2-13 ラッキー
「今日の仕事、どうだった?」
「どうって?」
「今日、学校来なかったら仕事だったんだろうな、って」
「まあぼちぼちって感じかな」
「よかった。昨日、邪魔しちゃったからさ。迷惑掛かんなかったかなって」
「大丈夫。昨日は元々話し合いだけだったし」
「そっか」
度々訪れる、不自然な間。
「ねえ、剣一。ヘンかな?」
「ん?」
「いまのウチ、ヘンかな。キモいかな」
「別に、キモくないけど」
「じゃあキモくなかったら、変なままでいても……いいかな」
淡々とした茜の声。
そのぽつりぽつりと呟く声に、なぜか緊張する。
緊張、なんで?
茜の緊張が、電話越しに伝わってくる、から……?
「いいんじゃないか」
自然を装って、応える。
「ちょっと疲れてたから、いまのトーンでちょうどいい」
「疲れてるのに電話、平気?」
「ああ、帰りは歩きが長くてヒマだった。だから茜が電話くれて……嬉しかった」
「そっか。へへ、へへへっ!」
電話口で壊れたように笑い転げる、茜。
「どうしたんだよ、急に」
「ううん、なんでもない。なんでもな~い!」
顔が、熱い。
ガラにもなく、嬉しいなんて言ってしまった気恥ずかしさと。茶化さず聞いて、喜んでくれたことが。
「ウチが電話すると、剣一嬉しいんだ」
「……だからって、四六時中かけてくるなよ? そんなヒマじゃ、ないんだから」
「うん。仕事大変だもんね、昼間寝てることもあるって言ってたし」
「ああ、だから寝てるときとかは、勘弁して欲しいかも」
「そだね、起こしちゃ悪いもんね」
「もし、あれだったらメッセージしてくれ。電話できるときは返信するから」
「わかった、ウチ聞くね。電話してもいい? って、聞くからね? 剣一が話したいこと、なんでも聞くからね?」
「ありがとな」
いつもと違う、キャッチボール。
普段が硬球で、今日は軟球……いや、ゴムボールくらいの柔らかさ。
キャッチボールは慣れる度に距離を取っていく。でも俺と茜は距離を縮め、いまやなまくらばかり投げ合っている。
……現金だな、俺。
さっきまで遠い未来を思い、心を冷やしていたのに。
茜の電話だけで、長かった帰り道が悪くないものに思えてしまう。
「あまり危険なことはしないでよ」
「えっと、まあ、はい。できるだけ」
「なによ、その気のない返事」
心配させたくないのと、ウソをつきたくない末の返答だ、我慢しろ。
茜が受け取ったボールにはきっと「はぐらかしてます」と書いてあるだろう。
「直接は危なくないけど、普通に働いてるだけじゃ間に合わないから」
「知ってる。でも剣一が危ない目に合うのはイヤ」
「そんなに心配しなくても」
「するよ。高校生に昼間から働かせようとするなんて、絶対ロクなもんじゃないんだから」
仰る通りで。ロクな仕事じゃありません。
「ウチ、イヤだかんね? 剣一がケガしたり、犯罪に巻き込まれて退学になったりしたら」
「そうならないよう、気を付けてる」
「ほら。気を付けないとそうなるんだ」
徹底したウソは付きたくないから、のらりくらりと返事をする。
そんな中途半端な返事だからこそ、ほころびは見つけられ、事実に近いところが見え隠れしてしまう。
「ねえ、剣一。……仕事って、なにしてるの?」
「おい」
「教えてよ。本当に心配してるの」
気になって当然の質問。
ここ最近、されなかった質問。
俺が答えなかったから。そして聞かれなくなったから。それ以上は踏み込ませないと、距離を取ったから。
「わかってるよ。ウチに聞く権利なくて、剣一に話す理由もないって」
好奇心を抑えられず、聞いてしまった自分を責めるように。
「でも、それでも知りたいって思うのは、ウチのワガママなのかな……」
コントロールできない感情への困惑。
自分で口にした「迷惑をかけたくない」とは真逆にある言葉。
なんで、気になるんだ? ……聞けるわけがない。
返ってくる答えが、恐ろしい。
その答えに、真摯な対応をする自信が、これっぽっちもないから。
そんな無責任なことを聞くことはできないし、茜もわかっているから踏み込もうとしなかった。
これまでは。
馬籠との賭けの代償。
あの時の軽い約束は、膨れ上がって爆発していた。
