3-11 嘘をつかせない人

「けん、いち……あんた、本当に剣一なのかい……?」

「はい、あなたの一人息子、剣一です。いまここに戻りました」

「まさか、生きてたなんて……」

「夢ではありません。母様、俺はここにいます」

 母様は腕を広げて、俺がやってくるのを待つ。

「剣一、剣一ィィィ~~!」

「母様ァァァ~! 親不孝な俺を許してくれ~~~!」

 感動の再会の傍ら、暇を持て余したざくろは塀の上の猫に舌を鳴らして遊んでいた。

「おーい、ざくろ。もういいぞ~」

 その声に驚いた猫は逃げ、代わりに小動物みたいなざくろが寄ってくる。

「おふたりさん、飽きませんねえ」

「飽きるわけないだろ、母様の抱擁だぞ?」

「ええ……剣ちゃん、その発言はさすがにわたしでも引くよ」

「あら、ざくろもいらっしゃい。なんだよ剣一、来るなら来るとひとこと言っておくれよ。そしたら夕飯だって作ったのに」

「いや、今日はその――」

「鮎華さん!」

 急にざくろが声を張り、背筋を伸ばして母様に向き直る。

「せんえつ、早乙女ざくろ。今日こうしてお目にかかったのは他でもない。あなたさまにご挨拶に参ったからです」

「へえ、ご挨拶ってなんの挨拶だい?」

 ざくろはすうっと息を吸い、一息に言う。

「息子さんをっ、わたしにくださいっ!」

「無理、おととい来な」

「剣ちゃ~~ん! どうしよぉ、断られたぁ~~!」

「おいこら、泣くな。って母様も秒で断らないでよ」

「こりゃ失礼。つい見合い話の勢いで断っちまったよ」

 そう言ってホホホと笑うが、俺はあなたにも再婚して欲しいと常々思ってるんだけど……

「ほらほら、ざくろ飴ちゃんやるから泣き止みんさい」

 そういって口にソーダ飴を放られて、舌を転がすざくろ。この関係も小さい頃から変わらない。

 なにせ母様が実家に戻るまでは、体を張ってざくろを守ってきたのは母様だった。だから母様にとってのざくろは、昔から自分の娘だった。

「まったく、少しは自分に自信ってもんを持ちんさいよ」

「自信?」

「そうさね、アタシが本当にざくろとの結婚を認めないと思ったかい?」

「だって、わたし……」

「そういうのがダメなんだよ、ざくろ。アンタは剣一に愛されてるし、アタシも好いてる。だから一緒になれて当然だ、自惚れていいんだよ」

 母様が口にする、当たり前のこと。それが俺の胸に突き刺さる。

 そうか。母様にこう言わせるってことは、俺は母様にさえ……

「っても、アンタには早いか。まだ十六だもんねえ」

 母様は目を細めてざくろの頭を一撫で。

「でも、わたしも、もう子供じゃない」

「ほう?」

 ざくろは真面目な顔で言い返す。

「わたしも来年で十七歳、つまりババア。だからはやく自惚れる」

「……よろしい、死ぬ覚悟はできたようだね?」

 母様の腕がアイアンクローに変わる。

「いたい、いたい! 剣ちゃ~ん!!」

「いまのはお前が悪い」

 なにはともあれ、この二人が型にハマった嫁姑問題で揉めることはないだろう。

 ちなみにざくろは去年十六歳のことをババアと言っていた。自分を中心に世界を回す胆力があれば、自分に自信がつくのも時間の問題だろう。

「まあ、いいさ。ここに来た趣旨はわかった。……終わったんだね」

 母さんが長年の心労を吐き出すように言う。

「ああ、だいぶかかったけど」

「それを言うならアタシは結局なんにもできなかったさ。それを自分の息子がやったんだ。こんな嬉しいことがあるかい」

 ざくろは母様のアイアンクローを引きはがそうとじゃれている、それは嫁姑なんて関係より実の母子という方がしっくりくる。

「来な。有り合わせになっちまうけど、少しは祝ってやるよ」

 そう言ってざくろの手を引く母様は、表情は柔らかく、声音も優しい。

 けれど、その笑顔を浮かべる母様の顔には、どこか寂しさのようなものが滲んでいた。


***


 ざくろがいつものように食器の片づけをし、俺が母様のお膝元でくつろいでいる時、不意に告げられた。

「剣一、ざくろのことはもう許してやれたのかい」

 思わず、息を飲み――答えを躊躇ためらってしまった。

「……なんのこと?」

「はあ、わからないとでも思ったのかい」

 母様は俺の耳を強く引っぱる。

「ざくろに駆け落ちを断られたこと、根に持ってたんだろ?」

 心に押し込めていた、過去。回答なんて持ち合わせてるわけがない。

「あのが駆け落ちなんて付き合わないことはわかってたはずだ。でも剣一はそれを強行し、失敗して大層凹んだ」

「……さあ」

「おやおや、わからずやのガキのフリなんてしちゃって」

 ホホホと母様は陽気に笑う。

「あん時のアンタを見たから、アタシは少し早乙女と距離を置いた。どうあっても他人の子より自分の子だ。アタシが表立って動いてたら、アンタはざくろのことを忘れようとしなかっただろう?」

 母様は確かにあの一件から、直接香織と怒鳴り合ったりすることはなくなった。

 見えないところでざくろと繋がっていたのかもしれないが、少なくとも家に連れてきたりすることはなくなった。それから母様は婆様の介護で忙しくなり、次第に黒田と早乙女の関係は薄くなっていった。

