2-23 行く末

「ざくろ。買い物行ってくれないか」

「いいよ~?」

「ヘブンに売ってるほっこりレモン、三人分買ってこい」

「出た~剣ちゃんの大好きなほっこりレモン!」

 脇にある棚から財布を出し、千円を手渡す。

「ねえねえ茜さん知ってる? 剣ちゃんってこんな顔して、ほっこりレモンなんて好きなんだよ! おこちゃまだよね?」

「へ、へえ、そうなんだ。意外だね……」

「ごちゃごちゃ言ってないで、早く頼む。釣りは取っといていいから」

「ホント? 剣ちゃん太っ腹!」

 現金渡して、現金に喜ぶざくろ。どっちがおこちゃまだ。

「ちょっと、剣一。ウチは別に……」

「遠慮すんな。ざくろ、ちゃんとヘブンで買ってくるんだぞ? 他のコンビニじゃダメだからな?」

「わかってるよぉ。剣ちゃんヘブン以外のは認めないんでしょ」

「ああ。走ると転ぶからな、ゆっくり行ってこい」

「そこまで子供じゃありません~!」

「そっか、じゃあ頼んだ」

「いえすまむ! じゃ、行ってくるね。あとは若いもん同士でごゆっくり~」

 手をヒラヒラと去っていく一番若いざくろ。ていうか、お前意味わかっててそれ言ってんのか?

 部屋からムードメーカーが立ち去り、急に静かになる俺と茜。

「剣一、ここからヘブンの距離って……」

「それなりにあるな」

 一番近場のヘブンはここから一キロ近くある、ざくろの脚なら往復で三十分以上はかかるだろう。

「なんでそういうことするのよ。ざくろちゃんに買い物行かせて、ウチが残ったらまるで……」

「家から仕事場までストーキングしたヤツが、なんか言ったか?」

「……なんでもないです」

 話しの主導権を握るため、相手の弱点をついていく。

「首、見せて」

 言われて茜は自分の首元を抑える。

 生成きなり色をした厚手のマフラー。だが昨日の出来事が現実であるなら、その下には普通の女子高生とは無縁の傷跡が残っているはずだ。

「イヤ」

「見せて」

「もう痛くないから、大丈夫」

「茜の大丈夫は、信用できない」

 しばらく互いに口を閉ざしていたが、痺れを切らして茜はマフラーをするすると外す。

 痛々しく無秩序に貼られたガーゼに絆創膏、白い肌に滲む紫。少なくとも冬が終わるまでに完治するとは思えない。

「縫ったのか」

「……」

「茜」

「少しだけ」

「謝って済むと、思わない。でも謝らせてくれ」

「バカ。ウチが勝手に巻き込まれに行ったの。剣一は悪くない」

 茜がなにか言っているが耳に入って来ない。湧き上がる罪悪感と後悔、俺がそう思ったところで傷はなくならない。

 白い首筋につけてしまった禍々しい痕。針を縫うほどの傷だ。……一生残ってしまうかもしれない。

 そんな茜に、俺は一体どうやって報いてやればいい?

「痛かったよな」

 無言。もう痛くない、は痛かったことの証。

「怖かったよな」

「……うん」

 怖くなかったはずはない。

 だから、せめて話しだけでも。

 だって俺が聞かなきゃ、誰が聞く?

 こんなこと話せる人なんていないし、話したとして信用してもらえない。

 だからざくろに離れてもらった。昨日からずっと一人だった茜のために。

「一般の病院は行ったのか? なんか聞かれたか?」

「うん、一応。嫌なことがあって、自分で傷つけたとか言って」

「……そんなこと言わせて、ごめん」

 そういうと茜は鼻を鳴らし、肩を揺らす。

 頭を俯け、胸の内に抱え続けた恐怖を、声を出さずに喉を震わせ、感情に身を任せる。

 いつも気丈に振る舞っている、茜。

 両親はほとんど帰らず、一人で過ごすことが多かったという。明るく振る舞うのは両親を安心させるためのすべ

 知り合いは多いが、友達はほとんどいない。

 本当の自分を見せるのにだけは、どこまでも臆病な茜だから。

 辛くても、耐えこんでしまうタチだから。

「……触っていいなんて、言ってない」

「えっ」

 気づくと俺は無遠慮にも、茜の首元に手を添えていた。

「わ、悪い」

 慌てて手を引こうとする、が。

「……触るなとも、言ってない」

 離れようとする手を掴み、顎と鎖骨で挟み込む。

 甘噛みでもするような弱々しい接触。力を込めれば簡単に逃れることのできる、強制力のない拘束。

 乾燥した音のない病室、揺れるカーテン。栗色の頭と赤い耳。

 指に感じる絆創膏の手触りに、脈打つ茜の柔肌。そこに感じる熱と、命の躍動。

「茜、生きてる」

「うん」

「俺、茜を殺すところだった」

「ウチが、死ぬわけない」

「本当に、よかった……」

「泣くな、バカ」

 勝手に巻き込んで、傷の手当てもしてやれなくて。

「俺、茜を不幸にしてるよな」

 首筋から伝わる、一瞬の震え。

「茜を楽しくすることもできないし、学校からの評価も落としてるし、挙句の果てにこんなケガまで」

 改めて口にすると、疫病神以外の何物でもない。

「でも、俺はこれからもお前にはなにもしてやれない」

 誰の好意にも応えない。

 呪われた力として新たに追加したブレーキ。

「茜にしてやれることはなにもない。これから先、永遠に――」

「ねえ、剣一」

 俺の指は、いつしか茜の頬に押し当てられていた。

「おあいこだよ」

 ……?

