3-17 これから始まる素敵な新婚生活(interlude❶)

 俺が八歳の頃、母様は隣に住む女の子をよく家に呼ぶようになった。

 でも、俺はその娘がキライだった。

 だって母様の子供は俺なのに、母様はその子にばかり優しくしようとする。それが気に入らなかった。

 母様はその子とお風呂に入ったり、おやつを与えたりした。

 俺はたびたび母様へ不満を口にしたが、逆に遊び相手をしろと怒られた。

 でも、無理だった。

 その子に自分の意志がなかったから。

 おもちゃを見ても触ろうとしないし、自分から喋ろうともしない。好奇心が殺された、魂の抜けた少女。

 そんな相手とどうやって遊ぶことができるのか、俺にはわからなかった。


 俺の態度に見兼ねて母様は、その女の子のことを教えてくれた。

 その子は自分の母親にイジメられていてるとのことだった。

 言われてから気付いたが、女の子はよくケガをしていた。それは恐ろしいことに母親がつけた傷だというのだ。

 女の子がかわいそうだと思うと同時、腹が立った。

 俺はその子を守ってやらなきゃいけないと思うようになった。

 女の子の名前は――**********――ひかわ あかねと言うらしい。

 同い年で、笑う時ニッと歯を見せて笑うのが特徴だ。この子の笑う顔は見ていてなんだか元気になる。僕がこの笑顔を守ってやらなくちゃ。


 母様は良くあかねのお母さんとケンカをした。

 言ってることはよくわからなかったけど、あかねを守るために頑張っているということはわかった。

 あかねはケンカの声を聞くと怯えてしまうから、俺がずっと泣かないように抱き締めてあげた。あかねはその間、俺にぎゅうと必死で抱きついてきて、なんだか可愛らしかった。俺が必要とされてるんだと思うと、嬉しかった。


 ――**********それから母様の努力の甲斐あって、あかねは学校に行けるようになった。

 俺とは同じ小学校。同じクラスにはなれなかったけど……

 学校に通うようになってから、あかねはとても明るくなった。

 男の子たちとサッカーなんかもしてたらしいけど、俺が目にすることはなかった。

 まごめって男の子にキャラクターの傘をあげたことで、あかねはまごめくんのこと好きなんだーと、囃し立てる声が聞こえてなぜかすごく冷や冷やした。

 あかねが、俺の知らない男の子を好きになったら嫌だなって、思った。俺はすごくあかねのことが気になったけど、なぜか小学生のあかねの顔はあまり思い出せなかった。


 ――**********中学に進学、俺はバスケ部に入った。

 茜はバドミントン部に入り、二年生で生徒会に入った。

 仲が悪かった記憶もないが、学校で顔を見た記憶はほとんどない。

 でも、茜はいまも家で虐待を受けている。近所からの通報で何度も警察や児童相談所の人が来たが、茜は虐待の事実を一向に認めようとしないらしい。強制的に連れていかれても、家に帰りたがるとかなんとか。

 だから俺は、茜との駆け落ちを計画した。

 本気で茜を助けたかった、茜が泣いてるのを見たくなかった。

 でも結局それは叶わない。

 茜は家事をしないと香織に叩かれると怯え、香織の元に返してくれと矛盾した願いを口にする。そうして俺の駆け落ちはあっけなく失敗した……


 高校に入り、俺と茜は初めて同じクラスになる。

 その頃の茜はだいぶキレイになって、俺はいよいよ茜から目が離せなくなっていた。

 初めて同じ学校、同じクラスになった俺たちは、同じスマホゲームにハマっていることを知った。

 それからは二人で四六時中過ごすようになり、放課後はずっとマルチプレイをする日々。そして俺たちは……とても自然に恋に落ちた。

 初めてのデートに髪飾りを買ったらその場でつけてくれて、とても嬉しかったのを憶えている。手を繋いでも振り払われることなく、俺を受け入れてくれた。

 家まで送り届けたその帰り道で――**********――俺は痣をつけられた茜と出会った。その時に俺は思ったんだ、俺が茜を守ってやらないといけないって。

 そして俺は茜との結婚を決意し、学校を辞めることを決意した。

 だが茜には学校を辞めるのだけは反対された。だから茜は風紀委員に入り、俺が仕事に行くため学校をサボることを全力で黙認させた。卒業だけは絶対にする、でないと就職先だって少ない。頭のいい茜の言うことだ、俺はその言葉を信じて茜の厚意に甘えた。


 ……俺、いつ茜にプロポーズしたっけ。

 茜が風紀委員に入って仕事に行くのをサポートしてくれたってことは、茜にプロポーズするのが先だったはず……

 ――そうだ、仕事を始めて一週間後に、七百万の結納金を用意することを条件に同棲の許可を得た。その時にプロポーズしたんだ。

 その夜、俺は部屋に寝る茜の寝顔を見て――**********――ひどく安心したのを憶えている。

 思えば茜に抱いた気持ちは初恋だった。

 初恋が実ることは中々ないという。

 それを結婚にまで持っていけたんだから、俺ってなかなかツワモノじゃないか?

