2-17 二度目の復讐

「この部屋は君の物だ」

 金持ちの男は言った。

 とあるホテルの一室、今日からここがわたしの家。

「その代わり、君は僕の物だ」

 それが私と彼の間で交わされた契約。

 彼との契約で手にした生活は素敵なものだった。

 だって私は家出少女。親の暴力から逃げたところを、彼に拾ってもらえたの。

 最悪な親という飼い主の元を離れ、自分から彼という飼い主を選んだ。

 生まれた場所は自分では選べない。でも私は自らの境遇を否定し、新しい生活を選びとった。

 美味しいものが食べられて、お小遣いも貰えて、自由があって。そして私という存在を大事にしてくれる彼がなによりも愛おしかった。

 彼はことあるごとに愛を囁く。

 けれど私だってバカな子供じゃない。決して自分が唯一ではないことくらい理解していた。

 でも言葉に揺られて、本気のフリをするのも楽しかった。彼の愛をもらえるのが騙される私なら、その役割を演じるのも悪くなかった。

 きっと私が選択したのは新しい檻。

 けれど視界に映るのが愛しい彼だけであれば、私にとっては完成された世界だった。


 そんな完成された世界も、一年足らずで終わりを迎える。

 私はあるとき彼が新しいを別の部屋に招き入れるところを見てしまった。

 私は好奇心から二人に見つからないよう――正に今日の茜ちゃんと同じように――鍵が閉まる前に体を部屋に忍ばせ、一部始終を見てしまった。

 やっぱり、というどこかスッキリした気持ちと、得体のしれないモヤモヤした気持ち。初めて生まれた、嫉妬という感情。

 その日から彼に囁かれる愛は形を変えた、それは受け取り手である私にだけ訪れた変化。

 でも私には彼を問い詰める権利はない。彼が私に求めているのは騙されている私、問い詰めるということは契約の終了なのだから。

 黙って騙され続ければいい。けれど唯一じゃないという思い込みと事実は、似てるようで全く別物であることを思い知ってしまった。

 私はその後、彼が連れてくるペットとの愛をすべて盗み聞くことにした。

 それは私に囁くものと同じであったり、そのペット専用だったり、言葉すら必要ない時さえあった。それらを経て、私専用の言葉を発見し……愚かにも嬉しくなった。

 そんなある日、ペットではないものと出会ってしまう。

 その日も同様、部屋に忍び込んだ。だが彼は女に手を出さず、仕事の話を始め、お金の話を始め……怒り、そして涙を流し始めた。

 信じられない――そしてあろうことか、女は彼に腕を回して、彼に優しい言葉をかけていた。

 ペットではない、生きた人間……?

 私にとって絶対の彼。その彼にとって対等、いやそれ以上の存在……? 私はいてもたってもいられなかった。


 彼が浴室に入ったのを見計らい、私は愚かにも女の前に姿を現した。

 我慢できなかった。

 彼が女に縋る声が、女が彼に対して示す感情が。

 だから彼にとって後ろめたいはずの、私自身を女の前に突き出してやった。

 私も含め、女は嫉妬の生き物。女がたくさんのペットを抱えていることを知ったら、女と彼の幸せな時間は消え失せる。

 そのはずだった。

「知ってますよ。それでも私は、彼を放っておけないから」

 笑って見せた。

 なに一つ曇りのない表情で。

 あまつさえ、こう言った。

「彼にとってあなたは必要な存在。でも嫌になったのなら、逃げてもいい。彼はきっとあなたを理解してくれるから」

 私に、笑いかけた。

 それからは断片的な記憶しかない。

 気づけば手にガラスの灰皿。

 頭部を赤く咲かせた人形。

 行為を終えた後のような高揚感。

 彼が人形に呼びかける悲痛な声。

 頭と耳はノイズでいっぱいだった。

 彼は私の姿には見向きもしない、呼びかけるのは人形に対する嗚咽のみ。

 ああ、うるさい。

 さらに衝動に身を任せると――彼も赤い人形と化していた。



「それがあの日の真実。もう本当に私がやったことなのか、実感すらも残ってないわぁ」

「じゃあ、アリサが……」

「はい、その通り。私、殺人犯だったの」

 哄笑。

 突然、明かされた事件の真相。

 報道されたのはホテルで殺害された女と、消えた男が一人だけ。

「指名手配になってる男は、どうなったんだ」

「焦らないで、いずれわかるわ」

 言いながら茜の首を弄ぶように指で転がす。

 最初は抵抗を見せた茜も、アリサの超常的な力の前になす術もない。

 ぐったりとさせた四肢に、反射的に漏れてしまう呻き。首筋を流れる血が、ワイシャツを伝い胸元を真っ赤に汚している。

「いい加減、茜を離せ。その話と、茜になんの関係があるんだ!?」

「この話を聞いてあなたはなにも思わないの?」

「思わない、茜はなにも関係ない!」

「剣一君、私はガッカリよ」

 爪が肉を拓き、茜の絶叫が響く。

「やめろ、やめてくれ!」

「剣一君があまりにもバカなことを言うと、このコも人形になってしまうかもしれない」

 涙と、汗と、血に塗れながら、茜が肩で息をする。

 なにか、なにかないのか。茜を救う方法は……

「茜ちゃんはね。殺された女で、私はざくろちゃんなの」

「なにを言って……」

「ざくろちゃん、嬉しかったと思うわ。地獄から救ってもらえて、剣一君にプロポーズされて」

 言葉は、通じない。

「だけど好きな人は別にいた。彼に思われた人は彼の唯一を目指そうとせず、すべてを受け入れて、縛り付けようとすらしなかった。ずっと彼の理解者であろうとした」

 昨日見たアリサは、どこにもいない。

 いま目の前にいるのは、茜を苦しめて愉しむ明確な敵、だった。

「なんて懐が深く、お優しい方なのかしら。尊敬しちゃうわ」

 狂ってる。いやアリサは最初から狂っていたのだ。

「でも私には関係ない。私は彼の唯一オンリーワンになりたかったの」

 現実と過去が入り交ざったアリサの独白。けど言いたいことの輪郭は徐々に見えてくる……

「彼はになってくれたけど、ざくろちゃんにはいまも剣一君がいてくれる。だから私の運だけが悪かったと思い、決意を捨ててもいいとさえ思えた。それなのにあなたはざくろちゃんを裏切っていた」

 ざくろはアリサの過去なんだ。

 ざくろの将来に自分を投影し、ざくろの幸せを願った。

 だから再び現れた過去の恋敵――茜を再び亡き者にしようとしているのだ……

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