3-3 どうあっても変わっていく

 俺たちは二時間ほどプールで遊んでから昼食を摂り、体育館のあるフロアにやってきた。ここではバスケ、バドミントン、卓球ができるスペースが設けられており、各々が友人や家族たちと汗を流していた。

「すご~~い!」

 光を弾くフローリング、リズミカルに跳ねるボールの音、ざくろはそのすべてに目を輝かす。

「テレビの中の世界みたい! 日本代表とかいそう!」

「もしかしたら一人くらいはいるかもな?」

「ちょ、ぉま、剣ちゃ、それやべぇって! 色紙買って来なきゃ!」

 どこかに走り出そうとするざくろの肩を、茜が掴んで止める。

「ざくろちゃん、それよりウチと一緒に日本代表を目指さない?」

 茜が手に持つのはバドミントン用のラケットとシャトル。そして顔にはなにやら挑戦的な笑み。

「そ、そいつはスカウトってやつですか……?」

「そ~よ。ここだけの話、ざくろちゃんにはバドミントンの才能があると見たっ!」

 ラケットを持つ前から、なにを根拠に。

 どうやら茜もざくろの適当なテンションに呑まれてきたらしい。

「キミの才能を眠らせるのは惜しいっ! だからウチが秘密の特訓をつけてあげよう!」

「あなたは、一体……?」

「サンマランク230の廃人だ」

「剣一は余計なこと言わないの」

 茜の投げたシャトルが額に命中、赤い跡をつけてぽろりと落ちる。

「ざくろちゃん、バドミントンは初めて?」

「うん! でもわたしなんかにできるかな。筋肉全然ないよ、腕もぽよぽよ」

「大丈夫。バドミントンは力がなくても簡単にできるから、ほらやってみよ?」

 茜がざくろの腕を取ってトス上げと、簡単なストロークの動作を教えている。なんだかんだ言って面倒見がいい。こうやって見ると姉妹みたいだ。

「ほら、剣一もやるわよ」

「あれ、二人でやるんじゃないの?」

「バカね、別に競うわけじゃないのよ。輪になってシャトルが落ちないように打ち合えればそれでいいの」

 確かに。周りを見ても本気で打ち合ってる人たちなんてほとんどいない。ラリーを長く続けることができればそれで楽しいんだ。

「よしきた。ざくろ、失敗しても俺がフォローしてやるから心配すんな」

「たのもし~! けど吠え面かかされる覚悟はできてるの?」

「なんで俺が吠え面かかされなきゃいけないんだよ」

「だってわたし才能開花させて、日本代表になっちゃうんだよ? そしたら一家の稼ぎ頭はこのわたし! 剣ちゃんはゲームのRMTでもやって、ちまちま稼いでね」

「おま! サンマ運営はな、そういうことが起こらないように日夜対策を……」

「こまかいこまか~い! でも心配しないで、剣ちゃんが一円も稼げなくても、わたし見捨てないから」

「お、おう? なんかよくわからないけど、ありがとな」

「礼には及びません。おしどり夫婦、めざしてこ~ね?」

「……あんたたち、夫婦めおと漫才まんざいでもして稼いだら?」

 冗談でもやめてくれ。ざくろのトークに圧倒されイジり役にされる姿が、簡単に想像できてしまう。

「じゃ、ウチから飛ばすね。ゆっくり飛ばすからざくろちゃんはシャトルを押すように打ち返してみてね?」

「はーい」

 茜が腰を落とし、腕を柔らかくしならせてシャトルを打つ。

 シャトルはざくろがラケットを持つ位置に正確に飛んでいく。あれなら簡単に打ち返せるだろう。

 だが。

「はぁっ! スーパーウルトラグレイトデリシャスざくろショット!」

 早送りしたような舌捌きで技名を詠み上げ、ダイナミックなフォームで放つ渾身の一撃!

