2-10 能力者アリサ

「ふふ、あんな威勢のいい鼻血初めて見たわ」

「わ、笑わないでくださいよ。俺だってビックリしたんですから……」

 俺は勧められたソファに座り、鼻にティッシュを詰めている。なんとも間抜けな光景だ。バスローブの女性は俺にコーヒーを淹れるとまで言い、先ほどからキッチンを行ったり来たりしている。

 この五〇五号室は彼女の住まいだった。

 ベッドの枕元にはクマのぬいぐるみ、掃除機やアイロンが片隅に置いてあり、ゲーム機がテレビの前に置きっぱなしになっている。

 家具や食器はホテル備え付けの物ではなく、自前で用意したと思われるバリエーション。なにより彼女がここで暮らしているという、生活臭のようなものがにじみ出ている。

「びっくりしたわよね、こんなところに人が住んでるなんて思わなかったでしょう」

「ええ、それはまあ……」

 そしてなにより不思議なのは、ここで暮らしていることを隠そうともしないし、敵である俺に対してもフレンドリーなことだ。決闘の運命を憂う能力者と、何度か会話をしたこともあるが、ここまで友好的に接してきた人は初めてだった。

「あまりビクビクしないでね、私だって能力者同士が決闘しなきゃいけないのは知ってるわ。でもだからって最初からギスギスしなくったっていいと思わない?」

「そうですね、すいません。お姉さんがこんなによくしてくれているのに」

「お姉さんだって、ふふ。そう呼ばせるのもいいけど、私のことはアリサって呼んで。でここに住んでるの」

 苗字ではなく、下の名前で名乗る。

 とある事情とは、決意に関わることだろう。でなければこんなところに住む理由がない。

 ……アリサとどこまで関わるかわからない、だが名前くらいは知ってたほうがお互いにやりやすいだろう。

「俺のことは剣一と呼んでください、でここに来ました。そうしたら濃厚な美人の気配に誘われて、ついここまで」

「あら、お上手。でもなんかイヤね。体から匂いがするみたいで」

「それはお互い様でしょう、アリサさんも入った瞬間に感じましたよね? 俺の体臭」

「いやあん。わざと言葉を避けたのにい、体臭とか言っちゃいやああ」

 なにやら楽しそうに首を横に振って騒いでいる、その姿は校内ではしゃぐジェイケーたちと変わらない。その子供っぽい仕草に、俺はようやくソファに背中を預け始めた。

 ――相手は決意を持つ熟練者キャリア、油断してはいけない。だが、どこかアリサにはシンパシーのようなものを感じた。

「でも、びっくりしちゃった。ドアをノックする人なんて初めてだったから」

「少しでも警戒を解いてもらえたら、と思ったんですけど」

「うん、そうしてくれて正解。もし蹴破ろうとしたり、鍵をこじ開けようとしたら、剣一君のことを敵としか思わなかったかな」

 グッジョブ、少し前の俺。

「だからこうして能力者の人と落ち着いて話すのも初めてなの。いやあん、こんなかわいい男の子で嬉しいわあ」

「……かわいい、ですかね。俺」

「あ、ごめんね? でもかわいいは女の子の最大の褒め言葉なのよ。できることならカッコイイより喜んで欲しいとこね」

「それじゃ、喜びます。やったー!」

「剣一君が喜んでくれた、私もうれしー!」

 そう言って二人で両手を上げて喜ぶ、めちゃくちゃ頭の緩い空間。

「ふふ、不思議ね。剣一君とは初めて会った気がしないわあ」

「俺もです。シンパシーみたいなものを感じました」

「学校でも、いつもそうなの?」

「どうでしょうかね、あまり学校行かないんで」

「あ、やっぱり学生なんだ。それなのにこんな寂れたラブホに来ちゃうなんて悪い子ね」

「ここに住んでる人が言いますか?」

「ぶぶー。それはNGワードです、減点よ」

「あーしまった、パーフェクトの夢が……」

「安心してっ、まだ敗者復活戦で十点を取り返せるわ!」

「よしきた。ちなみにパーフェクトを取るとなにがもらえたんですか?」

「知らないわぁ」

