蹴りを放つ。

「おっと」

 俺は茜の脚を掴み、蹴りの勢いを支点に――アスファルトへ叩きつける。

「がっ……!」

 強化されてるとはいえ、衝撃の痛みに耐えられなかったのか、茜は初めて声にならない声を発する。

「俺だって伊達に二年も決意を抱えてるわけじゃない。近距離専門の能力者にだって、遅れは取らねえよ!」

 踵を叩き、茜の寝ている地面に岩塊を隆起させる。勢いよく茜は吹き飛ばされたが、空中で体勢を立て直し、両足でしっかりと着地をする。

「さすがに……ざくろ意外との戦闘経験もありそうだな」

 茜の動きは戦い慣れしてると言ってもいいくらいだ。初体験はじめてが俺じゃないと思うと、苛立たしくもあるが……同時に倒錯的な昂りも感じる。

 だが、先ほどみたいな軽率な行動は危険だ。簡単に組敷くことが出来るなんて考えでは、寝首を掻かれるだろう。

 しかし、次に茜が取った行動が、そんな考えをあっけなく崩す。

 鉤爪の指を目の前に掲げ、逆向きにクイクイと引き寄せる――挑発のサイン。

「はっ、舐めてんのか?」

「……ウチに触れたいなら、来なさいよ?」

 自らの意志で言葉を発した。

 そして言葉の意味に、どろりとした劣情を胸に抱く。

「見ない内に、下品になったか?」

「変わんないわよ。剣一がウチに幻想でも見てたんじゃないの?」

「はっ、誰がお前なんかにっ!」

 翔ぶ、茜を組み伏せるため。

 禁断症状にあえぎながらも、意味のある言葉を発したことに悦びを隠せない。

 俺はまだ一人じゃない。俺の投げたボールを受け止めるヤツは、まだこの世にいるっ!

 大きく振り上げた渾身の斬撃を、茜は縦に構えた爪の根で受ける。だが盾とした爪は二対の一つ、当然フリーになった爪が横薙ぎに振るわれる。

現実浸食インフェクション!」

 俺が触れる現実は地面のみ、作用する箇所は地面しかない。通常であれば爪との間に岩塊を挟ませ防御とするが、茜の鉤爪は岩塊を切り裂く可能性がある。で、あれば――

 茜の立つ足場が、エレベーターのように垂直に隆起。当然、横薙ぎにされた爪は宙を掻く。

 下方に位置する俺はそのままさかきにフライを薙ぎ、前に屹立する岩塊に分断ディバイドを放つ。衝撃波により中心から両断された岩塊は真っ二つに倒壊、けれど能力者へ届いた手応えは無し。

 追撃が、来る。

 上方への注意を向け、迎撃の体勢に入るが――茜の姿が見えない。

「そっちじゃ、ないわよっ!」

 背後!?

 気付くが遅い、横薙ぎの鋭い衝撃に脳が揺れる。

 いつ背後へ回ったのか。着地ざまに茜が放った後蹴ソバットが決まり、俺はアスファルトを転がされる。

「……痛ってぇな」

「ウチだって痛かったわよ。乙女をアスファルトに叩きつけるなんて、どうかしてんじゃないの?」

「いいじゃん、俺と茜の仲だろ?」

「なにそれ。剣一はウチと殴り合いをするのが望みだったってワケ?」

「たまには悪くないだろ。だって……楽しくないか?」

 茜がきょとんと、不思議そうな顔をする。

「俺は楽しいぜ。茜とこうしてで遊べるなんてさ?」

「……なるほど、ね」

 茜もそう言って、不敵に笑う。

 互いに溜めてきた欲望が発散されつつあるのか、思考回路は落ち着いて来た。もう手の震えや、危険を顧みない加虐衝動は鳴りを潜めている。

「サンマじゃ結局、協力プレイしかできない。でも、前のバドミントンみたいに……本当は茜と競い合いたかったのかもしれない」

「ふん。剣一はサンマのやり込みが足りないのよ。ウチと同じレベルになれば、いまよりもっと楽しめるんだから」

「それは悪かったな。でも体を動かして、こうやって競い合うのも――」

「うん、楽しい」

 茜はそう言って、俺の胸へ飛び込んでくる。

 一度しかつけられない勝敗を巡り、互いの魂を賭けた決意を胸にして。

 茜の決意が気にならないと言えば、嘘になる。

 だが、そんなことより目の前のレクリエーションが楽しくて仕方がない!

