2-22 無知だからこそ

「ふっふ~、剣ちゃ~ん」

「なんだよ、気持ち悪い」

「ひっどーい、それがおヨメさんにいう言葉なの?」

「……関係ねえよ。それになんだって嬉しそうなんだ」

「だって剣ちゃんが仕事にも学校にも行かず、わたしの側にいてくれるのが嬉しいんだも~ん」

「人をダメ人間みたいに言うな!」

「ぶー、じゃスイッチ切り替えちゃうよ? 剣ちゃんが入院するって言われて、たくさん心配したときのスイッチ入れちゃいますよ?」

「わかった、わかったよ! いまのままでお願いします」

「そうこなくっちゃぁ、いひひひ~」

「こら、頭を撫でるな」

 白いベッドの横にはざくろのイタズラな笑顔。そして白い壁と、白い天井と、白い包帯。

 決闘の翌日、俺は入院していた。

 屋上での決闘が終わった後、能力を失ったアリサは、最後に俺を無表情で見下ろし、なに一つ言葉を発することなく、その場を去った。

 身体強化もなく、重症であるにもかかわらず、彼の亡骸を肩に抱えて。

 アリサが今後どのように彼を忘れ、自身の過ちを正していくのかは知る余地もない。ただ罪を償い、新たな人生を歩んでくれることを祈るばかりだ。

 その後、俺は事態の収拾を図るべく社長に電話。

 言い訳はかなり雑。

 ホテルを根城にしていたチンピラに因縁をつけられ、俺と武田は負傷。近くを通りかかっていた女子高生も巻き込まれ、ホテルの屋上は元から大破していた。

 俺と茜は大事おおごとにしない医者を紹介してもらい、重症の武田は社長が回収。俺は肋骨を二本折っているらしく、そのまま大きな病院へ移り入院。警察沙汰にしないため階段から落ちたことになっている。

 ツッコミどころだらけの言い訳だが、社長はなにも言ってこない。唯一口を開いたことと言えば「作業結果は問題なし、これから解体作業へ移る。よくやった」とそれだけだ。いかにも社長らしいと言えば社長らしい。