「アンタにはできる限り普通の生活を送って欲しかったのさ。アタシは若い頃ロクな人間じゃなかった、だからこそ普通みたいなものを見せてやりたかったんだが……どうにも雑音が多くてね」

 俺と母様の引っ越した家の隣には、問題を抱えた早乙女家。

 自前の正義感から母様は隣の家に首を突っ込み、大人しい生活とは程遠いものになる。

「だからアンタが駆け落ちなんてしようとした時は、失敗したと思った。剣一に余計な背中を見せたせいで、普通から遠ざかっていくんじゃないかってね」

 母様はそう言って俺の頭を撫でるが、あまり触りがよくない。まるで俺のしてることがすべて母様の借り物みたいだ。

「でも、アンタは結局ざくろを忘れず、荒業でざくろを引っ張ってきた。男としてね?」

「……」

 母様はキッチンの方を向き、ざくろがまだ戻って来ないことを確認する。

「だったら話は変わってくる。剣一には少しの及び腰も許されない、清濁併せ吞んであの娘を受け入れてやんな」

 清濁、か。

 なにが汚くて、綺麗なのか。

 どちらにしろ俺に闇の決意がなく、ざくろに好意を向けられたとしても……

「アンタはちゃんとざくろに好かれてるよ、不安になんて思うな。ざくろは香織に縛られてるのさ。それと剣一を好いてないことに、なんの関係もない」

「…………んなことねえよ。ざくろは俺と逃げるほど、俺のことを好いてなかった」

 つい、ムキになって本当のところを口にしてしまう。

「捻くれやがって、こんのクソバカ息子が。どうせ自分よりふさわしい男がどっかにいるなんて思ってんだろ?」

 絶句する。

 いつからだ、母様がここまで見切っていたのは。

「アンタよりざくろに相応しい男はいないよ。二人の母親であるアタシが断言してやる」

「……」

「なんだい、アタシが思ってるだけじゃ、不満だってかい?」

「そうじゃ、ないけど」

「剣一がしたことは間違っちゃいないよ、あれだけ動かなかった状況は動いた。他に方法があったかもしれない、もうちょっと知恵があれば、運に恵まれればなにかできたかもしれない。でも、打開したのは剣一だ」

 母様の弱音を聞いた日があった。

 ざくろに手を払われた日があった。

 自分の醜い感情と向き合った日があった。

「ざくろは生涯、剣一に『助けてくれてありがとう』なんて言わない。あの娘は絶対にバカ親を恨んだり憎んだりしない、それはわかりきってることだ。でもざくろは剣一との結婚を喜んでる。それでいいじゃないか」

 その言葉は……俺の心に空いた穴を塞ぐように、するりと嵌りこんだ。

 俺はざくろに感謝して欲しかったんだろうか。

 自分のしたことが正しいと、ざくろに認めて欲しかっただけなんだろうか。

 ざくろ本人が最後まで香織を否定しなかったことが、許せなかったんだろうか。

「アタシじゃ代わりにはならない。でもアタシ以上の代わりもいない、だから……」

 母様が俺の顔を見下ろす。

「剣一、ありがとうよ。ざくろを助けてくれて」

 母様が、頬を優しく撫でる。

 俺を一人で育ててくれた、母親の手。

「アンタには友達と遊ぶ時間も、高校に行く時間も、他の恋を見つける時間もあった。でもすべてを犠牲にして、ざくろに費やしてくれた」

 そんな未来もあったかもしれない、でも俺はざくろから目を背けることができなかった。

「でも、そこまでしたクセに相手の気持ちがわからない恐怖に怯え、すべてをフイにしようとしている。黙ってこれが見過ごせるもんかい」

「恐怖だって?」

「そうだよ、バカ息子。いまのアンタは一度断わられた過去が怖くて、本気になれない半端者なんだよ」

 一度、断られたことが怖い? 自分が受け入れられない恐怖?

「金に頼りたくなかったってのは願望だよ。いつまでもそんなもんに縋ってんじゃない。それを言い訳にいつまでもざくろと向き合わないのは、卑怯者のすることだよ」

 ただの願望に、卑怯者……か。

 その通り、なんだろう。

 俺は金に頼らず、俺の言葉でざくろの心を動かしたかった。素のままの俺じゃ、ざくろと一緒になることはできなかった。だから俺にはざくろの隣にいる資格はない、そう思ってきた。

「もし、どうしても自信が持てないなら、アタシの願いを叶えな」

「え?」

「……剣一とざくろを、幸せにしてくれよ」

 母様の涙が、降る。

「自分の愛する息子が幸せを棒に降ろうとしてんだ、もうその手の中にあるってのに。アタシは息子の人生を縛りたくなんてなかった。でも結局はアタシが見せた行動が元で、剣一に複雑な道を歩ませちまった。だから、もしアンタがいまからでも道を正せるなら……頼む、幸せになってくれ」

 俺はこれが自ら選び取った道だと信じてきた。

 でも母様は、決してそうは思わなかったのかもしれない。

 俺だって母様の影響をまったく受けなかったかと言えば、ウソになる。

 そしてバカ息子である俺は、母様を泣かせる奴だけは、絶対に許せない……

「手に入る幸せから遠ざかろうとする、バカ息子を止めてやってくれよ、剣一」

 それを聞いて、改めて思った。

 俺は母様に、どうやっても敵わないんだって。


 俺は隷属を是とするざくろに、変わってもらうことを望んで、行動し始めた。

 それなのに俺がいつまでも変わらないなんて……そんな不平等なことってあるだろうか。

 だったら変わらなければいけないのは、俺の方なのかもしれない。

 そんな気持ちが、芽吹き始めていた。

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