2-20 孤高空間
「俺はざくろと結婚する。だが好意を持つことはない、救う方法はその唯一だったから」
アリサが、動揺する。
……なにをそんなに驚いている?
どうして行動するのに理由が必要なんだ?
どうして好きだとか嫌いだとか決めたがる?
どうして感情が伴っていないと納得しようとしない?
そんな浅慮な詮索や早とちりが、嫌で嫌でたまらなかった。
「剣一?」
……茜には聞かせたくなかった。
「どうして、好いてない相手と結婚を?」
「ざくろは自分が檻にいることを知らないから。自分で逃げ出せたアリサとはワケが違うんだ」
頭の中がどんどん冷えていく。決意を再確認することで神経が研ぎ澄まされ、能力が一段と体に馴染んでいく。
「俺の目的はざくろの親権を母親から奪うこと。ざくろを保護するために、結納金をエサに香織からざくろを釣り上げた」
「そこになんの意味があるっていうの」
「ざくろが可哀想だったからに決まってる」
「だったら同じじゃない! そこまでしようと思ったのは、剣一君がざくろちゃんのことが好きだったからでしょう!?」
「目の前の暴力を止めさせるのに、好きも嫌いもない」
ウンザリだ。
異性に救いの手を伸ばすには、色恋という動機がなければいけないのか?
救われた人はその人に惚れなければいけないのか?
救った人は救った責任をもって好きにならなければいけないのか? おとぎ話かよ。
「香織はざくろを水商売に沈めて、金を手にする気だった。じゃあなぜ俺との結婚を許したと思う? それは俺が結納金でざくろを購入したからだ」
言ってしまえば人身売買をしたようなものだ、その俺がざくろに愛を求めたらどうなる?
「金の力で救われたざくろの自由はどこにある? そんなざくろが俺の好意を拒否をする理由はどこにある!? そんなのないだろうが! ざくろが手を跳ね退けることはできない、そんなことをしたら俺が香織になるだけだ!」
ざくろを好きになる権利なんて、最初からない。
仮に俺が、ざくろを好いてしまったのなら、俺は香織と同じ
自分に暴力を振るう存在すら好いてしまうざくろが、好意を返さないはずがない。それがわかっているからこそ、俺は間違ってもざくろを好きになるわけにいかない。
その僅かな可能性をシャットアウトしているのが、決意というストッパーだ。
「ざくろは来年から高校に通い始める、なによりざくろが通いたがっていたから。そうして少しずつ社会との繋がりを取り戻す」
そのための学費は用意した。俺はざくろを好きじゃない。
香織が放棄した親の責務を俺が果たすだけ。
「ざくろは少しずつ外の世界に馴染んでいく。普通の高校生と同じく、家族とべったりせず友達を優先するようになる」
二人の生活費のため、俺は普通の職場に就職する。俺はざくろを好きじゃない。
でもざくろにも安心して帰れる場所は必要だ。
「ざくろはいつしか学校を卒業する。就職か進学か……どちらにしても、俺が反対することはない。いや、その頃には俺に進路を話すこともない」
二人の関係はただのルームシェア、俺はざくろを好きじゃない。
ただざくろが自立するためには必要なことだった。
「ざくろにもいつしか好きな人ができる。大人になったざくろは離婚の申し出をするだろう。そのときが来たらようやく俺は……」
「ふざけんなっ!」
背後から回された腕が、体を強く締め付ける。
「なによ、それ……剣一の生活、どこにあんのよ。剣一の自由はどこにあんのよっ!」
「選べる自由があった。その中でざくろを助けたいと思った」
「認めない、そんなの認めないっ! 剣一、ざくろちゃんのために頑張ったじゃない。自分の将来も、学校の生活も捨てて、頑張ってきたじゃん! それなのに、最後になにも残らないなんて、認めないっ!」
