interlude② 変わらず廻っていく世界

「黒田君、サンマやってんの!?」

 気さくで誰にもフレンドリー、けれど容姿はお嬢様。

 そんな氷川茜がスマホゲーム、査問マギアに過剰な反応を示した。

 素っ頓狂とんきょうな声に混じり、口端くちはに浮かぶ笑み。それは明らかにプレイヤーの反応だった。

 気持ちはわかる。

 サンマは絵も曲もシナリオも、戦闘バランスだって神懸かっている。

 それなのに運営の宣伝が下手で、なかなかにユーザー数が増えてこない。だからこそプレイヤーの俺たちとしては、同志を見つけたときのテンションは最高潮に達するのだ。

 高校受験が終わった後、母様は婆様の介護でご実家に泊まり込むことが多くなった。夜更かしを咎められることもなくなった俺は、なにげなく始めたサンマに魅了され、連日連夜のめり込むようにハマった。

 茜は話した感じランク100を越えている。けどガチプレイヤーだとは思われたくないのか、話は微妙に盛り上がらず反応も探り探り。

 残念、せっかくこんな可愛いクラスメートとお近づきになれるかと思ったのに。

 さようなら、俺の青春。

 さようなら、俺の一目惚れ。

「黒田くん、放課後ヒマ……?」

「へっ?」

 その言葉をきっかけに、俺の高校生活は変わった。

 茜は予想通りガチプレイヤーで、話題の共有先がなく悶々と過ごしていたらしい。けどそれは俺とて同じ。

 神ゲーなのに総人口が少ないせいで盛り上がりにくいマルチプレイ。それを対面で長時間、しかも可愛い女の子と話しながらできる。最高だ。


 俺たちは幾度となく顔を合わせ、暇さえあれば落ち合うようになり、少しずつ茜の素顔も見えるようになってきた。

 クラス内で見せる表情はみんなに好かれるための顔で、中身は意外と普通の女の子。言葉遣いは結構にスラングまみれで、イジると顔を真っ赤にして怒る。

 友達付き合いが下手、なんて発言もウソではなく、どうやら本気で言ってることもわかってきた。

 そしてたまに見せる寂しげな表情。

 きっと茜は両親にもっと自分を見て欲しかったのだろう。でもいまさらそんなこと口にできない、だから茜は誰に頼ることもできず、いままでそんな思いを抱えて生きてきたのだろう。

 ――俺、茜の寂しさを紛らわせてるのか?

 少しずつ茜のことを考える時間が増え、表情に魅せられ、どんどん茜に惚れていった。


「ねえ、剣一。ウチのこと好きなの?」

 目を背け、頬杖。

 なんて上から目線な問い。

 ……それは、きっと茜の最後のプライドだった。

 茜は少なからず、俺に好意を持ってくれている。そのことに自信はあった。

 でも、正面切ってそんなことを告げる勇気はないから、俺に決定的瞬間を言わせたいのだ。そして「しょうがないわね」なんて言って……これからも付き合っていきたいんだ。

 サンマ会が始まって半年、それくらいのことはわかるくらいに、茜と向き合ってきたつもりだ。

 でも、俺だってこっちからお願いするような形では、茜とは付き合いたくなかった。そんな少しばかりのプライドがあった。だから俺は「……これだけ言い寄られたら、嫌いになんてなれないよな」なんて、ひねくれた返事をした。

 聞いた茜は、顔を真っ赤にして拳を震わせていた。

 でも俺の売り言葉で、茜がムキになり「剣一なんて好きでもなんでもない!」なんて言われても困るので……次の日にデートみたいなものを取りつけた。

 俺は緊張しすぎて一睡もできず、遊びに行く場所すら思いつけず、結局ノープランで繁華街を喋って歩いて過ごすだけの時間になってしまった。

 茜は退屈じゃないだろうか、これだったらサンマしてたほうが良かったんじゃないか、タイヤキを口にしないのはつぶあん嫌いだったんじゃないか……

 そんな余計な考えが浮かんでは消える。

 男としてレベルの低さを提示しただけのようなデート、幻滅した茜に苦笑いで去られることが怖くて仕方ない。そう思った俺はトイレに行くと言い、近くのアクセサリーショップで、緑色の髪留めを買った。

