3-12 嘘のような現実

 同日、かろうじて今日という日を維持しているギリギリの時間帯。

 俺の返事を聞いて機嫌を良くした母様は、夕食後にお酒を飲み始め、この時間の帰りになってしまった。

「鮎華さん、すっごいご機嫌だったね」

「ああ……あそこまで騒いだ母様はめずらしいよ」

「ね~! あとお婆さんとも話せてよかったぁ」

 その後、俺とざくろは起き出した婆様にも会うことができた。

 今日は体調も良かったらしく、俺も久しぶりに話をすることができた。

 婆様はなにかとキツイ言動が多いが、俺たちの結婚報告には顔をほころばせてくれた。しっかりとざくろには「アタシが死ぬまでに曾孫の顔を見せておくれよ?」と笑いながらプレッシャーをかけていた。それに対してざくろが初心うぶな反応を見せたことは言うまでもない。

「わたし、お婆さんって初めて会った!」

「なかなか会う機会もないからな。よくババアって言わなかったな?」

「言わないよっ!」

 ざくろのげんこつが肩に飛ぶ。

「そうじゃなくてっ! わたしのお婆さんとかお爺さんって、どこにいるのかもわかんないから」

「……ああ」

 そういうことか。

 ざくろは自分自身の祖父母にも会ったことがない。そういう意味だった。

 あの香織が自分の両親と仲良くしている絵面は想像しにくい。きっと実家にざくろを連れて行ったこともないのだろう。

 そう考えると香織が生きてきた環境が、ふと気になった。考えたこともなかったが、もしかすると香織のいまの姿は、自分自身が見てきた親の姿なのかもしれない。

 だが、それはそれ。どんな家庭事情があったとして、ざくろにしてきたことを考えれば同情には値しない。

 自分が腹を痛めて産んだからこそ、注がれるはずの愛情だ。産んだことを盾に、自身の生活を潤すなんて普通の頭じゃない。

 自分が昔耐えてきたことだから、相手もそれに耐えるべき、不幸の連鎖。そんな悲しいものがあるのなら、どこかで止める役が必要だ。

「……別に、いいじゃん」

 ざくろが不思議そうな顔で、俺の顔を見上げる。

「お前には、俺がいる。母様だっている。それに……これから通う学校にも」

 どの口が、そんなことを言う――普段だったら、そう思うことだろう。

「だからそんなこと気にするな。お前は一人じゃないんだから」

「でも……」

「新しいところは、怖いか?」

「うん。わたし普通の人と違うから」

 ざくろは女子高生に憧れつつ、学校に行くことには消極的だった。

 それは学校の教育制度が必要かとか大層な話じゃない。ざくろは小中共に通っていないから、上手くやっていけるかどうか不安なんだ。

「もちろん無理はしなくていい、辛かったら行く必要だってないんだ。でも、せっかくだから変わってみろよ」

 俺はざくろの肩を軽く叩く。

「ざくろはずっと変われる機会を失ってきた。それは残念だと思う。でもそんなんじゃ、つまんないだろ?」

「つまんない?」

「ああ、高校に行ったら茜みたいなジェイケーになれるかもしれないぞ」

「わたしが、茜さんみたいな人に……」

 それはざくろにとって魅力なことらしく、反芻してその未来を妄想する。

「もちろん変わらなくたっていい。ざくろが全然変わらないままでも……俺は、ちゃんと家に帰るから」

「え?」

「俺、ざくろと結婚したからさ。一緒に過ごしていくって、決めたからさ」

 ざくろは瞳を大きく見開き、唇を噛んで顔を俯ける。

 ずっと隣にいる――それだけは言わなかった。言えなかった。 

 先ほど、母様に言われた言葉は心に残っている。

 だけど、まだ意識の変革はできていない。決意も未だ手の内だ。

 もし本気でそれを口にするのであれば、魂からの意志でなければいけない。

 ざくろに寄り添って、生きていく。

 今更、なんて思われるかもしれないけど……それも可能性の一つとして、考えてもいいんじゃないか。そう、思い始めていた。

「無理はしなくていい。ただ、ざくろにはずっとこのまま家にいるより、外に出てもっとざくろを好きになる人が増えてもいいんじゃないか、ってそう思うんだ」

「わたし、そんないい子じゃないよ」

「いい子さ、俺が保証する」

「わたしが外に出て、わたしを好きな人がいっぱいできたら、独占欲バクハツしない?」