いや、賭けは切っ掛けに過ぎない。原因は放置してきた俺自身だ。
だから最後のブレーキは自分で踏み込まないといけない。
「ごめん。それは話さない」
関わらせない。
「茜には感謝してる。仕事を続けてこれたのだって茜のおかげだ」
俺たちは卒業したら離れ離れになる。
「でも、これ以上は深入りして欲しくない」
茜とは高校生活でたまたま人生が交わり、その出会いはお互いにとっていいものだった。
「お前、優しいから。知ったらもっと心配させたり、助けてくれようとするからさ」
そこで、終わり。
「迷惑掛けたくないから、話したくないんだ」
「……ずるい」
茜が保険に使う言葉を盾にする、最低な断わり文句。
「優しいとか、迷惑かけたくない、とか言われたら、もうこれ以上進めないじゃん」
そうだ、これ以上は進んで欲しくないから言ってるんだ。
「でも、取り消してよ」
「え?」
「ウチ、剣一といて迷惑したことなんてない。ううん、それに本当は――」
続けようとして、踏み留まる。
「た、たはは! ウチ、今日ちょっとヘンすぎるね? 反省、反省します!」
電話越しにヘタクソな作り笑い。
心を押し殺して、冗談として笑い飛ばしてくれている。
不安定なのは茜が悪いんじゃない、距離感をしっかり取れなかった俺が悪い。
縮めようとしたのも、離れようとしたのもすべて俺発信、茜は振り回された被害者だ。
……それなのに。
「取り消す」
その距離感は、いまも上手く掴めないままだった。
「いつも気にかけてくれて、ありがとな」
俺は二十分前に着いていた駅前の景色に目を向けた。
駅前のロータリーにはバスの停車音が響き渡り、忘年会シーズンのサラリーマンが肩を組んで騒いでいる。
「茜のおかげで学校もサンマも楽しい、茜に会えた俺はラッキーだった」
人の行き交う場所には、それぞれの生活の欠片が散らばっている。
その中で耳にスマホを宛がう俺は、カラフルな街灯りに、一人照らされていた。
「……恥ずかしいこと、言うなあ」
「取り消せって言ったの、茜だろ」
「そだけどさ、不意打ちはダメ」
「気をつける」
「ウチもね、剣一と会えてよかった。剣一なしの氷川茜なんて、もう考えられない」
「――っ」
子供のように、ぽつぽつとした言葉で、読み上げる。
「へへ、ちょっとは効いたっしょ?」
「……どーだか?」
「素直になりなよー」
電話口の茜はイタズラに笑う。
「なんか、ごめん」
「なんのことだか」
「あと、ありがとう」
「……どういたしまして」
主語も目的語もない俺たちの会話。
それを定めない会話が心地よく、定めないからこそ関係が維持できているのかもしれない。
「は~あ、でも剣一ってホントにケチね。仕事の話なんて、したって減るもんじゃないのに」
「踏み込みすぎると蛇が出る。それに茜もさっき言ってたじゃないか、親しき仲にも礼儀ありって」
「揚げ足だけはいっちょ前に取りやがってー」
「でも、危ないことだけはしないよう気を付ける。本当に」
「……うん」
俺が返してやれることは、とても少ないかもしれないけど。もらった言葉は大事にしたい。それが心を配ってくれる人たちへの、ささやかな恩返しになるかもしれないのだから。
――そういえば、ひとつ。聞きたいことがあった。
「なあ、茜」
「なに?」
アリサとの会話で気になったこと。
彼女は俺を”そうだ”と決めつけていた。
それは自分じゃ自覚はできない、けど他の目線がそうだと言うなら、きっとそうなんだろう。
だから茜にも判断して欲しい。
茜は真面目に相談すれば客観的判断をしてくれるから、どこまでいっても身内びいきになりはしない。
そう言った意味で俺が一番信用できる身内は、やっぱり茜なのかもしれない。
「俺ってさ…………かわいいか?」
度々、アリサは俺のことをかわいいと言ってくれた。
自分ではそう思うことはないけれど、もし茜もそういうのであれば、もしかしたら可愛い路線で攻めれば俺はモテ――
「なにキモイこと言ってんのバカ、コロスわよ」
「……せやな」
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