3-19 祝福、そのあとに

 あれから一ヶ月ほどが過ぎた今日、ホワイトデーこと三月十四日。

 厳しい寒さにも時折、南風が吹く暖かな日。

 俺たちは地元の市役所に婚姻届を提出した。

「それでは受理いたします。ご結婚、おめでとうございます」

 女性の係員さんがそう言って証書筒を渡してくれると、高齢の職員さんが手を打ち始める。それに合わせて待合席からも、手を叩く人が現れ、ロビー全体を巻き込んでの大喝采へと発展する。

「あ、ありがとうございます!」

 俺が振り返り、待ち合い席に頭を下げると、横にいたざくろも「ありがとござましゅ!」と、噛み噛みのお礼を返す。

 たどたどしい俺たちの様子に、ロビーの人たちからの優しい視線。ざくろも本物の果実みたいに赤くなる。

「おめでとう、奥さんを大事にするんだよ」

「はい!」

「お前が返事するな」

 俺のツッコミにロビーが湧き立つ。おいそこ夫婦漫才とか言うんじゃねえ。

 声をかけてくれたおばあさんに礼を言い、俺とざくろは拍手を浴びながら市役所を後にする。


「はあっ、ビックリした……」

 自動ドアを出た俺は開口一番、安堵の息を吐く。

「わたしもほっぺたがあつい! でも、ちょっと嬉しかった」

「本当は顔を憶えられる前に、受け取ってもらえればよかったんだけどな」

「それは剣ちゃんがわるい!」

 ざくろが頬を膨らませ、抗議する。

 実は市役所へ提出に来たのはこれが初めてじゃない。三回目だ。

 理由は婚姻届の不備。

 思っていたより書類は細かいところまで見られるらしく、ざくろの住所が戸籍と違うとか、本籍地にアパートの部屋番号書いちゃダメとかいろんなことを言われた。知るかっ!

 そんなこんなで予定より二週間も遅くなってしまった。

 さすがにキリのいい今日ばかりは絶対に受け取ってもらう! ……けど万が一のNG食らった時、その日再提出できるよう朝一で! ……と、そんな感じだ。

「まぁーったく、剣ちゃんはおっちょこちょいなんだから! でもホワイトデーに受け取ってもらえたから、ゆるしてつかわそう」

「ははあっ、恐れ入ります。鬼嫁ざくろ様」

「誰が鬼嫁じゃい、じゃいじゃい!」

 空いた手でポカスカと殴り掛かってくるざくろ。


 ログハウスの件があった後。

 インフルエンザと診断された俺たちを介抱するため、母様は久しぶりに俺たちのアパートへ帰ってきた。

 本当は俺たちが叔父さんの邸宅に泊まる案もあったが、体の弱ってる婆様に移ったら死にかねないとのことで没になった。まあ当然か。

「ったく、二人揃って仲のいいことだね」と文句を言いつつも、甲斐甲斐しく看病をしてもらい……治った頃には母様のインフルエンザの看病をするというお約束のパターンと相成った。

 そして看病し、される中で、香織が失踪した顛末を報告した。

 説明途中、何度も怒られ「なんでアタシを頼らなかった!」と怒鳴られた。けど香織が二度と俺たちの前には姿を表せないことを伝えると、一言「そうかい」と寂しそうに言った。

 母様とて、心残りだったんだろう。

 ざくろのことで何度も香織と口論をしたが、香織を改心させることは叶わなかった。

 だから母様にとって、ざくろの一言は救いになったはずだ。

「わたしには、鮎華ママがいるもん」

 母様は嬉し涙に濡れ、自分の娘を抱き寄せた。

 若干、二人の深まる仲に若干のジェラシーを覚えつつ、俺もその幸せな光景には胸を打たれた。

 母様は俺よりも長い間この問題に向き合ってきた。

 この結末は母様が望んだ最良の結果ではなかったかもしれない。それでもざくろに新しい母親ができ、母様に娘が増えたことは、未練を覆すほどの出来事だと俺は信じている。


 完治後は慌ただしい毎日。

 学校へ行き、担任に今までの素行不良を詫び、就職先の紹介をお願いした。

 いまからでは少し選択肢が少ないとのことだが、なんとかいくつかの紹介を貰い、面接の毎日だ。場所は県内でも県外でも通える範囲であれば問題ない。俺たちが遠くに引っ越す必要はなくなった。もう香織はいないのだから。