「ウチだって、剣一に迷惑かけてるし」

 違う、最初に踏み出したのは俺だ。

「勝手な正義感で、学校に残れるようにしたり、仕事をやめさせようとしたりした」

 迷惑なんかじゃない、助かってる。でも本当であれば、させてはいけない親切だ。

「大事な人がいるってわかってるのに、未練がましく諦めることもできなくて。本当にウザい女だと思う」

 それは俺が急に茜への態度を変えたから。急な心変わりで、傷つけてしまったから。

「でもお願い。ざくろちゃんと別れるなんて言わないで」

「茜……」

「ウチ、ざくろちゃんのことも好きだよ。悔しい気持ちはあるけど、二人には本当に幸せになって欲しいと思ってる」

 その願いは、正しいものなのか。

 俺が聞いてしまっても、いいものなのか。

「それに、剣一がざくろちゃんと一緒にならないと、諦めたウチがバカみたいじゃん」

 茜の涙は、俺の甘えと勝手の産物。

 俺という疫病神に出会ったがために、呪われてしまった憐れな女の子。

「茜には、本当に悪いと思ってる。でも、それはできない」

「なんでよっ!」

「俺は、ざくろに相応しくないから」

「意味、わかんない」

「それが俺の……」

「闇の、決意ってヤツだから?」

「……そうだ」

「剣一、ずっとツラいよ?」

「関係ない。俺がざくろを助けるのは、俺のためだから」

 ――誰かに好意を持ち、なにを提供するのも与える側の勝手。だが相手が好意を返す義務なんてない。

「わかった」

 茜は納得とはかけ離れた声で言う。

「じゃあウチも、そうする」

 ……?

「剣一は好かれるために、助けるんじゃないんだよね?」

「そう、だけど」

「だから、これからウチがすることもおんなじ。ううん、これまでとおんなじ」

 茜の瞳に映るのは、希望の光……?

「ウチの最悪はね、剣一に関われなくなること」

 おい……

「剣一にどんなに気持ち悪いって思われてもいい。でも剣一の中に少しでもウチがいるなら、頼ってよ」

「ダメだ」

「ざくろちゃんが立派になるまで、ツラかったらどんな時でも剣一の話、聞いてあげるから」

「絶対、ダメだ」

「都合のいい時でいいから……ウチを、使ってよ」

「茜、帰れ。ここにはもう来るな」

 触れていた手を引き、言い放つ。

「剣一にそんなこと言う権利、あるの?」

「なに?」

「誰かに好意を持ち、なにを提供するのも与える側の勝手……剣一の言葉だよね?」

 肌が、粟立つ。

「好意は受け入れなくてもいい。でも……厚意は受け取ってくれたっていいんじゃない?」

 失敗、だった。

「剣一には譲れない決意があるならそれでもいい」

 茜のお節介は、どんな形でも受け入れるべきじゃなかった。

「でも十年、二十年経って、ざくろちゃんも独り立ちして、少しでも、本当に少しでも気が向いたらさっ……」

 どこまでも愚直な茜に、理由を与えてしまった。

 茜は俺の決意に希望を見てしまった。いつか自分が見てもらえるチャンスを、そこに見てしまった。

「ウチのこと、拾ってよ……」

 零れる涙は、汚れなき想いの結晶。

 そんな純粋な茜を、温い拒絶と受容で追い込んだ先は……檻だった。


 茜を決闘に巻き込まないため、作り出したはずの孤高空間アイソレイトだったのに。

 茜を巻き込まないために、好意にも応えない覚悟を示したのに。

 俺の決意を理解した茜は……俺と同じ道を歩むという方法を、知ってしまった。





 なあ、冥王さんよ。

 どうして、ここまで来て、茜はくれないんだ?

 そうすれば俺が茜の決意を無理矢理にでも諦めさせてやれるのに。


 ――闇の決意は、世界に忌み嫌われた呪いの決意。

 その定義は余にも図れない。

 だが、世界には自浄作用が働き、決意を失う運命を与えるという。

 主の元にいる佳人は、おそらく。


 ふざけるな。

 茜が世界の差し金だって、言うのか?

 俺の決意を折るためだけに、茜との出会い、茜との過ごした時、茜の抱えた想い、すべてが世界に遣わされたものだって言うのか?

 そのために俺と茜は引き合わされたって、そう言いたいのか?

 茜の存在は、そんなものに捕らわれて、未来を閉ざそうとしているっていうのか!?

 そんなこと認めない……絶対に、認めない……




***




 その夜、テレビ各社は一斉に臨時ニュースを報じた。

 十年前に失踪した指名手配犯が、陸橋の下から死体で発見。腐敗が激しいことから死亡してから数年経っていることが判明。また、指名手配犯の近くには近日自殺されたと思われる女性の遺体が並んでおり、遺体の近くからは遺言状が発見された。

 遺言状の内容は自身が五年前の犯人であることが示され、十年前に北陸で行方不明となっていた御子柴みこしば亜理紗ありさと確認された。

 警察は遺言状の内容と、その他の証拠から御子柴亜理紗を犯人と断定。近く被疑者死亡として捜査を終了させるとのこと。


 アリサはなぜ、自殺したのか?

 俺を黙って見下ろした、あの瞳にはどんな意味があったのか?

 アリサの生まれた境遇、家から逃げた経緯、アスプロはどのような男だったのか?

 様々な想像が膨らんでは消え、その夜は一睡もできなかった。

 いくら考えても答えは出ない、死人に口なし。どれだけ考えようと答えが出るはずもない。


 だがアリサが死んだという事実は、しばらく俺の頭から離れることはなかった。

 それは決意を失った者の姿であり、愛を手にすることができなかった者の姿。

 そしてアリサが最後に自殺を選んだという事実は……俺一人に当てた、メッセージなんじゃないかと思うことがある。


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