2-18 依代への愛着

「本当に好きなのは茜ちゃんで、ざくろちゃんはペット。遠からず見捨てられるのよ」

「勝手なことを言うな。俺はざくろを見捨てない」

 ……本当、に?

「そう。だったら茜ちゃんへの言葉、全部ざくろちゃんの前でもできる?」

「っ!?」

「すぐに否定しないのねぇ、わかりやすくて助かるわ」

 できる、できるに決まってる。

 ざくろは茜を慕い、茜だってざくろとの結婚を理解してくれている。

 でも、ざくろが自立したら、俺はざくろの元から去る……?

 違う。自立したざくろが俺の元を離れていくんだ。だから俺が見捨てたことに……ならない、のか?

 それに、どこだ。

 俺の意志はどこに、あるんだ……?

「男ってなんでこうなのかしらね、茜ちゃんはどう思う?」

 俎上そじょうこいに顔を寄せ、聞く気もないクセに茜の顔色を窺う。

 茜の目から覇気がなくなり始めている。痛みを加えられ呼吸を圧迫された茜に、他のことなんて考えられるはずがない。

「だんまり。あの女と同じで、剣一君のすべてを受け入れるってことかしら? ムカつくわぁ、殺してあげたいくらいに」

 また爪が首に押し込まれる。

「う、うぅっ……」

「もうやめろ! このままじゃ本当に茜が!」

「いいじゃない。剣一君はざくろちゃんを見捨てないんでしょ? じゃあ茜ちゃんが死んじゃっても、剣一君にはなんの不都合もないでしょう?」

「本気で、言ってるのか」

「私はいつでも本気よ」

 狂ってる。

 それがアリサの本心であれば、これ以上の会話に意味はない。

 俺がざくろを見捨てないからといって、茜が傷つくことを看過できるはずがない。もう説得を試みることに、なんの意味もない……

「ざくろちゃんのために、この女を殺す。どうせ私の手はもう血塗れ。会ったこともないけれど、ざくろちゃんには幸せになって欲しい。そうすれば私が手にした闇の決意も、誰かにとって価値を持てるかもしれないわね」

「闇の決意は自身のエゴだ、価値なんてない。誰かのためなんて、ただの正当化だ」

「ふふ、そうね。論破されちゃった」

 自分の間違いを認めつつ、改める気はないアリサ。……僅かにあった躊躇が霧散していく。

「あなたが悪いのよ、剣一君。あなたが中途半端に茜ちゃんに優しくするから、こうなったの」

 ――近くを大型トラックが通り、僅かに地面が揺れる。テーブルの上にあるカップが、静かに音を立てた。

「でも、もうどうでもいいわ。あのときは考えなしに彼を殺してしまったから、男側の事情を聞けなかった。でも剣一君と話して、大した理由なんてなさそうだってわかったわ。せっかく面白い話が聞けるかと思ったのに」

 アリサにとって、俺は記憶の彼と同列の存在。それほどまでに俺への愛憎が深く、茜を妬む。

「茜ちゃん、ごめんね。あなたを生かしておくつもりなんて最初からないの」

 苦痛に耐えていた瞳が言葉の意味を理解し、見開かれる。

「ざくろちゃんの幸せのために、あなたは必要ない。だから……さようなら」

 アリサは恍惚とした表情で、命を摘み取る瞬間に酔い痴れた彼女は――この瞬間、油断する。

 室内のコンクリート壁が変形、形作るのは一点集中の破城槌。油断した敵の横腹目掛け、一突きにせんと急襲。

 熟練の能力者アリサは襲いかかる一突きに反応。回避しようと体を捩るも……肩を射貫かれ、対なる壁へとはりつけとなる。

「ィヤァアアッ!?」

 肉を抉られる痛みに、アリサは叫喚。

「なぜ……なぜ、あなたも現実に影響をっ!?」

 現実浸食インフェクション。闇のルールを覆す常識外れの能力。

「茜、大丈夫か!? 俺がわかるか!?」

 アリサの手から解放された、茜の体を抱き寄せる。

「けん、いちぃ……?」

 僅かに震える体を、黙って抱き締める。

 首元からはいまも血が滲んでいる。机にあるカップを弾き飛ばし、布製のテーブルクロスを千切って止血に当てる。

「怖かった、怖かったよ……」

「本当にごめん」

「ううん、ウチが悪い。バカだなあ……あぶないっていわれてたのに……」

 詰まる胸、だがいまは感情に支配されている場合ではない。

「茜、立てるか?」

 首元を布で抑え、少しふらつきながらも首肯する茜。

 そして叫び続ける敵を見る。

「殺す、殺してやるッ!」

 赤黒く抉られた肩。想像を絶する痛みにもかかわらず、自身を磔にするコンクリート槌を破壊せんと、空いた手で殴りつけている。女とはいえ強化された膂力であれば、素手でコンクリートを破壊することも容易だろう。