 ざくろと母様を引き離す必要もない。二人はいまや付き合いたてのカップルみたいにべったりだ。毎日電話もしているし、頻繁にメッセージも交換している。

 俺のスマホで。

「そうだ! ママに結婚できたって報告しなきゃ! 剣ちゃん、スマホ使うね」

「いい加減、自分のスマホ持てよな」

「二台も持ったら、お金がもったいないよ~」

 ざくろは慣れた様子で自分のバッグに入った俺のスマホを取り出し、ポチポチと母様と文通をし始める。

 最近、俺はもっぱらサンマすら触れていない。ざくろと母様の連絡専用機と化しているからだ。

「剣ちゃん、ママに写真送ろうよ。しょうめいしょの写真もつけて!」

「そうだな、せっかくだし」

 俺はもらった証書筒の中から、一枚の書類を取り出す。

 婚姻届受理証明書。

 控えの残らない婚姻届の代わりになる、手元へ残せる唯一の証明書だ。

「これを二人で広げてさ、ピースしながら写真撮ろ? すっごい笑顔で!」

「もちろんいいけどさ、書類広げながらピースって腕足りないだろ」

「そっか。う~んこまったな~」

 ざくろの棒読みのような声を出すと――通りがかりの男性に声をかけられる。


「良かったら、手を貸しましょうか?」

「ああ、すいませんお願いでき……って、マゴちゃん?」

「黒田、先輩ですか?」

 眼鏡の奥にある切れ長の目が、大きく見開かれる。

 最後にまともに会話をしたのは三か月前、十二月にクラスメートと風紀委員室に行った以来。

 いつもの制服姿とは違い、今日はベージュのセーターに、群青のストレートデニム。背が高いだけあって、すらっとした足が目立って腹が立つ。

「びっくりしましたよ、先輩とこんなところで会うなんて」

 言いながら馬籠は、俺の出てきた建物……区役所を見る。悪かったな、問題児が市役所なんかに用があって。

「で、そちらは?」

 俺の横に立つざくろをちらと見る。

 その視線を感じたざくろは、ささっと俺の背に隠れる。

「こら、人見知り。隠れるな」

「だ、だって……イケメンこわい」

 クソッ、俺にはイケメンなんて言ったことないクセに、馬籠には初対面で言いやがって。

 隠れたざくろに馬籠は背を曲げ、優しい目をしながら言う。

「こんにちは、お嬢さん。僕は馬籠雄一郎、黒田先輩と同じ高校で風紀委員をしています」

 そう語りかけるとざくろは、背から少しだけ顔を出し、小さい声で「こんにちは」と言う。

「ふふ、そう怖がらないでください。僕だって可愛いお嬢さんに嫌われたら傷ついてしまいます」

「マゴちゃん、キショイぞ」

「……」

 張り付いた笑顔に、青筋がひとつ。

 けど、それにもめげず馬籠はざくろへの質問を進める。

「よろしければ、お名前を教えてください。お嬢さんの名前は?」

「黒田、ざくろ」

「ざくろさんですか、とてもかわいらしい名前だ」

 そういってイケメンオーラを纏った、馬籠はわざとらしくニコッと爽やか笑顔を見せつける。

「今日はお兄さんとお出かけですか?」

「……わたし、妹じゃないです」

 ざくろはおずおずと俺の前に出て、俺の手にある書類をひったくる。

「わたし、黒田ざくろに、今日なりました」

「……え」

「今日、黒田剣一とけっこんして、黒田ざくろになったばかりです!」

 小さな胸を張り、証明書を掲げてドヤ顔をする。

「え、黒田先輩、結婚、ってもしかして本当に?」

「ああ、言ったじゃないか。俺、結婚するって」

「え、でも、こんなに小さい子と……犯罪? いや、ロリコン?」

「剣ちゃんはロリコンじゃありません、マザコンです」

「は???」

 馬籠の顔が混乱ですごいことになっている、面倒だから俺は手身近に説明してやる。


***


「……そうですか。卒業はできたと聞いてましたが、結婚の方も問題なくできたんですね、おめでとうございます」

「ああ、在学中は迷惑かけたな」

 先日、卒業式があった。当然、参加しなかったが。

 だって、みんな嫌だろう?

 真面目に通った生徒に混じって、不登校児がしれっと卒業式に参加していたら。 

「あなたのおかげで僕も先代同様、不良生徒を改心させられなかった不名誉な風紀委員長になってしまいましたよ」

「悪いな」

「いえ、僕にはもうあなたを改心させる使命はありませんから。ただ、ご自分のやられたいことを最後まで全うされたようで、少し嬉しいです」

「少しかよ」

「ええ、少しです。だってあなたは……」

 言いかけて馬籠はざくろの顔を見て、言葉を濁す。

「それより、先に写真をお撮りしましょうか?」

「はい、お願いします!」

 ざくろは馬籠にスマホを渡す。あれが自分のスマホだということも、そのうち忘れてしまいそうだ。

「じゃ、並んでください、撮りますよ。……はい、チーズ」


「ブイ!」

「ぷふっ」


「なんか先輩、鼻の穴が大きいですね。もう一回撮りましょうか?」

「大きなお世話だ、これでいい」

 馬籠が「はい、チーズ」なんて言うので、シャッターの瞬間に笑ってしまった。もう一度撮ったって同じだ、「はい、チーズ」なんて言われたら、どうせまた笑う。

「じゃ、ママに写真送るね。まごめさん、ありがとう」

「ええ、こちらこそ。それより旦那さんのこと少し借りてもいいですか?」

「だ、だんなさん……」

 ざくろは急に縮こまって、頬を染めている。

「う、うん。いいよ、減るもんじゃないし」

「ありがとうございます。じゃ先輩、ちょっといいですか」

「俺の意思確認はなしかよ」

「いいじゃないですか、減るもんじゃないですし」

 馬籠はそう言って俺の腕を掴み、少し離れたところに連れていく。


「どこまで行くんだ」

「別に。ただざくろさんの前だと話しづらい」

「なんでだよ」

「先輩に確認したかったからです。――いまも決意を失っていないのかどうか」

「お前……決闘の時の会話、憶えてるのか?」

「もちろん、別に僕は負けたからって記憶を失ったわけじゃない」

 馬籠の言う通りだ。

 決意の喪失とは、決意への執着を失うこと。別に記憶が消えてなくなるわけじゃない。ハデスから聞かされたことだ。


 そのハデスはログハウスの一件以降、俺の前から消えた。

 もう一ヶ月以上、あの不気味な姿を見せていない。どうやら俺はあるじではなくなったらしい。

「僕は、知りたい。先輩の決意の行方が。ざくろさんと結婚するということが、どういう意味なのか」

 俺はそれに薄笑いで……応える。


「変わらないよ。……ざくろが旅立つ日まで、俺は負けられない」


 決意は、未だ挫けず、胸の内にあった。

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