3-20 残雪

「黒田先輩、決意が変わらないって」

「言葉通り、俺はいつの日かざくろと道を違える」

「……本気で言ってるんですか」

「ああ。生憎、誰も俺に土をつけてくれなかったしな」

 馬籠は苦虫を潰したような顔をする。

「自ら決意を捨てることは――」

「出来なかっただろ、お前だって」

 自己の決意が揺らぐことはある、疑問に思うこともできる。だが捨てるというのは至難の業だ。

 ハデスの言を借りるなら、決意を自ら手放せたのは片手で数えられるほど。自分がその内の一人に入れるとは思わないし、決意を失いしめるほどの絶望も感じていなかった。

「しかし、それでは……」

「マゴちゃん」

 説得を塗り重ねる後輩を遮る。

「俺のことは、忘れろ」

「しかしっ!」

「やっぱマゴちゃん、いい子だな」

「今はあなたの話をしてるんですっ!」

「そうやって、俺なんかに必死になってくれちゃってさ」

「黒田先輩には、目を覚まさせてもらいましたから」

「そんな風に、解釈してくれたのか?」

「闇の決意は、間違いなく呪いです。失われて然るべきなんです。抱えた時は大事なものに思えても、それは必ず……」

「誰かが負ければ、誰かが勝つ。決闘に両成敗はない、必ずどちらかが勝者になる」

「わかってます。でも」

「いいんだ。いつの日か成就させる日がくれば、俺だって自由になれる。その時は焼肉でも行こうぜ」

「また、そうやってあなたは適当なことばかり。……また氷川先輩に怒られますよ」

 茜、か。

「先輩同様、卒業式にも来ませんでした」

「そっか」

「……なにか、ありましたか」

「さあ、会ってないし」

「そうですか」

 話に一区切り。話すこともないし、話せることもない。

 ここで説得をあきらめたのか、待たせる人に気を遣ったのか。馬籠は踵を翻す。

「決意、なくしたら連絡ください。そのとき気が向いたら奢られてあげますよ」

「は――十年後まで、連絡先変えんなよ。覚えてたら誘ってやる」

 馬籠は寂しそうな笑みで応え、去っていった。


 俺はざくろに向き直る。

 ざくろは俺と馬籠を気にしないようでいて、ずっとこちらを盗み見ていた。



***



「ねえ、今日はご馳走にしようよ?」


 俺の決意、それはざくろを旅立たせること。


「胃袋をつかむ、とっておきの料理作っちゃうから」


 残った理由は俺自身がざくろを害しかねない、クソ野郎だから。


「自分用のスマホ、やっぱり持った方がいい? 学校で友達ができるか、わからないけど……」


 香織が消えて心配事は減った。だが……俺はざくろに傷を残した。


「アルバイトもしてみたい。剣ちゃんだけに働かせちゃったら、なんか悪いし」


 だって決意を胸にした時の感情を、ざくろは生涯忘れることはないのだから。


「ねえねえ、どう思う。剣ちゃん?」



 名前を呼ばれて、それが自分に向けられていた言葉だとようやく気付く。

「……そうだな、いいんじゃないか」

「やった! わたし学校始まるの楽しみ。剣ちゃんと一緒に暮らせることもぜんぶ! わたし、剣ちゃんと婚約してからいいことばっかり!」

 明るい声が胸に空々そらぞらしく響く。

 ざくろの作り笑いに、作れていない笑顔で応える。

「剣ちゃん、大丈夫? 今日もすごい震えてるよ? やっぱり風邪じゃ……」

「大丈夫、だ」

 耳に膜が張ったように、ざくろの声が聞こえづらい。

「でも……」

「本当に、大丈夫だからっ」

 言って、ざくろの手を振り払ってしまう。

「あ……」

 刹那、ざくろの泣きそうな顔が目に入る。


 ――なに、やってんだ俺。

 今日はざくろとの入籍日だろ。

 それなのに、今日は一段と……抑えられない。


「剣ちゃん」

 気が付くとざくろは足を止め、少し離れた位置で立ちつくしていた。

「ひとつ聞いて欲しいことがあるの」

 初めて見る顔だった。

 表情がころころ変わるざくろは、まるでカラフルなキャンパス。

 だが、いま浮かんでいる表情は、白一色だった。

 見方一つで美しくも見えるし、無にも見える不思議な色――


「わたしを……お母さんから引き離してくれて、ありがとうございます」

 そう言って、頭を下げた。

 ざくろに、礼を言われてしまった。

 いつかの母様の言葉が蘇る。

『ざくろは生涯、「助けてくれてありがとう」なんて言わない』

 その言葉はどこに行ったのか。

 お礼は言われたということは、なにを意味するのか……?


「お母さんと最後に会った日からずっと、剣ちゃんと鮎華ママがわたしを大事にしてくれた理由を考えてみたの」

 ざくろは不安そうな瞳で、俺の顔を見上げる。

「昔はわからなかったけど、いまならわかる。少しずつお母さんを卒業させてくれたのは剣ちゃんだから」

 ざくろの目は確かに真正面を向いている。

 でも、瞳に携える光は、俺が本当に望んだものだったのかどうか。

「剣ちゃんのおかげでわたし、前を向けるようになった。ステキなことが外にいっぱいあるってわかった。でも……剣ちゃんはそんなステキを見せるために、頑張り続けてくれたんだよね」

