2-11 引き際

 ここはオーナーの意向で解体予定であること、何度か業者が入ったものの皆がキャンセルしてしまったこと。そして今度は俺たちの所にその話が回り、たまたまそれが能力者の俺だったことを伝えた。

 もちろん俺たちが正規の解体業者であることは話してない、別にそれ自体は重要なことではない。ただ俺とアリサが戦うのを抜きにしても、彼女にはここから出て行ってもらう必要があった。

「そっか。最近来てた人たちは解体の下見に来てた人たちだったのね」

「はい、だけどみんな一様に理由を話さず、ビルの解体から手を引いたみたいで……」

「ふふふ、そっかあ」

 アリサさんはお上品に笑っているが、イタズラが成功したような無邪気さがあった。

「もしかしなくても、その理由ってアリサさんの仕業ですか?」

「仕業なんて言わないでよぉ。でも、そうね。みんなを怖がらせちゃったのかな」

「……そんな恐ろしい能力なんですか」

「教えてあげない、秘密の多い乙女のほうが魅力的でしょ?」

「アリサさんの歳で乙女なんて言われてもなあ」

「いうわねえ~、剣一君」

「俺の知り合いいわく、十七歳を越えたらババアらしいので」

 それを聞いて、大笑い。

「なにそれぇ、おもしろい。そんなこと言うのってロリコンのお友達かしら?」

「いえ、友達いないので」

「そう? 剣一君面白いから友達多そうなのに」

 なんか余計なことを喋ってしまった。柔らかな雰囲気に呑まれ、喋り過ぎたかもしれない。

「じゃあ、女の子だ」

「ええと、まあ、はい」

「その様子からすると、彼女かな」

 彼女、か。

 まあ婚姻を結ぶ以上、否定する必要もない。

「そうです」

「あら、ひどい。彼女なのに知り合いなんて言っちゃって」

「いいんですよ、腐れ縁みたいなもんですから」

「でも十七歳でババアなんて、いくつの子と付き合ってるの?」

「今年、十六歳になりました」

「ええ!? 十六歳と付き合ってるの? 剣一君、相手が子供だからってうまく丸め込んでない?」

「うーん、そう言われると上手く丸め込んだかもしれません」

「ひどーい、かわいい顔して悪い男なのね」

 そうだ、俺はざくろを騙してる。結婚するのは形式上だけで中身は空っぽの、とんでもない結婚詐欺師。それを祝ってくれる母様や、茜にも口を閉ざし、一人別れの時を待ち続けている。

 ……そう考えると、俺って本当にヒドいヤツなんだな。

「でも残念。剣一君かわいいから、お姉さん狙ってたのに」

「それは光栄です。廃ホテルに一人暮らしって知らなければ、俺もその気になったかもしれません」

「ふふ。さすがに引くかしら?」

「引きますねえ」

 ラリーが延々と続く卓球のような会話。心地いい。

「もしかして、剣一君の決意って……その子絡みかな?」

 少しためらった様子で、アリサさんが聞く。

 一歩踏み込んだ、その質問。

 俺たちは能力者、能力もそうだが、相手の決意ねっこが気にならないと言えばウソになる。

 きっとこんな機会がなければ、誰にも話さなかっただろう。でもこの柔らかい雰囲気に押されて、俺はざくろの存在を話してしまった。


***


「……そして、ざくろと婚約をしました。こんな能力がついてくるなんて、思いもしませんでしたが」

 アリサの顔は熱に浮かされたように、恍惚としていた。

「剣一君の決意って、もしかしてざくろちゃんへの想いそのものなの?」

 違う。

 だが……俺は場の空気を壊したくなくて、頷いてしまった。

「素敵、ステキィ!」

 アリサは両手を顔の前で掲げ、目を星マークにしている。

「相手をそこまで思ったがために、決意になった。そしてそれは世界に認められない許されない恋。なんてロマンチックなの! そこまで思ってもらえる彼女が羨ましい」

 アリサは熱っぽい溜息を吐き、頬に手を当て、ここではないどこかに思いを馳せている。

「でも、それが闇の決意にされるなんて。ホント失敗作みたいな世界ね」

「はは、ホントですね」

 かわいたわらい。

「私も、そんな恋がしてみたかったな……」

 女性が一人、闇の決意を手に、廃ホテルで一人暮らし。

 普遍な人生を過ごしてきたことの象徴だろう。アリサはきっと凄絶な境遇の中で生き、その着地点としてここで暮らしているのだ。

 だったら、俺は俺の事情で、アリサの住まいを奪っていいのだろうか。そんな疑問が沸き上がる。もちろん引くことはできない、この建物は取り壊さなければいけない。アリサさんがここに住み込んでいるのは不当な占有で、決して褒められることではない。

「よし、話よくわかりました」

 膝をパンと叩き、アリサが背筋を伸ばす。

「私、ここを出て行く。そして剣一君との決闘に、負けます」

「えっ?」

 アリサには驚かされてばかりだが、ここに来てまた驚かされてしまった。

「なあに、驚いてるのよ。剣一君にとっては必要なことでしょ?」

「それは、まあ……そうなんですけど」

「ふふ、やっぱり優しいのね。なまじ私と関わっちゃったばかりに、考えちゃったのよね。……でもいいの、私がここに住んでるのなんて、ただ未練がましかっただけだし」

 理由は聞けないし、聞かない。

 俺だってざくろのことを悩みに悩んで、拗らせて出した結果別れを、闇の決意に定義づけられた。それは人に話したいことじゃないし、聞かれたいことでもない。だからアリサに深く突っ込むことは、ためらわれた。

 ただ、俺の話のなにかがキーになって、アリサの未練を解き放ったのかもしれない。

「いつまでここにいるの?」

「今日を入れて、三日です」

「わかった、じゃあそれまでに部屋の片づけと、心の準備だけしておく」

 アリサの言葉にウソは見当たらない。どこか清々しい、あきらめたような顔が浮かんでいるだけだった。

「本当に、いいんですか?」

「うん。なんか剣一君と話してたらスッキリしちゃった。やっぱりこんなところに籠ってないで、外にでないと人として腐っちゃうよね」

 そんなことを口にするアリサは、闇の決意を持つ者とは思えない、人としての美しさのようなものがあった。

「剣一君に会えて良かった、いいきっかけになった。あと彼女さん……ざくろちゃんを大事にしてあげてね?」

「……はい」

 胸に小さなトゲが刺さる。ウソは相手にでなく、自分に刺さるもの。

 ――ポケットが振動する。武田からの電話だった。気づいたらもう昼を過ぎていて、顔合わせをしようということだった。アリサは「すごーい、いまの携帯電話ってそんな形なんだあ」なんて驚いていた。どんだけ外に出ていないんだ。

 一応、アリサにはもう一人作業員がいるので、夜まで部屋を出ないように言い、また二日後と手を振って別れた。

 そのとき、俺はアリサを決意の呪縛から解き放つ。

 結果だけ見れば熟練者キャリアとの決闘を、戦わずに済ませられることになった。

 意気揚々。二日後には最悪ともいえる結果を招くとも知らずに。

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