 どんなに力を振るっても身体強化が死ぬことを許さない。殴られれば痛みも感じるが、この高揚感と能力を振るう爽快感に比べれば、なんてことはない!

 これまでの何百戦と決闘をしてきた。だが、決闘を楽しいと思ったことは、これが初めてだ。

 いま俺と茜が興じているのは、親愛なる人とのドッジボール。それも全力を叩きこんでいい、本気のぶつけ合い。

 体を交えることなんかより、何倍もキモチイイ。俺たちはそんなものを遥かに超越した、上位のコミュニケーションを取っている。

 間合いに入った茜の爪が縦横無尽に振るわれる。俺は攻撃をあえてフライで受けず、体を捩って回避。 

 隙を見て足払いをかけるが、反応され跳躍。足癖の悪い茜は返る重力で、俺に踵を落とさんと垂直降下。後方へ足を滑らせ、降下位置から逃れるも――茜はそのまま地を蹴って、こちらへ追撃を加えんと爪を振りかざす。

「いいね……その執念深さが茜っぽくてさぁ!?」

「なに言ってんの! 相手がチキンなら、ウチが攻めてくしかないでしょうがっ!」

 依代同士の剣戟けんげき。鉤爪は既に何度も俺の肩を、頬を、掠めている。そして俺のフライからは意識せずとも炎が零れ、何度も茜の毛先を、肌を焼いている。だが、直撃でなければそんなものは掠り傷。いまはこの互いの持つ能力を、相手にぶつけることしか考えられない。



 だが、愉しい刻も長く続けば飽食を迎える。

 次第に体は疲労を訴え、高揚感も薄れさせ、体の痛みに興が削がれていく。

「は――やるな、茜。ここまで俺に長期戦をさせるなんてよ……」

「なに剣一こそ、先輩風吹かせてんのよ。ウチだってこの一ヶ月遊んでたわけじゃないんだからっ……」

 互いに肩で息をする。もう体感で一時間以上は刃を交えたか。

 だが、その中で俺は気付いてしまった。俺と茜の間に存在する圧倒的な実力差を。

 時折、俊敏な動きを見せるも近接戦闘にしては愚鈍。そしてなにより致命的なのは攻撃の軽さ。

 能力を見せず、必殺のタイミングを隠すにしても、このままでは茜が隙を作ることなど不可能。そして俺は……感傷から茜と決着を引き延ばしていた。

 一振りに茜と決着をつけてしまえば、もう二度とこの愉しい刻は訪れない。また義務的に能力者の決意を奪っていくだけのチカラとなる。その空虚さがイヤで、俺は茜をこの遊びに付き合わせた。


 茜と会うのは、一か月ぶり。

 そして、俺は決闘の中でどうしようもなく気付かされてしまった。

 自分がどれだけ氷川茜という存在を必要としているか、ということを。

 俺は決して茜のコウイを受け入れることはできない。

 それは茜にも……俺にとっても辛く、苦しいものになるだろう。

 だが、十年以上も茜を待たせることはない。

 ざくろは俺との未来にあるものを、見つけてしまった。

 早く大人になる必要を、気付かせてしまった。

 俺は生涯、罪悪感を抱えて生きていくことなのだろう。

 だが、ざくろには母様がいてくれる。

 俺の母様では、なくなるかもしれないが。

 それでも、ざくろに幸せが訪れるなら、俺は――

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