 決闘というイレギュラーはあったが、結果だけみればすべて望む形で着地した。あとは社長からお金を受け取れば、俺は普通の生活に戻ることができる。

 傍らに座る、ざくろの笑顔を見る。

 コイツがやっと香織の元から解放されると思うと、頬が緩んでしまうのを抑えられない。純粋な”嬉しい”という感情に、自然と心が浮足立ち――ざくろの頭に手を伸ばす。

「ほれ、頭を撫でたいのか? たくさん撫でるがよい」

 自分から俺の手に頭を押し付けてくる。

「なんだよ、される側が偉そうに」

「だって剣ちゃんがわたしに触れたがってるんだもん、激レアだよ。きっとご機嫌なんだね?」

「別に、そんなこと」

「ううん。剣ちゃんご機嫌じゃない時は、ベタベタするの嫌がるもん。だからいまはご機嫌だよ」

 言葉を失う、そんなの意識したことない。

 俺がざくろに触れたがる時は機嫌がいい時だけ――俺ですら知らない、俺の姿。

「わたし、もっと剣ちゃんに触れて欲しいよ。そういうのがないと、人ってきっと疲れちゃう」

 目を細めて、少し大人びた表情で笑う。俺はその表情に、既視感。

 それは雨に濡れる屋上で、アリサが彼に手向たむけたあの表情だ。

「……なに、いっちょ前に語ってんだよ、ガキンチョのくせに」

「わたしはガキンチョですよ、ババアになる前のピチピチギャルなんだから」

「いまどきピチピチギャルなんて、ババアでも言わねえよ」

 くだらない言葉を交わしながら、ざくろの頭を撫で続ける。ざくろは椅子を寄せ、離さんとばかりに俺の腕に抱き着いてくる。

 いつもは鬱陶しくなって頃合いで手を離すのだが、自然と今日はそんな気持ちが湧かなかった。

「……もしかしたら、年明けにはお金が揃うかもしれない」

 まだ言う筈のないことを、零す。

「ホント!?」

 ざくろが目を見開いて驚く。

「ああ、今回の仕事でまとまったお金が入りそうなんだ。それが入ったら結婚の準備金が揃う」

「まぢ? 本気と書いてまぢ!? ありよりのありよし!?」

「ありよしが誰かは知らないが、マジだ」

「じゃあ、わたし本当に剣ちゃんと結婚できるんだ」

「ちゃんとお金が現物で揃ったらな。ちょっと先走った」

「すごいよ、剣ちゃん、大金持ち! わたしは、今日から、たまのこし!」

「いきなりラップ調で騒ぐな、他にも入院してる人がいるんだから」

 ここは一人部屋じゃない。シーツ越しに隠れているが周りからくすくすと笑い声が聞こえる。恥ずかしいったらありゃしない。

「でへへ~剣ちゃん。大好きだぁ」

「そろそろ離せよ。汗かいて来た」

「ったくぅ、照れ屋なんだからあ」

 まったくご機嫌なのはどこのどいつだよ。照れ屋とか言いながらお前だって顔真っ赤じゃないか。テンション任せに言ってみたはいいものの、後からじわじわ来たパターンだ。

 大人とは程遠い子供ながらのスキンシップに立ち振る舞い。でも俺はその表情につられて頬の肉を緩めてしまう。

 そんなきっと幸せって言ってしまってもいいような、ワンシーン。

 ……それを少し離れた位置から見る、俺自身。

 ざくろとは近い将来、別れる運命。

 俺はざくろを金で買っただけの、一人の男。

 檻から出した男が、ざくろに愛を求めるのであれば、男の檻に入ることと同じ。

 ヒーローとは程遠い存在。ここまで明るいざくろになってくれたのは、俺が人身売買費を結婚準備金なんて体のいい言葉で包み隠したから。

 俺は結局、金というものに頼らなければ、ざくろを救うことができなかった。

 七百万で母親から買い取ることしかできなかった。俺は結局、金に勝てなかった。

 ――二人で逃げよう。

 ――わたし、剣ちゃんとは行かないよ。

 伸ばした手を払い除けられた日から、そんなことばかり考えている。


「ったく、昼間っから見せつけてくれるわねぇ」

「あ~茜さんだあ!」

 ふと意識が横に逸れている間、ざくろは新たな見舞い客と挨拶のハグを交わしていた。

 制服姿の茜は困った顔をしながらも、ざくろの無邪気なタックルに「仕方ないなあ」なんて言いながら応えている。

「わあ、茜さん。おっぱいがふかふかだぁ~」

 胸に顔をうずめたざくろが、とんでもないことを口にする。

「コ、コラ! なに言ってんのよ!」

「だってホントのことだも~ん、いいなあ羨ましい」

「ちょっと離して。……剣一だって見てるから」

「あ、いや。俺のことはおかまいなく」

「ウチがかまうっての!」

 続けざまに騒がしくなっていく俺の病室。……大目に見てくれている同室の方には感謝しかない。

 ざくろを振りほどいた茜はバッグを下ろし、上着を脱ぐ。外出用のコートでは病室内では暑いだろう。けれど首元に巻く、厚手のマフラーだけはそのままだった。

 俺の視線に気づいた茜は、むすっとした顔で小さく首を振った。俺はそれを思うままに解釈し、一旦保留にする。

「ほら、剣一。机に入ったままの教科書とかノート、持って来てやったわよ」

「は? せっかく置きっぱなしにしてるのに、なんでわざわざ病院に持って……」

「ホンット、呆れるわね。もう来週から期末試験よ」

「え」

 言われてスマホのカレンダーをチェック、期末試験がいつかは知らないが今日は十二月の二週目。大体クリスマス頃に終業式があることを考えれば、まあそんなもんか。

「せっかく入院で時間を持て余す剣一のために、ウチがまた自分の時間を割いてあげようってんじゃないの」

「マジか……」

 定期試験前恒例、茜先生による留年撲滅プログラムが始動していたらしい。しばらくは仕事を忘れて惰眠を貪れると思っていた矢先のこれだ、ついてない。

「そっかあ、学校ってテストでいい点取らないと卒業できないんだっけ?」

「そうよ。剣一はざくろちゃんのために頑張ってるけど、卒業できなかったら無駄になっちゃうの。だから茜先生が特別に教えてあげようってワケ」

「はえ~、茜さんは女教師でござったかあ」

 常識はずれな質問にも丁寧に答える茜。ざくろには実体験が伴わないため、定期試験の重要性がわからない。

「だからごめんね、ざくろちゃん。できるだけ二人の邪魔はしないから、剣一に勉強する時間をもらっていい?」

「もっちろん! 剣ちゃんに優しくしてくれる人はみんな好き!」

「ありがと。いい子いい子~」

「やた~、茜さんのナデナデだ」

 傍から見たら仲のいい姉妹だ。

 そしてできれば、二人には俺を介さずに知り合って欲しかったと、心から思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る