「……認めないって、言われてもな」
ざくろを救う。
そして、ざくろの旅立ちを見届ける。
俺だってざくろを害しかねない一人だ。だからざくろが救われることだけを願ったとき、俺の手元に能力がやってきた。
世界はその願いを歪んだ決意と定義づけた。だがその決意は俺の正義、認めるわけにはいかない。だからそんな世界に逆らうため、俺は決意の成就を誓ったんだ。
「剣一君はそれだけのことをしても、ざくろちゃんをなんとも思ってない。……ううん、思わないと決めている。そういうことね」
「決める? なにを言ってるんだ、俺の感情が動かないだけだ」
「自分を騙すのはやめなさい、好き嫌いをコントロールできる人間なんていつはずがない。あなたはざくろちゃんを好きだって認めるべき」
「埒が明かないな」
「こっちのセリフよ。それとも好いてないから、チャンスがあるって茜ちゃんに言ってるのかしら?」
魔女が俺の肩越しに目を細める。
「誰も道連れにはしない、絶対に」
再び屋上に緊迫した空気が流れる。
「逆に聞くが、アリサはどうして俺がざくろを好いてなければ困るんだ?」
対面する敵の顔には、狼狽。
「アリサは俺に彼の影を見た。……だから誰も好かずに行動する俺が怖いんだろ?」
安い挑発。
アリサが望むのは、俺がざくろを好いているということ。
ざくろに投影した自分の姿が、純粋に愛されていると思い込みたかったから。
「似てるなんて思いたくないが、もしかしたら理由まで同じかもしれないな?」
本当は誰も愛していなかった。
自分のエゴだけのためだけに手を伸ばした、俺のように。
「そ、そんなはずは……」
「そうだったら怖いよな? もしかするとその男だって一瞬たりとも……」
「黙れっ!」
――俺は踵を叩き、屋上の足場を破壊。
亀裂の入った足場が、コンクリート片を階下に落とし、平らな足場を歪んだ廃墟に変える。
鉄筋に支えられた凸凹の足場に、瓦礫の山。俺は安定する位置に跳躍。警戒するが新しい足場に手は生えてこない。
ひび割れ地続きしない足場では、
「あなたに、彼のなにがわかるの」
「さあ、なにもわからない。言ってみただけだ」
「あなたに、私のなにがわかるのっ!?」
「それはもっとわからない、お前はもうヒトじゃない」
「……そうね。でも私をそうさせたのは、あなたがざくろちゃんにしたような、女心を愚弄したのがきっかけよ」
女心を愚弄、ざくろにその言葉はあてはまるのだろうか?
だが、こんな考えを抱いてしまうこと自体が……ざくろを愚弄しているんだろうな。
「剣一君が愛を返せば、少なくともざくろちゃんが狂う未来は訪れない」
「ざくろは狂わない、いや母親を疑問に思えないからこそ狂っていた。それを正すのが俺の役目だ」
「その考えこそ間違っている。あなたがそんな考えで接しているのであれば、女は必ず気付く」
「ざくろはそこまで考えないさ」
「考えるに決まってるっ! ざくろちゃんが欲しているのは檻からの解放じゃない、剣一君の気持ちよ」
「ざくろに会ったこともないのに、そんなことがわかるのか」
「わかるわよ! だってざくろちゃんは……あなたのプロポーズに答えたのよ!」
「っ!?」
忘れたはずの光景、記憶の断片。
言霊の存在さえ信じた、あの日。
ざくろが「うん」と頭を下げた瞬間、胸に沸き上がった溢れるほどの喜び。
アパートを差して「帰ろう」と言ったとき、涙を零した小さな存在。
何度も聞き返された「結婚、ウソになってない?」の問い、頷くたびに涙ぐむざくろ。
笑いながら「剣ちゃん、絶対に幸せにするって言ったくせに~」と、からかうざくろ。
その時間を過ごした上で、ざくろは変わっていった。
そんな、ざくろがいま思うこと――?