 ざくろは気づいた。

 考えた。

 覚えていた。

「剣ちゃんがしようとしたこと、わかっちゃった。最近、ずっと剣ちゃんのことしか考えてなかったから」

 それが本当なら、その気付きは毒でしかない。知恵の実を口にしたざくろは、楽園を後にしなければならない。

 そして、ざくろは口にする。だからね――なんて子供っぽい前置きをして。


「私は黒田剣一さんが好き。でも、きっと……剣一さんは、そうじゃないんだよね?」


 反射的に否定の言葉が――出せない。

 それは、禁じ手。

 俺には誰の好意も受け取れない、呪いがある。

 その否定は、明確に好意の受け取りを意味する。

 闇の決意を抱えた俺に、ざくろの疑念を否定することは許されない。


「……好きなフリ、しなくてもいいから」

 大人になってしまったざくろが儚く、寂しく笑う。

「私、剣一さんの言う通りにする。少しずつ立派な大人になれるよう、頑張る」

 旅立ちを求められたざくろは、きっといち早く成長して俺の元から去っていくのだろう。

「私、剣一さんが仕事を始めても、きちんと家で待ってるから。剣一さんが私を鮎華ママの子供にしてくれたから、寂しくない。でも……」

 ざくろは俺に背を向ける。

「たまには私にもかまってね? じゃないと剣ちゃんのママ、とっちゃうから……」

 ひとり、アパートへ向かって逃げるように駆けだす、ざくろ。

 だが俺には、その後を追うことができない。

 後を追う理由を、作ることだってできない。


***


 暖かい陽光に、梅の香りが漂う住宅街。

 凍えるような冬が終わり、すべてを成し遂げた俺は……守るべき人を突き放し、一人で歩く道を選んだのだ。


「……クソ」

 踵で地面を蹴る。意図せず能力チカラが入り、地面には亀裂が入る。

「クソ、クソクソクソ!!!!」

 辺り構わず、大声で叫び散らす。

「なにが、守るだよ。なにが、闇の決意だよ……バカじゃねえのか」

 俺は一人だった。

 馬籠の忠告も、アリサの結末を知って尚、自ら決意を捨てなかった。

 捨てなかった?

 捨てられなかった?

 負けられなかった?

 怖かった?

 ……わからない。

 自分の考えてることが、自分でもわからない。

 俺はバカだから自分を縛り付けるものが、わからなくなってしまった。

 わからなくすることで、逃げ続けてきた。


 ああ、まただ。

 手の震えが止まらず、汗も止まらない。

 インフルエンザは治ったと云うのに、一向に下がらない体温。

 だが、俺はこの症状に心当たりがある。




 ざくろは、いつ決意を失った?

 能力者となったざくろは、決闘相手でもある俺を依代とし、俺の記憶を書き換えようと能力を行使した。

 精神を浸食され、危うく記憶を失いかけたが……結局、ざくろの願いは叶わなかった。

 だがハデスには言われていた、ざくろに勝てないと。

 俺が不可能を可能にしたのであれば、カッコいいが……本当にそうなのか?

 だが、ざくろは確かに決意を失い、自分が消えてなくなろうという考えを失った。

 ざくろは間違いなく決闘に敗北したのだ。


 ……誰に?

 俺以外の誰かが、ざくろの決意を阻止した?

 あのログハウスにいた人間で。

 それは疑念から、徐々に確信へ変わっていった。

 この仮定が正しければ、俺とその誰かはあの場で対峙している。

 そして手の震え。

 これは本能を抑え込むことによる、身体が起こす禁断症状。

 だって俺たちは一ヶ月ものあいだ、決闘保留をしているのだから。





 ――そして、そいつは必ずそんなタイミングで、現れる。





 俺に寄せるのは好意ではなく、厚意。

 厚意の受容は決意に反することがない。

 そのタテマエを理由に隣へ座ろうとする……都合のいいオンナ。


 母様とざくろの絆は、生涯続くだろう。ざくろと離縁することがあっても、二人の関係は断ち切れない。

 俺は二人に見捨ててもらうことが望ましい。

 二人に見捨てた罪悪感は残させない、見捨てるべき存在だと思わせる。そのオンナはすべてを型に当て嵌めることのできる、最高の存在。


 決意を知りながらも離れることを拒否し、いつでも後ろで支え続けてきてくれた。

 同時に俺の目を惹き、心奪う振る舞いをやめない、蠱惑的なクラスメート。


「――孤高空間アイソレイト


 俺の孤独にさえ、割って入ることを躊躇わない唯一の人。




「アカネェェェェッっ!!!!」




 地を蹴り、その場を退く。

 先ほど立っていた場所に、轟音。

 猛然と舞い降りた能力者の攻撃が、大地を割る。


 振り向き、その姿を目に収める。


 マフラーを靡かせる、凛とした姿。

 二年ぶりに目にする、降ろした髪。

 もう彼女の後頭部に花緑青エメラルドグリーンはない。

 精神世界で二つに分かたれたバンスクリップは、現実でも分かたれ茜の両手に収まっている。

 髪飾りは手の甲を覆う大きさに形を変え、彼女の指に這う鉤爪かぎづめと化していた。

 それは能力者、氷川茜の依代。


「久しぶりだな、茜」


 全身から迸る熱が止まらない。

 口元に自然と浮かぶ、笑み。

 昂った欲望を散らす期待に、身の毛が総立つ。


 震える指は禁断症状。

 決闘保留は本能に逆らう行為。

 だからこそ俺――いや、俺たちは限界だった。

 思考は纏まらず、相手を踏み躙ることしか考えられない。


 対なる能力者も同じ。

 瞳を充血させ、肩で息をし、涎を零しながら酷薄に嗤っている。


 一ヶ月の決闘保留。

 そこにどんな意味があるかはわからない。

 


 問いただせばいい。

 だが俺たちが必要としてるのは、言葉じゃない。

 いま、必要なのは互いの欲を散らすための、決意の衝突。


「来いよ、今日こそ可愛がってやる」


 茜は応えず、地を駆ける。

 対なる能力者の躰に、自身の爪痕を残すため。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る