 幼少期から近くにいて、俺を慕ってくれていて、泣かせたくないってずっと願い続けてきて。

 頭もよくクラスでは優等生のポジションを確立し、風紀委員長に抜擢されるくらい人望の厚い人に成長した。

 ちょっとストーカー癖が気になることもあるが、自慢の婚約者だ。俺にはもったいないくらい、綺麗でなんでもできる素敵な女性。

 それが氷川茜。

 だから俺は窓から見える満月を見ながら、決意したんだ。絶対にこの人を幸せにしてやろうって。


***


「それが剣ちゃんの現実になるの」

「なに、それ」

 ざくろちゃんが口にしたのは、あまりにも荒唐無稽な話。

「わたしはもう剣ちゃんの迷惑になりたくない。だから茜さんが剣ちゃんの婚約者になって」

「バカ言わないでよ……そんなことできるわけないじゃない!」

「できるよ。剣ちゃんと茜さんだったら、とってもお似合いだし」

「それじゃ、ざくろちゃんはどうなるのよ」

「わたしは、みんなに迷惑をかけたから消えるの」

「消えるって……」

「剣ちゃんの中のわたしが茜さんになったら、剣ちゃんにわたしは見えなくなる。それでおしまい」

 ざくろちゃんの体から暗紫色の蝶が次々と現れ、あぐらをかいて昏睡する剣一に鱗粉を振り巻き、消失する。そうして剣一の記憶を書き換えているというのだ。

 ――胡蝶グロリア正夢ソムニ、ざくろちゃんが剣一を眠らせた言葉だった。

「こうして決意を持ったら理解できた、剣ちゃんにも決意があったんだね。だからわたしと剣ちゃんの間で、決闘が始まった」

 剣一から聞いた、胡散臭い決意と能力の話。

 能力を持つ者同士は惹かれ合い、出会ったらお互いの決意が消滅するまで戦い続ける。どちらかが決意を失う時まで。


 ――ざくろが勝った場合、剣一は”ざくろを旅立たせる”そして”好意に応えない”という決意を失う。

 形だけ見れば、ざくろと結ばれる未来さえ見えてくる。だが、ざくろの持つ決意がそれを許さない。

 剣一はざくろの記憶を書き換えられ、見えなくなってしまうというのだから。


 剣一が勝った場合、ざくろが”自分が世界にいらない”という決意を失う。

 これまでとなにも変わらない。

 ざくろへの好意を否定し続け、ざくろは自己否定することなく、剣一への好意を振りまき続ける。

 だが剣一が目指すゴールはざくろが愛想を尽かし、剣一の元を離れることだ。その日まで、剣一は自らの決意に縛られ続ける。

 どちらにしても救いはない。


「剣ちゃんがどんな決意を持ってるか知らない。でもこんな不安な気持ちから出てきた能力なら、きっといいものじゃないよね。だから決意を失った後、わたしを忘れた後の剣ちゃんを、茜さんに任せたいんだ」

「なに言ってるのよ。剣一はざくろちゃんのことが好きで、ずっと頑張ってきたんだよ? そんなこと言ったら剣一がかわいそうじゃない!」

「かわいそうなのはずっとだよ。わたしに出会ったせいで剣ちゃんは、学校に行くのやめて仕事をして、茜さんとのことも邪魔しちゃった」

「違う! ウチと剣一はっ!」

「茜さん、顔に書いてあるよ。剣ちゃんのこと、好きで好きでたまらないって」

「違う、よ……」

 なに、弱気になってるのよ。

 ざくろちゃんのために、剣一のために、わたしはざくろちゃんの言うことを否定しなきゃ……


 でも、剣一が負ければ、ウチにとって夢のような時間が始まる……?


「だから、茜さんがうんと優しくしてあげて欲しい。わたしじゃ剣ちゃんを上手に甘えさせてあげられないから」

「なによ、それ……」

「それにわたし、本当は剣ちゃんを好きかどうか自信がないんだ」

「え?」

「剣ちゃんにああいう聞き方しちゃったけど、わたしだってよくわからないの。剣ちゃんをお父さんだと思ってるのか、お兄さんだと思ってるのか、男の人だと思ってるのか」

 困ったように笑い、頬を掻く。

「剣ちゃんが、わたしを恋人として扱って、求めてくれたら、そんなわたしになれたかもしれない。でも、そうはならなかった」

 婚約者と一緒なのに、愛を囁きすらない生活。そんな状況では確かに、兄妹や親に抱く気持ちと区別するのは難しいのかもしれない。

「でも茜さんの中にある剣ちゃんへの思いは、ホントでしょ?」

 ざくろちゃんが小首を傾げ、聞いてくる。

「わたしみたいな、自信のない”好き”で茜さんに迷惑をかけたくないの」

「迷惑って、なにを」

「剣ちゃんと茜さんのこいじをだよ?」

 目の前の少女が、大人びた表情で柔らかく微笑む。

「わたし、お母さんのいうこと聞いて頑張ったつもりだったけど、周りのみんなよりがんばってこなかった。剣ちゃんも、鮎華さんも、茜さんも、わたしのためにがんばってくれたのに、わたしは黙ってお母さんのいうことを聞くだけだった」

「そんなこと……」

「だからわたしみたいながんばらない人より、誰かのためにがんばれる茜さんと剣ちゃんが一緒にいたほうがいいと思うの」

 完全な本心じゃないのかもしれない。ざくろちゃんは口にしながら、涙さえ流している。

「お願い、茜さん。剣ちゃんを好きになってあげて。わたしなんかじゃ剣ちゃんみたいな立派な人を、支えてなんてあげられないから」

 悲しく、笑う。

 その表情は、恋に敗れた、女の表情。

 ざくろちゃんが剣一を好きかわからないなんてウソだ。だってざくろちゃんこそ、顔に書いてある。

「だから、わたしと剣ちゃんの過ごしてきた時を、ぜんぶ茜さんにあげる」

 記憶の改竄。

 思いを育てた時間の、偽エピソード。

「それがわたしにできる、剣ちゃんへの償いだから……」

 そう言うと、ざくろちゃんの体から無数の蝶が現れる。

「剣ちゃんを、よろしくお願いします」

 決意の奔流となった蝶が、剣一目掛けて殺到する。

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