2-21 冷たい雨
瞬間、目に見える景色すべてが、黄金一色に包まれた。
瓦礫と化した屋上、雲に覆われた空、遠くに見える街並み。すべてが等しく黄金に染まる。崩れ始めた空模様も静まり、風の存在しない世界へと創り変わる。加えて背後にいた茜や、斃れ伏した武田の姿はどこにもない。
「なんなの、これ」
「……此処は現世でと酷似した姿形で在りながら、隔絶された世界。故にここで起きた事象のすべては現世に影響を齎さない」
「また、冥王!? いつからここに!?」
「貴様が闇を手にする遥か昔からだ」
ハデスが流暢にアリサへと話しかけている。
「此処に存在出来る人間は能力者のみ、云わば現界の
能力者しか存在できないフィールド。であればハデスが姿を現しても、問題はないということなのだろう。
誰にも影響を与えられない、誰に関わることもできない。まさに一人で決意を為すに相応しい、俺のための副次能力。
「そして誰に危害を加えることもない。つまり――」
握ったフライを
放たれた衝撃波は瓦礫の足元を難なく破壊。しかし無遠慮に振るわれた衝撃波のエネルギーは留まるところを知らない。
だが倒壊は些末事、
放たれた射程を愚直に迸る。街のアスファルトを、森を、住宅地を分断しながら前へ前へと進む。遠くのビルが斜めに崩れた頃、衝撃波は知らぬどこかで消失した。
身体強化されている俺たちは屋上から跳躍し、ホテルの入り口前へと着地。当該の建物は既に跡地と化している。
アリサは呆けた顔で、衝撃波の軌跡を目で追っていた。
「……なによ、そのデタラメな威力に、この空間」
改めて主能力の強大さを思い知る。最後に
「俺には三つの能力がある。一つは
なにせ
だが今回手にした
「そんな相手に、私は立ち向かわなければならないっていうの?」
強大な力を前に、アリサが一人呆然と呟く。
彼女の肩には赤黒い風穴。青白い顔には生気がなく、このままでは生死にさえ関わる。
……茜を傷つけたアリサを許すことはできない。アリサの凶行を阻止するために、俺がした行動を誤りとも思わない。だがアリサの傷をそのままにしていいかどうかは別だ。
「アリサ。降参しろ」
俺の言葉に瞳を丸くする。
「この結界に茜はいない、そして結界から出るためには決闘を終わらせるしかない。悪いが茜を守るというハンデがない中で、俺は絶対に負けない。だから……」
「無理よ」
再びアリサの前に姿を現す、
「私をバカにしてるの? 私は、彼との生活のためにすべてを捧げてきたのよ?」
アリサは
「もちろん私だって自分のしてることが正しいとは思っていない。このままではいけないという思いもあった。だからこそ剣一君と出会い、私はきっかけを見つけられた。檻に閉じ込められた
アリサの檻は開いている。だが檻の中にしか思い出のないアリサにとって、そこから出るのは苦痛だった。
「けれど剣一君は台無しにした。それはざくろちゃんだけでなく……私の希望への、侮辱だったのよ」
俺の行動と決意は、アリサの思い出、そして希望を打ち砕いた。
「剣一君がなんと言おうと、あなたは茜ちゃんに恋をしている。それは私が見た絶対の光景」
「俺の決意は能力の発現によって証明された。茜が
「人の気持ちをなにかで推し量ろうとすることが間違いなのよ。自分でも理解できない、言葉にできない気持ちがあることを知りなさい。このクソガキッ!」
アリサが口端を歪めて笑い、黄金色のアスファルトを疾りだす。同時に地面へ溶け込んでいく
俺は踵に意識を集中し、現実浸食で地を割る。身を隠さずあぶり出された
その姿は愛に飢えた
有利を生かすべく、自身を支点に横薙ぎの一閃、
が、
艶めかしい体のシルエットをしならせ、体重を乗せた五枚の爪を振り降ろす。
「っ!」
衝撃波の反動で硬直した体ではあったが、かろうじてフライを前にかざし、アリサの攻撃を防ぐ。が、防御行動は想定済みだったのか、続け様に蹴り上げたアリサの脚が、脇腹に重く響く。
強化された脚から放たれた回し蹴りは、俺の体を弾き飛ばし高速道路の遮音板に衝突。歯を食いしばり、飛びそうな意識を引き寄せると、鼻の先で
「
感慨に耽るのも束の間。真横にある一枚の壁が吹き飛び、鋼鉄の塊として俺の体に殺到。反射行動で放つ衝撃波、激しい音を立てて明後日へ逸れる鋼の壁。
不意に足に掴まれた感触。
しまった、
踵で地を割ろうとするも、脚を掴まれた俺は、そのまま宙へ浮かせられていた。向う見ずに
――相手は依代でありながら
そう、正攻法では。
馬籠の依代は傘を開き、水滴を放つ動作が攻撃手段となり、開いた面積の広さが防御手段だった。それは能力関係なく依代そのものの性質である。
であれば手にしているフライ返しにも、そのものの性質を生かした攻撃手段がある。
本来、フライ返しとしての使用用途は油物の調理。それを生かした近接戦闘用の能力。
意識を鎮め、握るフライへと神経を集中させる。衝撃波を放つ時も同じだ、それは振るえば勝手に出現するのではなく、衝撃波が現れるイメージが発現に繋がる。で、あれば俺がいまイメージするのは、火。
宙づりにされた俺は、自身の足首を拘束する
「ヴオオォッー!?」
腐敗した喉から放たれる咆哮、腐った肉の焼ける、とてつもない臭い。
自身の肉体が放つ炎熱に耐え切れず、抱えた俺を腕から取り落とし、灼熱地獄から逃れようとあてどもなく宙を掻く。いくら切り刻まれて肉片をブチ撒けようと、再生できる
「
襲撃のため身を潜ませていたアリサが、無防備にも姿を現して
「この火は一体!?」
――好機。
アリサは突然の出来事に狼狽し、戦闘への注意を失っている。衝撃波で闇を祓えばアリサは決意を失い、俺の勝利が確定する。
だが……
「ウソ、ウソなんなのこれ!? 彼が、彼がこんなに苦しんでるっ! いままでこんなことなかったのに!」
アリサは自分の身に纏うバスローブを脱ぎ、彼の体に向かって叩きつける。だが油を媒体にした炎はそんなことでは消えはしない。アリサはこれ以上ない程に狼狽え、パニックを起こしている。
顔に浮かぶのは色濃い絶望。俺はそんな相手に向かい……決意を奪うのか?
