3-13 最後に残ったコウイ
香織が失踪し、一夜明けた。
俺は一睡もできなかったが、ざくろは横で寝息を立てている。
社長はざくろに割り振られる仕事が決まり次第、連絡すると言って去った。
香織が社長にしていた借金は――千二百万円。
普通、個人にそんな金を貸すはずはない、だが早乙女家は持ち家だ。それを担保に社長は貸したと言っている。
子供に借金の負担義務はないし、担保があるなら抑えればいい。ざくろが返す必要は間違いなくない。
だが、ざくろは言ってしまう。わたしが返します、と。
洗脳は当人がいなくても効力を発揮するもの。ざくろは香織が失踪したとしても「自分は関係ない」なんて言えないのだ。
「お母さんが迷惑をかけたなら、子供であるわたしが返さないと」
香織を挟んだ俺の言葉はなに一つ届かない。なに一つ、ざくろを変えることができない。
……なんだったのだろう、俺がざくろと過ごした時間は。
俺はざくろを救ってやれなかった。
ただ七百万払って、香織に消えてもらっただけ。残ったのは香織の借金だ。笑うしかない。
社長を、殺す。
それしかない。
悪いなハデス、期待されたモラルなんて俺にはなかった。
でも構わないだろう?
冥界がどんなところかしらないけど、ここは地獄だぜ?
希望なんか欠片もない。
騙した人が得をして、誠実であろうとするほど損をする。
現実は地獄なんか凌駕するほどのクソだ。
だったら徹底的に破壊し尽くしてやろう、
そこまで暴れれば、俺を認識した能力者が集まってくるだろう。
俺は最強だ、せっかくだから何人抜きできるか試してみるのも面白い。
さんざ戦った末に負けたって構わない。どうせ俺の決意なんて達成できないのだ、俺が負けたのであればそのまま殺して欲しい。
こんなことなら最初からなにもしなければよかった。
おい、なんでなにも言わないんだハデス。殺すぞ?
寝転がった目に映る、天井の木目が腹立たしい。
元々住宅の素材に木目なんてない。それなのに建築にあそびなんて求めるから、そんな意味のないものがつく。
世の中には美も、楽しさも、娯楽も必要ない。
俺たち人間だって動物だ。子孫を残す欲望に生を受け、そして欲望に従って子を残し死んでいく。それ以外の行動すべてに意味はない。それなのに、なぜ天井に木目をつけてる暇なんてあるんだろう。バカなんじゃないのか?
ひとり、声高く嗤う。
ざくろは不思議と起きない。
どうせ、ざくろに紹介される先は若さを売りにした商売だ。
知らないやつに手を付けられるくらいだったら、俺が先に手を出してやろうか?
ざくろ自身もそれを望んでいた。
だったら、別にいいだろ。
俺はざくろを七百万で買った。
こいつがいくら香織のために稼ごうとしたって、俺が許さない。ざくろは俺の所有物だ。勝手に働かせてなんてやるもんか。
言うことを聞かないなんて選択肢はない、ざくろに選ぶ権利はない。
香織がざくろを洗脳させたなら、今度は俺が洗脳させればいい。香織を越える暴力で、俺のことを忘れられないくらい、体に刻み付けてやる。
……なんてな。
俺は結局、なにも変えられないんだ。
現実を変えたいとどこかで願いつつ、決意と仕事に没頭して視野を狭め、考えることからは逃げ続けてきたんだ。
だからこそ、俺はなにも見つけられず、いざというときになにも決められない。
頭がボーっとする。
知恵熱なのか、風邪でも引いたのか。
全部どうでもいい、動きたくない。
腕を投げ出し、硬いものに手をぶつける。
スマートフォン。
遠い誰かと連絡を取るツールを進化させ、遊びの機能ばかりついた無駄の産物。
俺はこれに依存し、これがないと生きていけないとさえ思っていた。ああ、なんて愚かなんだろう。
そいつを握り、思い立った。
割ってやろう。