「死ねぇっ!」

 物騒な掛け声に合わせて、ラケットがシャトルに命中、そして――

「ひぃやぁああっ!!」

 茜が叫び声をあげて全力で回避、避けた先には……壁にぶつかって転がるラケット。

「ざくろ、ちゃんと握ってろ! あっぶねえな……」

「ごめんなさいっ! 茜さん、大丈夫ですか!?」

 俺たちは茜に駆け寄って無事を確認する。

「な、なんとか……本当に死ぬかと思ったわ」

 茜は冷や汗をかいて、顔を引きつらせていた。さすがに可愛そうだ。

「そんな力を入れて振らなくても大丈夫だ、軽くぽんっと押す感じでやってみろ」

「えっと、こんな感じ?」

「そう、それくらいだ。基礎を疎かにすると日本代表にはなれないぞ?」

「それは、困るね」

 もう日本代表って言えば、なんでも聞くんじゃないかな、こいつ。

「じゃ、もう一度やってみるか。今度は俺がトスするから、かるーく返してみろ」

 今度も下から打ち上げ、ざくろのラケットの位置を狙う。

「ほいっ」

 俺の動きを真似て、軽くラケットに当てる。そのまま俺の元まで返ってきたので、もう一度打ち返す。ざくろも再度打ち返すことに成功。

「おっ、上手いじゃないかざくろ」

「ほんと!? あ、落ちちゃった……」

「いまの感じでいいんだ。慣れてきたらもっと離れてやってみよう」

「うんっ! わたし、スポーツの才能に目覚めたかも」

 初めて尽くしのざくろが外の楽しみに目を輝かせている、いい傾向だ。高校に入ったら部活動をやらせてもいいかもしれないな。

「ざくろちゃん、ウチともやろ?」

「さっきは本当、ごめんなさい。茜さん怒ってない?」

「怒るわけないでしょ? ほら、今度はざくろちゃんからサーブしてみて」

 シャトルを受け取ったざくろの生き生きした表情。それを見て俺は今後のざくろにワクワクしてしまう。



 ふと――いま、ざくろに感じた気持ちの正体が気になった。

 ざくろの将来に期待することは、好意とは似て非なるものだ。だから俺の決意”ざくろを旅立たせること”そして”誰の好意を受け入れない”こととは矛盾しない。でも、なにか違和感を感じる。

 俺はなぜ、ざくろに好意を持ってはいけないんだっけ……?

 そうだ。俺は『金でざくろを買った俺が愛を求めたら、ざくろは応えるしかない』ことがイヤだったんだ。そうやってざくろの人生を縛り付け、俺が第二の香織になることが、イヤだったからだ。

 ……でも、俺が第二の香織になってなにが――****。

 だってざくろが受け入れていれるのであれば――********。


 ―――――************!? ――********、*********。


 ――俺がざくろの成長に期待することは、ざくろに好意を持つことと無関係。

 言ってしまえば俺はざくろの保護者だ。保護者が子供の健全な成長を願うことはなんらおかしいことではない。

 結婚という形で保護したのは褒められたものではないが、それでもざくろに幸せになるなら別にいいじゃないか。

 俺たちの関係にはなんら問題がない。

 好意がなければ楽しい生活を送れないことはない。それは自分の親に恋愛感情を持たないくらい自然なことだ。

「――ならば、なぜ*****」

 耳元に、ノイズ交じりの声が響く。

「ならば、なぜ寝ている***に、口****――」



「ほら剣一、そっち行ったわよ!」

 茜の声で周囲のざわめきが戻り、額にわずかな衝撃。目の前でぽろりと落ちていくシャトル。

「ちょっと、なにボーっとしてんのよ」

「悪い」

 なにやら意識がぼんやりしていた。

 集中力を欠いていたことを詫び、シャトルを拾いサーブ。が、茜はそれを素早いプッシュで返す。ギリギリ反応できた俺が大きく上体を下げて打ち上げ――たところに、容赦ないスマッシュ。ぱたりこ、とシャトルは地面に落ちる。

「ほら、目が覚めたかな? デイドリーマー剣一くん?」

「芸人みたいな名前で呼ぶな!」

「ボーっとしてるから悪いんでしょ?」

「まだ言うか、このッ!」

 俺は少し離れて大振りのストロークを打ち込む。

「おお、剣ちゃんのショットたかいっ!」

 小気味いい音を立て、宙へ打ち上げられる白い羽。それを待ってましたとばかりに、茜は腕を振るい、そのまま飛び上がってのジャンピングスマッシュ!