「するかもな」

「え!? じゃあ、わたしがニンキモノになって、男の人に告白されたらどうする?」

「やっつける」

「えーーー!!」

 ざくろが嬉しそうな叫びをあげる。

「俺、お前が変わったらそうなっちゃうかもしれない。めんどくさい男になるかもしれない。でも、もし俺がそうなったらさ……面白くないか?」

「おもしろい!」

「だろ?」

 言って二人で笑う。

 作り笑いでなく、本心からの笑い。

 それがこんなに気持ちいいと思えるのは、一体いつぶりだろうか。

 肌に触れる冷気が気持ちいい、指先に感じる柔らかいぬくもりが愛しい。

 そうだ。意固地になる必要はないのかもしれない、だったら俺は。


「おや、黒田君。戻ったかい」

 早乙女家の前で話しかけられる、聞き慣れたその声は――

「…………社、長?」

「いやいや、助かった。まさか君までいなくなったかと不安になってしまったところだよ」

 そう言って笑っている社長。だが俺はまったく笑えない。

 なぜ、こんなところに社長が。

 日付も変わるこの時間に?

 それに、いまなんて言った?

 君まで、イナクナッタ……?

「おや、この子がそうかい」

「っ!」

 ざくろを背に回す。

「ほら、これ。彼女にだよ。君が早乙女ざくろさんだね?」

 言って一枚の便箋を差し出す、俺はそれをひったくる。

「困るんだよ、勝手に失踪なんてされてもね」

「――なに、言ってるんですか。俺は社長に挨拶をして仕事をやめた、それは失踪なんて言いませんよ」

「君の話なんてしていないよ、黒田君。私は最初から早乙女さんに用があってきたんだ」

 社長は呆れるようにため息をつく。

「君のお母さん、早乙女香織さん。借金を抱えていてね、今日も支払いのお願いに来たのだが、玄関にそれが挟まってたんだよ」

「借金……?」

 なんの話だ。頭の中が真っ白になる。

「いいからそれを読みなさい。私も暇じゃないんだ」

 読みたくない。

 香織に結納金を収め、社長の仕事を辞め、ざくろと暮らしていく。それで俺のやるべきことはすべて終わったはずだ。

 ざくろはこれから普通の学校生活を送り、俺が支えて生きていく。ただ、それだけでよかった。それなのに……

「ざくろ?」

 気が付けばざくろが俺の手元から便箋を取り上げ、中身を読んでいた。

「……お母さん、お金払わないで、いなくなっちゃったんですか?」

「そうだよ。絶対に返すと言ったから、私が渋々貸したというのに」

 やめろ、お前らは関係ないはずだ。勝手に話を進めるな。

「お母さんはきっと君をそこまで育てるために沢山お金を使ったはずだ。だったらそのお金は誰が払うべきだと思う?」

「やめろ!!」

 社長の胸倉を掴み、ブロック塀に叩きつける。

「誘導尋問してんじゃねえよ! あいつはざくろを育ててなんていない! 毎日ざくろに家事をさせて、パチンコばっかりするようなクズだぞ!? そんなヤツの代わりに建て替える必要なんてあるわけないだろ!?」

 時間も外聞も忘れ、事実を社長に突きつける。

「ざくろは生まれてからずっと耐えてきた! 文句ひとつ言わずに、ずっとな! そんなヤツのケツ拭いをどうしてざくろが――」

「剣ちゃん、やめて」

 ざくろが腕を回し、俺と社長を引き離す。

「……いいの」

「良くないに決まってるだろ! お前は今日から俺の女だ、お前のことは俺が決める! お前に決められないことも全部!」

「そう言ってくれて、嬉しい」

 穏やかな表情、光を失った瞳。

 なんで、そんな顔してるんだ。おまえはまだ十六歳なんだぞ?

 あきらめに満ちた表情なんてするんじゃない。

 お前がそんな顔をしたら、俺はなんの為にここまで来たって言うんだ。

 なんのために、お前を……

「社長さん、お金はおいくら必要なんですか」

 やめろ。

「わたし、お母さんの娘だから」

 お前にそんな義務なんてない。

「責任とって、稼ぎますから」

 ざくろはざくろの人生を、生きてくれ。

「わたしにできるお仕事、ありますか?」

 俺はいったい、これからどうすればいいんだ……

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