俺の握力に、無駄の産物なんかが勝てないって、わからせてやろう。
もう仕事にも行かないし、サンマをやる必要もないし、誰かに連絡を取る意味もない。
その二つに見切りがつけば、スマホなんて必要ない。現実浸食を使えば、いますぐ粉微塵に――――着信、氷川茜。
心の臓が、跳ね上がる。
表示される画面を、呆然と見つめることしかできない。
脳を掠める、歯を見せて笑う姿。
胸を締め付け、息が詰まる。心の隙間を見逃がしてくれない、やわらかな存在。
その茜が、俺に呼び掛けてくれている。
電話に、出るべきだろうか。
出たら俺は、俺じゃなくなる気がする。
自分が茜にどんな言葉を吐くか、想像できない。
開けるまでわからない、パンドラボックス。
また茜を巻き込んでしまうかもしれない。そして無意味な繋がりをまた深めてしまうだけ……
もう十コールは鳴っている。それでも着信画面が変わることはない。
「は――」
自分の考えに笑ってしまう。
茜のことだ。
電話を拒否したところで、きっと家に押しかけてくる。
なにしろ茜の特技は、ストーキングなんだ。
俺はこいつから逃げることなんて、できないんだ。
「……もしもし」
「朝早くごめん、起こしちゃった?」
電話口の気づかわしげな声。
普段は押せ押せなクセに、たまにしおらしくなる声が――好きだった。
「は、ハハハ……」
「剣一?」
「……あかね」
「うん?」
「……くれ」
「え、なに? 聞こえない」
胸が震え、呼吸が乱れる。
「助けてくれ……」
嗚咽が、止められない。
自分の情けなさに。
決意をかなぐり捨ててしまいたくなる自分に。
距離を置かなければいけない人に、助けを求めてしまう、自分自身に。
「もう、どうしたらいいか、わからないんだ」
母様以外に、こんな泣き言を言ったことはない。
「俺、すげーがんばったけど。ダメだった」
溢れる言葉が抑えられない。
「二年間がんばったけど、全部ダメにした。ざくろ、取られちまうよ……」
茜の願いを叶えてやらなかった俺が、自分の願いを叶えられなかったことを愚痴っている。
なんて、最悪。
「もう、ざくろに泣いて欲しくないのにさあ……できなかった。俺、できなかったんだ」
けれど最悪の上塗りをやめられない。
自分の感情を押しとどめることが、できない。
相手のコウイに応えないと口にしつつ、相手のコウイを期待するのをやめられない……最悪の生き物。
ややあって、電話口の先に聞こえる。ため息。
「ねえ、剣一」
俄かに予想できる言葉を、黙して待つ。
「ウチが助ける理由、あると思う?」
「……ない、よな」
「うん。ない」
助ける意味はない。
茜にとって俺は必要ない人間だから。
天井の木目以下の俺に、割く時間なんてあるはずがない。
「ウチ、剣一のこと嫌いになってもおかしくないんだからね?」
その言葉になにも返すことができない。
茜は俺と出会って不幸になった。校内での評判を下げ、期待を裏切られ、消えない傷痕さえも残してしまった。
だから茜にあるのは憎いとか恨めしい、という感情以外はありえなかった。
「……なのに、なんでだろうね」
重い、とても重い、ため息。
「意味ないのに。なんで、こんなんだろうね」
電話口で額に手を当て、自嘲する姿が思い浮かんでしまう。
占めるのは罪悪感。
だがそれ以上に襲い掛かる喪失感から逃れられず、俺は手を伸ばしてしまう。
「でも、頼む……助けてくれ……」
ざくろが助かるなら、俺のプライドなんて、どうでもいい。
「――すぐ行く。状況はわかってるから」
「……え?」
「あんたたち、社長に騙されてるのよ」
それだけ言った後、電話は切れた。
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