 なにを祝うでもない、唐突なプレゼント。

 俺がぎこちないデートを誤魔化すためにダメ押しで買った、不器用な贈り物。

 けど茜はなにも言わず、その場で髪留めをつけてくれた。

 ――涙が出るほど、嬉しかった。

 茜は、俺を受け入れてくれたんだ。

 リードもできない情けない男の、名目もないプレゼントを、なにも言わずに受け取ってくれた。

 黙って掴んだ手を握り返し、言葉はなくても付き従ってくれる茜。

 夕陽を浴びて一つに繋がった影法師。

「まだ、帰りたくない」なんて、らしくない茜のささやかな頼み事。

 そんな時を過ごし……俺は茜を好きになった。

 茜の家の玄関前で「帰ったら連絡する」なんてベタなやりとりをし、扉の閉まる光景を最後まで見届け、その場を後にした。


***


「……マジか。俺、マジかっ!」

 暗くなり始めた帰り道で、俺は月に向けてガッツポーズを掲げる。

「俺、彼女できたんだよな? 茜と付き合うことになったんだよな!? っしゃぁぁ!」

 道端で一人叫び散らかす、はた迷惑な高校生男子、黒田剣一。

「夢じゃないよな、本当に夢じゃないんだよなっ!?」

 ――子供の頃から長年住んだ街、この辺の地域は頭に入っている。

 茜の家から俺の家までの最短ルートなんて、簡単に導き出せる。

「エッチってどのタイミングでしていいんだ? でもまだキスもしてないし……ってか、もしかして今日キスしても怒られなかった!?」

 なにを考えずとも、自分の家に着くことはできる。

 でも、このときの俺は忘れていた。いつも避けていた道があったことを。

「茜、本当に俺でいいのかな。別に俺、イケメンでもないし、茜に釣り合ってるかって言われたら微妙だし。ってよく考えたらちゃんとコクってないよな、明日なかったことになんて言われても……」

 つい、うっかり――早乙女家の前を通ってしまった。

 ずっと避けていた、嫌な思い出を封印するために、忘れたことにしていた、存在。

 視線は、吸い込まれて行く。

 あの日のように玄関前でうずくまっている、アザだらけのざくろに。

「あ……あぁ……」

 伸び散らかした前髪から覗く、力無い瞳。

 固まった鼻血に骨張った輪郭。

 汚れた衣服から覗く、細い腕。


 喉が、乾く。

 息が、できない。

 けれど、無視することができず、その少女の元へと、歩み寄る。

「ざ、くろ……?」

 目の前の変わり果てた少女が、僅かに顔を上げる。

「おひさしぶりです……けん、ちゃん。さいきん、みないから……おひっこししたと、おもった……」

 ぼそぼそとした声で、ひとつひとつ、ゆっくりと言葉にする。

「……お母さんは」

「りょこう、いくって……まだかえってない」

「いつからだよ、いつから帰って来ないんだ!?」

 ざくろは応えない。

 それほどに前なのか、応える気力もないのか。

 だが、応える代わりに――ざくろは腹を鳴らした。そして、鼻をひくひくと動かしている。

 もしかして……

 俺は思い立ち、先ほど屋台で買ったタイヤキをポケットから取り出す。

 デート中、買ったはいいけど、俺も茜も口につけなかったタイヤキだ。

「ほら、ざくろ。これ」

 俺は目の前にタイヤキをかざして見せる。

 ざくろは目の前に現れた食べ物に喉を鳴らし、唇を震わせる。

「ほら、タイヤキだ」

「……おいしそうだね」

「食べろ、お腹空いてるだろ?」

 ざくろはなにも言わず、視線を釘付けにしながらも、動かない。

「どうした? 食欲ないのか?」

 首を振り、顔をくしゃりと歪ませ、悲しそうな声を出す。

「……だってこれ、けんちゃんのだから」


 言えないんだ。

 食べたい、って言えないんだ。

 言ったところで、ご飯はもらえない毎日だったから。

 目の前にどんなに食べたいものがあったとしても、いつも自分に関係ないものだったから。

 勝手に食べた後に訪れる、香織ののほうがよっぽど恐ろしかったから。

「――食え」

 歯を食い縛り、心を押し殺して、言う。

「命令だ、ざくろ。これを食え」

 ざくろは未だ、躊躇している。

 伸ばそうとした手を震わせ、よだれを零しながらも。

「早くっ!」

 俺が怒鳴るなり――ざくろはタイヤキにかぶりついた。

 先ほどまであんなに無気力だったのに。いまや死に物狂いで、タイヤキを喉に押し込めている。

「……美味いか?」

「うん、おいしい、おいしいです……それに、あったかい」

「バカ、もう冷めてるよ。もうこんなの、あったかくねえよ」

「でも、あったかいんだもん……」

「……ごめんな、ざくろ」

 細い体を、折れないように抱きしめる。


 なにをしていたんだ、俺は?

 人の不幸に目を背け、俺だけ幸せになれるとでも、思っていたのか?

 一度は一緒にここから逃げ出そうとまで考えた女の子なのに。

 あのとき、手を振り払ったのだって、ざくろが悪いわけじゃないのに。

 俺はなにを考えていた?

 ……差し伸べた手を払ったざくろを逆恨みし、ざくろから目を背けることで仕返してやろうと思ったんだ。

 そうして、ざくろに後悔させたかった。

 剣ちゃんと一緒にいればよかったって……

「わたし、けんちゃんにきらわれたと、おもった」

「お前のことを嫌いになんか、なれるかよっ!」

「そっか、よかった……」

 そう言って、ざくろも泣いた。


 俺は、ざくろを救わなければいけない。

 ざくろが望んでいなくても、ざくろが俺のことを嫌いでも。

 たとえ、どんな手段を使っても。

 それが俺のしてきたことへの償いだから。 

 誰もやらないのであれば、俺がやらなくちゃいけないんだ。


 ――それから一週間後。

 俺は仕事を始め、ざくろにプロポーズすることになる。

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