……構わないだろう、なによりアリサは茜を傷つけた。それだけでアリサになにも同情する余地はない。この決闘に勝利すればアリサは
だが、なぜか腕が動かない。頭を掠めるのは先ほどアリサが口にした例え話。
似ても似つかないはずの、アリサとざくろ。
男に愛されたいと泣き叫ぶ女と、最後まで物言わなかった男の消失。そんな冷たい男にさえ、女は思いを募らせ、彼の痛みに涙を流す。
そのアリサに向かって無慈悲に、無感情に、腕を振り下ろし――彼女の想いを奪おうというのか?
俺にそんなことが、できるのか?
だが、いま手を下さずに決意を成就させることなんて、本当にできるのか?
俺が今しようとしていることは、俺の目指す決意の結末と同じだ。その最後の瞬間に躊躇ってしまう俺が、最終的に決意を成就させることなんてできるはずが、ない。
……俺は握るフライに神経を集中、脳に描くイメージは決意を祓う、衝撃波。
そんな気配に気づいたのか、アリサは思い出したように俺の存在を認識する。燃える彼の傍らで、一言だけこう口にした。
「お願い、助けて……」
アリサの姿が――ざくろに重なる。
「彼が、苦しんでる」
近くでは燃え盛る彼の体、その熱を受けてアリサは自身の体さえ焼いている。
「彼の苦しむ姿は、もう見たくない……」
頬を伝う、涙。
……なぜこの女は男の側から離れようとしないのだろう。
そもそもアリサは自分の手で彼を殺めたというのに。
彼がこんな姿にされて、苦しくなかったとでも思うのか?
それなのになぜ、彼の苦しむ姿は見たくないと、涙を流せるのだろう。
意味不明。支離滅裂。矛盾撞着。
同情するに値しない。
だから俺は……
「――わかった」
アリサと同じように、一貫性のない行動を取る。
「
俺の言葉と共に、一瞬で風景が様変わりする。
俺たちの立つフィールドは、荒らし尽くされた高速道路ではなく――結界の展開前に対峙していた、瓦礫の屋上。現界ではあれから少しの時も動いていない。
振り返ると背後には目を丸くした茜、傍らには横たわる武田。対峙するのは裸のアリサと、燃え盛る
そして――勢いよく降り注ぐのは曇天からの冷たい雨。
苦痛から逃れようと宙を掻いていた、
「よかったぁ……」
その傍らで立ち尽くす彼を抱きしめるのは、彼を殺した張本人。その顔に浮かぶのは――心からの安堵。
一方的で、歪み切った愛。
けれどアリサの顔に浮かぶ表情に、なぜか俺は目が離せない。
「……ちょっと、剣一」
背中が引っ張られて振り向くと、怪訝そうな顔をした茜。
「なにハダカの女性をまじまじと見てんのよ。なにがあったか知らないけど……失礼でしょ」
「あ、これは失礼」
俺は公序良俗に従って目を逸らそうとしたが――ハダカの女は決闘相手だ。目を離して大丈夫だろうか? 現界でも周囲を気にせず、容赦のなかったアリサだ。目を離した瞬間に襲い掛かってくる可能性を捨てきれない。
「案ずるな、決闘は終わった」
神出鬼没のハデスが姿を現した上で、口を開く。
「闇を発現させる依代は消耗し、その能力を失った」
「冥王の名において宣言する。いまここに決闘は終了した」
「そっか」
その言葉に気が抜けたのか、膝が笑い出し――上体を支える力を失った。
「剣一!?」
咄嗟に茜が体を支え、ゆっくりと地面に下ろしてくれる。冷たい雨に体を濡らし、不安そうな顔で俺を見下ろす。
「なあ、茜」
呼びかけられた茜は、黙って俺の言葉を待つ。
「勝ったぜ」
笑って、サムズアップ。
「ぷっ、バッカじゃないの。こんなにボロボロになって……」
「お互い様だ」
「……聞きたいこと、山ほどあるんだからね」
茜の言葉を耳に、対戦者のアリサに視線を移す。
彼女は物言わぬ亡骸を抱き寄せ、彼に――
「……ごめんなさい」
過去に、別れを告げていた。
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