 そして沈黙、真顔で見つめ合う俺たち。

「ぷっ。剣一君、面白いわね」

「アリサさんこそ」

 減点とか十点とか言うあたり、ざくろと家で話すノリと変わらない。

「どこか別のところで出会いたかったわねえ」

「本当ですよ」

 これからのことを思うと、残念だ。

 俺はこの人と決闘をしなければならないし、勝敗の有無問わずアリサにはここから出て行ってもらう。それは俺以外の誰かの役目かもしれないが、稀有けうな縁だ。できれば俺がその立場でありたい。

 本当はここでゆっくりしている時間もない。俺には三日という期限があり、それまでに事前調査を終えなければならない。だから一刻も早く調査を開始しなきゃいけないのに……

「剣一君、変わってるわよね」

「そうですか? まあ、まともな人間だとは思ってないですけど」

「ううん、そうじゃなくて……」

 アリサは少しだけ困ったように笑う。

「剣一君、私になにもしようとしないから」

「なにもしよう、って……」

 言葉には出さないけど、言いたいところはわかってしまう。

「私ね、ここで大人しく暮らしたいだけなの。でも意外とね、色んな人が訪問してくるの」

「そうなんですか」

「ええ、ちょっと素行不良の集団とか、家具を探しに来る泥棒とか、雰囲気を察知した能力者とか」

 これだけ喋るのは久しぶりなのか、少し声を掠れさせたアリサが首元を抑え、コーヒーで喉を潤す。

「私を見た人は、みんないやらしー顔で笑うの。人気ひとけのないところに女が一人でいるからかしら。でもその度に能力を見せつけて追い払っちゃった」

「能力を見せつけて……?」

「うん。私の能力、ちょっと刺激的だから」

「え、ちょっと待ってください」

「うん?」

「一応、俺の認識だと、能力って闇に無縁の人たちには見えないはずなんですけど」

「そうみたいね、私はあまり詳しくないけれど。その……依代っていうのかな、能力が宿ったモノ自体がちょっとショッキングだから」

 胸の内でハデスにどうなのか、聞いてみる。

「明確な情報は勝敗に直結するため、主にも詳細は開示はできぬが……依代自体の存在が脅威足り得るなら、無縁の者をひるませることも可能であろう」

 依代自体が脅威でショッキング? 例えばそれ自体が武器になる物とかだろうか、銃とか、日本刀とか?

 頭の中でバスローブのアリサさんが日本刀を振り回し、チンピラを追いかける姿を想像する。なるほど、柔和にゅうわ微笑ほほえみとのギャップが、なんとも不気味で恐ろしい。

「能力者もいきなり襲い掛かってくる人ばっかり、みんな戦うのって好きなのかしら。私は戦いたくなんてないのに」

「俺も同じです。できることなら俺もアリサさんとも戦いたくありません」

「ほんとぉ!?」

 アリサは身を乗り出して驚く。

「はい、決意は失いたくありませんが……能力とか決闘とか、ハッキリ言って邪魔です。でも負けるわけにもいかないし」

「うーん、わかる! そうだよね、それが悩むとこよねっ」

 いままで誰にも共感を得られなかったのか、アリサさんがハイテンションで同類の意見になんども頷く。その笑顔を始めて見たのが俺だと思うと、少し嬉しい。

「よかったあ、戦いたくないのって私だけじゃなかったんだ」

 アリサさんは何度も繰り返し、噛みしめるように言っては顔を綻ばす。

 なんか不思議だな。

 たまたま共通点があって、奇妙な縁があって、へんてこな場所で落ち合った俺たち。

 きっとお互いが能力者でなかったら、関わり合うこともなかったのだろう。

 こんな綺麗で面白い方と知り合うことができたのなら、意外と能力なんてものを得たのも悪くないように思えてしまう。

「で、剣一君はわたしと戦いたくもないのに、なんでここへ来たの?」

「実は――」

 俺はこのホテルの処遇について伝えた。


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