「茜はホテルの外に逃げてくれ」

「剣一は?」

「あいつと戦う」

「なに言ってるの、あの女凄い馬鹿力で……」

「俺もあいつと同じなんだ。同じ力を持ってる」

「同じ、力?」

「説明は後だ」

 既に起きている光景は現実のものではない。茜には少なからず説明が必要だ。

「でも、剣一がケガしたら……」

「大丈夫」

 茜の肩を掴み、正面から言う。

「わかった、信じる」

 茜を外に逃がすため、手を取って部屋の外に向かって走り出す。

「逃がすかっ! ――アスプロ!」

 俺の足が、地面に縫い付けられる。

 微動だにしない足首に、掴まれた感触。目を向けると――地面から手が生えていた。

「くっ……!? 分断ディバイド!」

 ベルトからフライを抜き、足元に衝撃波を放つ。フライから迸る暗紫色の光は、正確に手首だけを切断し、俺の足からほどけていく。

 連られて立ち止まった茜がなにか言いたそうにしていたが、思い直してオートロックのドアに走り出す。

 が、不穏な空気を前方に感じる。

「茜、待て!」

「えっ?」

 繋いだ茜の手を引き寄せ、ドアに向かって分断ディバイドを放つ。

 現実浸食インフェクションと一体である衝撃波は、現実の鉄扉を捩じ切り、金具を巻き散らして廊下の壁に叩きつけられる。だが衝突したときの音に、違和感。金属がたてるはずのない、ぐしゃりという肉の潰れたような音。

「前に、なにかいる……」

 壁に叩きつけられた扉から、五本の指が覗く。

 その指一本一本は赤黒く、そして漂うのは強烈な腐臭。

 扉は壁から剥がれ落ち、ソレが俺たちの前に姿を現す。

「うっ」

 茜はその姿に口元を抑え、反射的な嘔気を催す。俺も気を張らなければ、吐瀉してしまいそうなおぞましい姿。

 人の、形をしていた。

 顔の皮膚は剥がれ落ち、こけのようにまぶされた髪。全身がぬらりとした不気味な水気を保ち、体に纏うのはスーツらしき衣服。

 肌の放つ色は黒に近い赤、およそ生物が放っていい色では、ない。

 であれば、これは生物の形をしたなにか。もしくは生物だった、なにか……

「どう? これが私の能力、アスプロ。不死身のボディガードよ」

 肩に赤黒い穴を開けたアリサが言う。

 失血で蒼白になりながらも顔に浮かべているのは、笑み。

「これが、能力だって? ふざけんな、だってこれは……」

「そうよ、元々ヒトだったもの。私が殺してしまった、殺した後も愛さずにいられなかった、愛しの彼よ」

「彼だって? じゃあ、能力の媒体となった依代は……」

「そう。彼の死体ぬけがらよ」

 もう、遅かった。

 アリサは既に、帰れないところまで足を踏み込んでいる。

「あのとき、動かなくなった彼を前にして思ったの。人形を一方的に愛することに、意味はあるのかって」

 アリサは男にとって都合のいい人形、男が飽きなければ囲い続ける意味はある。

「だから思ったの、もしかしたら人形は存在するだけで、意味を持てるんじゃないかって。私は子供の頃に人形だって買ってもらったこともない、だから人形を手にするのは、それが初めて。私は意を決し……彼の体を抱きしめてみた」

 人形とは自分の理想を押し付けられる媒体。

 好きな人格を与えられ、理想の答えを返してくれる。少年少女の初めての遊び相手。

「まだ暖かった。そして私が自分の意志で彼を抱いたことも初めてだった。……私は思った。彼にこれからもずっと、暖かさを教えて欲しいって」

 彼以外の暖かさを知らない少女。その少女が、いま求められる最大限の願い。

「すると不思議なことが起こったの。人形となったはずの彼が、自分から立ち上がったの!」

 少女の願いは、闇の決意として、成った。

「彼は昔より静かになってしまったけど、いまは私を尊重してくれる大切なパートナー。そして……私の望みをなんでも叶えてくれる、最強の能力なのよっ!」

 目の前のアスプロが、こちらに突っ込んでくる。

 が、鈍足。俺はフライを抜き、分断ディバイドを放つ。あえなく肉塊は再び壁に叩きつけられ――そのまま壁に吸い込まれて行く。

「茜ちゃんのこと、放っておいていいの?」

「っ!?」

 言われて、気付く。

 決闘者はアリサ。だがアリサの一番の狙いは、茜。

 振り向くと体を自由にした能力者アリサが距離を詰め、茜に爪を振り降ろしていた。

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