「……ざくろが俺のことをどう考えようと、関係ない」
決意を阻害する理由にはなりえない。
俺は自分のためにざくろを救う、究極的にはざくろのためですらない。
「そう口にしながら今度は茜ちゃんを守るために命を張る。あなたは守られた側、救われた側の気持ちを、理解しようとしたことがあるの?」
「あるさ。だから、悪いと思ってる」
思わず零れた言葉、背後から息を呑む気配。
俺の決意は誰にとっても迷惑。茜を巻き込み、母様の期待をも裏切ることになる。
そして茜は巻き込まれてしまった。
すべてを伝えると約束し、闇の片鱗を見せてしまった。もう巻き込まないという選択肢はもうあり得ない。
だから……俺は茜を、利用する。
「茜、降りてくれ」
背筋を伸ばし、背中に回された腕を振りほどく。
俺がこれからすることを思えば、茜との関わりは断つべきだ。人を支えるということは、その行為に依存することでもある。
「剣一」
背で言葉を受ける。
「ウチはいま起こっていることがわからない、これからなにが起こるのかも」
誰にとっても未知の領域、次々と普通から外れていく破滅への道。
「剣一が口にしたことはバカだと思うし、勝手すぎるし、いますぐブン殴りたいくらい許せないことばかり」
だろうな。
急に接近してきたと思えば、婚約者を作り、今度は婚約者を好きではないと言いだした。手に負えない。
「それでも、剣一を信じる」
……。
「剣一がどんな姿を見せたって、ウチは自分の知ってる剣一を信じる」
「バカ」
「バカに決まってるわよ。じゃなきゃここまで来ない」
――俺たちは結局、自分の目に見えたモノしか信じない。
俺がなにも望まぬざくろを引き上げたように。その行動に好意があると信じて疑わないアリサがいるように。
俺たちは自分の願いを相手に押し付けることしかできない。
「だから剣一、必ず帰ってきて」
「ああ」
その中で僅かな願いを汲みあげ、生きていく。
心を深く鎮め、今一度決意を胸に刻み込み、傍らに現れた冥王へと視線を向ける。
「愚かな。其れ程の力を持ちながら、まだ高みを求めるとは」
贅沢か?
「余の役目は能力を与えることではなく、決意を消し去る事。然し、認めよう。主には更なる力を扱う程の決意が存在すると」
「っ、あの時の!?」
アリサの目にも、ハデスが映っている。
ハデスが可視できるのは、能力を喪失する時と、習得する時だけ。
「意識を保て」
――脳から脊髄に杭が打ち込まれたような激痛が走る。砕けそうになる膝を堪え、明滅する意識に歯を食い縛る。
新たな副次能力を得たことによる体の拒絶反応、一秒にも満たない刹那の衝撃。痛みは脳を覚醒させるための刺激物。全神経と脳が直結されたような、全身を包む万能感。
痛みの残滓と、新たな能力を得た高揚感を胸に、対峙する敵を睨み据える。
「アリサ」
狂気の
気付けば曇天からは雨粒が零れ落ち、粉塵塗れとなった屋上の瓦礫を洗い始めていた。
「人は究極的には自分のためにしか行動しない。だから他者になにかを求めることすら間違っている」
すべては自分が生きていくため。そのために自ら動くのは当然のこと。相手からの提供を待ち続けるだけの人生なんて、存在しない。
「けれど誰かに好意を持ち、なにを提供するのも与える側の勝手。だが相手が好意を返す義務なんてない。ざくろにも、彼にも、そして……俺にも」
もちろん応える選択だってある。人間であればその感情が生まれるのは必然。
それを理解して尚、好意を受け入れない俺自身が、異常だということも理解している。
「俺の
婚約という荒業には好意の誤認が必要だった。そのために俺はざくろを騙した、その醜悪さは理解しているつもりだ。
だから俺はその上で誰かに好意を求めるなんて、ありえない。
「アリサ、さっきの問いに答える。俺は守られる側の気持ちを考えることはない。向き合わないことこそが俺の決意だ」
ざくろを好意で縛らない。
そして好意を待ちかねない人のことも。
「だから俺は決意成就のため、宣言する。――俺は誰の好意にも応えない」
「その決意、
決意を履行するための新たな決意、確固たるモノにするための儀式。
「俺は俺のためだけに決意を実行する。展開、副次能力――
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