3-2 新たな扉が、いまここに拓く

 サーフパンツに着替えて更衣室を出ると、冬とは思えない暖かな空気が身を包む。

 至る所に植えられたヤシの木々、子供たちのはしゃぐ声、ほんのり香る塩素の匂い。

 年中常夏のドーム型温水プール。子供連れの家族や海外の観光客も多く、平日とは思えない賑わいだ。

「け、剣ちゃん、お待たせ」

 声のする方を見ると……そこにはめずらしく恥じらった様子のざくろ。そんなざくろが身に纏っているのは機能的なスクール水着。

「似合う、かな?」

「ああ、似合すぎるくらい似合ってるぞ」

 というか、それ以外は絶対着ないって言い張ったのはざくろだ。

 先日、ざくろと百貨店に行って水着を選んだのだが、どんな水着でも試着することすら恥ずかしがり、かろうじて試着まで漕ぎつけたのがこのスクール水着だった。

 なんでもざくろの発言によれば「これ以外はリア充の着るもので、わたしが着るとアレルギーが出る」かららしい。意味不明だ。

「よかったぁ。もしこれでもダメだったら、ハダカになるしかなかったよぉ」

「そんなわけあるか、監視員に摘まみだされて終わりだ」

 こいつの発言はどこまでが本気かわからない、たまに冗談を地で行くようなことをする。

 けど、実際よく似合うとは思う。

 起伏の少ないざくろの体に違和感なくフィットする、藍色の古き良きスクール水着。

 それが可愛らしいと思う反面、これから寝食を共にする身としては、もうちょっと肉付きがよくなるものを食べさせてやらなきゃな、と変なやる気を掻き立てられる。

「あ、茜さんも来た!」

 ざくろの発言に秒速で反応し、更衣室の出口に視線を移動する。

「……あんま、ジロジロ見ないでよ」

 と、言われても視線を外せるわけがない。

 茜はピンクを基調にした花柄のパレオに、オレンジチェックのマフラーを巻いていた。

 容姿も相まって既に衆人環視の視線を引いている。……今更ながら普段冗談を飛ばし合ってる茜が、これだけの注目を集める美人だったんだなって改めて思わされる。

 首元を隠すためのマフラーも、本来は水着とアンマッチなアイテムだが、それを違和感のないファッションに落とし込んでしまうほど、茜はこの場を支配していた。

 というか、なんだろうこの気持ち。

 水着とマフラー、本来は相容れないはずの邂逅。

 その出会いが果たしたのは……革新的、イノベーション! ――主よ、意味が重複しているぞ。ええいうるさい、黙れ。

「茜さん、すごいきれい! 水着なのに、マフラーなのにかわいい!!」

「ふふっ、ありがとう。ざくろちゃんもすごいかわいいよ」

 少し屈んでざくろに笑いかける姿にすら、俺は目を奪われる。

「ありがと! これ、剣ちゃんが選んでくれたの!」

 途端、すごい形相で俺を睨んでくる茜。

 おい、ざくろ。説明をはしょるな、まるで俺がスク水フェチみたいじゃないか。

「ね、剣ちゃん。茜さんかわいいよね、ね?」

 子供のようにはしゃぐざくろが感想を求めてくる。

「……うん、信じられないくらい、かわいいと思う」

「キャー! 奥さん聞きました!? 信じられないですって! アンビリバボープリチーですってよ~!?」

 テンションマックスで騒ぐざくろを尻目に、茜は気まずそうに頬を掻いている。

 同じく俺も自分の語彙力のない褒め言葉に、いまさらながら恥ずかしくなってくる。

「なによ信じられないって、バカみたい。でも、ありがと」

「お、おう。てか水着マフラーって……」

「悪い?」

「……いや、正直。めちゃくちゃイイ」

「顔がマジで、ちょっと怖いんだけど」

「うん、イイ。茜、イイよ。水着マフラー、めっちゃイイ!」

「茜さん、イイよぉ! めっちゃイイよぉ!」

「ざくろちゃんも、ノらなくていいからっ!」

 俺とざくろが興奮して騒ぎ出し、茜は真っ赤になって恥ずかしがる。

 ざくろはそんな茜にまとわりつき、茜はへどもどしつつも、ざくろの好意に笑顔を返す。こいつらが拗れないでくれることだけが、俺にとって最後の救いだ。

「おーい、剣ちゃん! はやくしないと置いてっちゃうよ?」

 と、いつの間にかざくろは茜の手を取り、だいぶ前を歩いていた。

「はいはい、いま行くから」

 プールサイドは走らない、早歩きで二人の元へとついていく。

「茜さん! わたし、あのおっきい滑り台やってみたい!」

 ざくろが巨大ウォータースライダーを指さしている。

「い、いいわよ。……でも、怖くない?」

「ぜんぜん大丈夫! 茜さんこそ、いざとなってチビんなよっ!?」

「チビんないわよっ! ……ちゃんと来る前にトイレ行ってきたし」

「茜、その情報必要か?」

「なに聞いてんのよ、ヘンタイ」

「お前が勝手に喋ったんだろ」

 俺と茜のキャッチボールは変わらない。互いに内心を隠すことは得意になってしまっていた。

「ってか、茜。水に浸かって平気なのか?」

「なんで?」

「だって、マフラーしてるってことは、まだ傷口だって……」

「大丈夫よ、しっかり巻けば水は染みないから」

「いや、マフラーが染みるだろ」

 茜はなぜかドヤ顔を見せた後、巻いていたマフラーの先端を近くのプールに浸けて見せる。

「このマフラーはね、ナントカカントカ社によって作られた、ナントカって技術で作られた、世界に一つしかない防水マフラーよ」

「んなアホな」

「だって現に、水弾いてるじゃん」

 ……マジだ。

 茜が水から引き揚げたマフラーは、水を弾いておりまったく濡れる気配がない。

「――主よ」

 ここでハデスが出てくんのかよ。

「細事には目を瞑れ。合点がいかぬのであれば、首巻には余が能力を付与したことにしよう。能力名はゴツゴウ……」

 あー、やめとけ。

 なんとなく言いたいことはわかった。もーツッコまない。

「其れで良い、束の間の愉しい刻を過ごせ」

 まったくなんてお節介な冥王だ。たまには神にも感謝するもんだな。

「ほら二人とも、モタモタしないで!」

 ざくろが引っ付き、また俺と茜の間に入って互いの腕を取る。

 自然と口元には笑みが浮かぶ。

 こうやってどこかに来て遊ぶのは随分久しぶりのことかもしれない。少なくとも最近は仕事ばかりだった。

 胸に込み上がる高揚感。

 純粋にその気持ちを享受できるのは、肩の荷が下りたことに違いなかった。

「じゃあ一発目、ウォータースライダーから行くか」

「剣ちゃん、わかってるぅ!」

「……二人とも。ウチ、もう一回トイレ行ってきていいかな?」

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