 けど、それは予想通り。前傾で構えていた俺は、逆側に打ち込まれたスマッシュをバックハンドで拾い、茜の死角へと打ち返す。

 返されることを予想していなかったのか、茜は反応出来ずに落ちたシャトル呆然と眺め……俺に向かって不敵な笑みを返す。

「少し剣一のことを見くびってたみたいね。元バド部のウチに挑もうなんていい度胸してんじゃないの?」

「っても、中二までだろ? いつまでも昔の栄光に縋ってちゃダメだぜ?」

 俺は売り言葉を返しただけのつもりだが、なぜか茜は口を尖らせて視線を落とす。

「……あんたはどうして、ウチの話したこと全部覚えてんのよっ!」

 汗を散らしながら振り抜く、オーバーヘッドストローク。

「それは、お互い様だろっ!」

 言葉に乗せてシャトルを打ち込む。バドミントンは力を加えずとも豪快に飛ばせるので、ラリーが続けば続くほど気持ちいい。

「記憶力生かして、もっと勉強しろっ!」

 言葉を叩きつけあいながらも、この爽快感に笑みを隠し切れない。

「ああ、するさ。これからなっ!」

 この時間がいつまでも続けばいいと思う。

「もう卒業でしょうがっ!」

 曖昧な関係に、ぬるま湯のような心地いい繋がり。

「ああ、卒業できたよ。お前のおかげでなっ!!」

「……っ!」

 動作が一瞬遅れて、茜がシャトルを取り落とす。肩で息をし、手の甲で汗を拭う。

「もうウチらも、三年の付き合いになるのよね」

「そうだな、長いようであっという間だったな」

「本当にね。あの頃はウチが剣一の勉強を見るようになるなんて、思いもしなかった」

 一年の頃は赤点なんて取らなかった。まだ仕事に本腰入る前のことだ。

「ほんと人は変わってくもんね、ウチも、剣一も……」

 黄昏始めた茜、なにやらしんみりした雰囲気が漂い始める。そして視界に入る――つまらなさそうな顔。

「……そういえば茜、今年でいくつになるっけ?」

「は? あんたと同い年なんだからわかるでしょ?」

「いいから」

「十八、だけど」

 それを聞いて、俺は喜々としてざくろの方を向く。

「ざくろ、十七歳以上はなんだっけ?」

「えっ!?」

 少し呆けていたざくろは、一瞬戸惑った様子を見せたが、意図を察すると元気よく嬉しそうに答えた。

「ババア!」

 ピシッと、どこかに亀裂の入ったような音がした。

「……ざくろちゃん? ウチ、これからスマッシュの練習するんだけど付き合ってくれないかなぁ?」

「い、いえ。わたし、才能ないことに気づいたから、バドミントンやめます。普通の女の子に戻るんだ」

「まだ、始めたばっかりじゃないのぉ? これだから最近の若者は根性が足りなくてダメねぇ?」

「ひ、ひぃっ、出たぁ! 老害の凝り固まった、意見の押し付けだぁ!」

「誰が老害よ! こらっ、待ちなさい!」

 唐突に始まるじゃれ合うような追いかけっこ、どこまでいっても俺たちは子供だ。

 俺たちが本当の意味で大人になる日なんて、本当に来るんだろうか。もし来るとしてもいま抱えてるような気持ちだけは失いたくない、そんなことをふと思った。

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