2-14 賽の河原
二日目。昨日に比べて冷え込みが激しく、ブルゾンを着込んでの調査となった。
脚立に上り、天井裏の材質を削り取る。単純作業に見えて動きが多く、防寒具越しだと動きにくい上、熱が逃げないので結構汗をかく。
だが暑いからって脱ぐわけにもいかない。一度汗をかいてしまうと、その汗が冷えて余計に寒く感じるからだ。この体温調節が難しく、想像以上に体力を持っていかれる。
途中、アリサに「コーヒーでも飲まない?」と誘われ、三十分だけ顔を合わせた。
その日は特段、他愛もない話。
高校の話、仕事の話、それと家族の話。聞いて楽しい話しでもないのに、相槌が上手いせいかだいぶ喋らされてしまった気がする。
アリサは俺は遠い関係だ。残念だけど決闘を終えたら、もう二度と会わない人になるだろう。
近すぎる誰かと違い、知りすぎることで迷惑をかける存在にはなりえない。それも舌を軽くするのに一躍買ったかもしれない。
そんなアリサは、ざくろのことをとにかく聞きたがった。
ざくろの現在、母親の仕打ち、仕事を始めた経緯、そして婚約。
聞いているときのアリサは、少女のように目を輝かせていた。
素敵、いいなあ、ロマンチックなんて言いながら。
そして最後に言われたのは「剣一くんは、白馬の王子様なんだね~」と両手を頬に当てながら呟いていた。年上なので口には出さないが、結構少女趣味なのかもしれない。
この日は残業をして、二十二時終わり。
少し無理はしたが、五階から二階までの調査を終え、あとは一階を残すのみとなった。 武田は十九時に帰ったものの、明日までに終えられるとのことで、ひとまずは安心できそうだ。
帰宅道、また茜と電話をした。
お伺いのメッセージが一度来ていて、返信したらすぐにかかってきた。
昨日より遅い時間帯にもかかわらず、茜はテンション高くで、暗い帰り道を明るくしてくれた。
でも、怒られた。
「こんな遅い時間まで働いて! 明日も朝早いんじゃないの?」
「そうだけど、というか俺が自分で働く時間決めてるんだし」
「今日は何時に起きたの?」
「五時だけど」
「明日は七時に起きること、わかった?」
「わかったよ……」
「約束だかんね。剣一、いつも仕事終わりと起きがけにログインするでしょう? 七時前にログインしてたら茜さんが成敗してくれるから」
サンマの話だった。
「茜さ、いい加減にログイン時間のチェックまで見るのやめたら。さすがにネクラ過ぎて引くんだけど」
「う、うっさいわね。いーでしょ、別に!」
と、強制的に起きる時間を決められた。
進捗的には問題ない、けど万全を期して七時前には起きるつもりだったのだけど。
「本当に……約束だかんね?」
「ああ」
期待する返事を理解しつつ、俺はおざなりな言葉で返す。
弱々しい声で念押しするな――約束はちゃんと守る。
「本当に、心配してるんだから……」
なおも後ろ髪引くようなことを口にするのが、少しばかり気掛かりだった。
***
そうして迎えた最終日。
俺は七時セットのアラームで目を覚まし、作業場へ向かった。
昨日よりかは暖かいが、空はコンクリートのような灰色で覆われ、いまにも雪が降りだしそうだった。スマホで天気予報を確認すると降水確率八十パーセント、雪ではなく雨が降るとの予報らしい。
傘持って来てないな、なんて思いながらコンビニで弁当とほっこりレモンを買い、廃ホテルへの道を歩く。
今日の仕事が終われば、俺は社長の会社を辞める。差し迫ってお金が要る状況に、ひとまずの終止符が打たれる。
あとは残り少ない高校生活を過ごし、卒業を迎えた後、ざくろと結婚。
ざくろは晴れてジェイケーとなり、俺は新しい就職先を探す。
まだ担任は進路相談に乗ってくれるだろうか。幾分か選択肢は狭まってしまうだろうけど、できることなら学校の紹介で入りたい。なにやら新卒という肩書はかなり有利らしいし。
担任の先生にも迷惑をかけた、まずはそのことを謝ろう。俺は学校や先生が嫌いだったわけじゃない。言い訳になるけど、仕方がなかったから。
もし就職が決まったら……引っ越しか。
小さい頃からずっと過ごしてきたアパートだが、隣に香織が住んでいるような環境はダメだ。だが市外になると母様には会いにくい。でもざくろのことを思えば、できるだけ遠いところがいいだろう。考えることは山積みだ。
……不思議なもんだ。
いつか離別する、ざくろとの生活。必ず終わりが来る、束の間の幸せ。
そうとわかっていても、未来にあるいくつかの選択肢を想像していると、なぜだかとても楽しかった。
――なあ、聞こえてるか。ハデス。
「主から用があるとは珍しい」
曇天をさらに悪くしたような顔色の冥王が、俺の背後に現れる。
決意を自分から捨てるのって、難しいものなのか。
「余は数多の罪状を詠みあげてきたが、自ら失うに至った人間は片手に収まるほどであろう」
やっぱり……難しいんだな。
「然り。決意を長く抱えたものは、人格形成に与える影響も免れない。其れを否定するのは並大抵のことではない」
熱を持たない声が淡々と決意の最期を語る。
それを聞き、俺はアリサさんのことを思う。
彼女は明確に自らの決意を放棄している、にもかかわらず自らの未練を振り払うことができないのだ。だからこそ形式上での決闘は必要であり、その裁きを俺の手に委ねた。
決意の放棄とは、自身の生きた道の否定。そして明日に意志を引き継げない、今日の自分が迎える死。
……その気持ちは、とてもよくわかる。
気持ちがわかるからこそ、俺が決意を清々しく吹っ飛ばしてやろう。未練も長年暮らした建物も、一切思い出せないように。
アリサさんが綺麗な人生を再スタートできるように。
よし、ホテルに着いたらすぐにアリサさんへ会いに行こう。
そうして逃れたくても逃れられない、決意という名の牢獄から解き放とう。
まだ会って三日だけど、アリサさんには幸せになって欲しい。心からそう思えるから。
「主よ、忠告しておくが闇の決闘に、能力以上のルールはない。故に騙し討ちをも余に否定する権利はない。
わかってる。アリサさんが俺を騙してる可能性もあるってことだろう?
「然り。道徳すら失った能力者は繁華街においてさえ決闘を開始する。余の与えた能力の性質として、本能的に人目を避けるよう創られているが、そこに強制する力はない」
もちろん、俺だって決意を失うわけには行かない。だからアリサさんと言えど、この瞬間も気を抜いてはいけないのはわかってる。
でも、俺にはアリサさんと刃を交える未来が想像できなかった。
アリサさんとの会話は、慣れ親しんだ相手とのキャッチボールだった。決意のルーツは見えずとも、一定の信頼関係が築けていた。
そして万一裏切られたとして、俺に負ける未来はない。
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