2-9 待ち受けるモノ

 待ち合わせ時間から十分後。一台のミニバンがホテルの前に止まり、運転席の窓から作業服の武田が顔を出す。

「黒田、早かったな」

「俺が早いんじゃなくて、武田さんが遅いんです。遅刻ですよ」

「ケチケチすんな、どうせオレたち以外はいないんだからよ」

 つまり俺に対しては遅刻しても構わないってことか。はっ倒すぞ、コノヤロウ。

「社長に資料はもらって来たのか」

「ええ、カメラとマスクも預かって来てます」

「とりあえず助手席に乗れ、外は寒くてかなわん」

 言われた通りに乗る。エアコンの暖かい空気と、機材が放つ独特の埃っぽい匂いが鼻を衝く。マスクを秒で着用。

 取り出した資料を武田に渡し、一通り目を通す。

 俺たちが行うのは主にビル内の下見、そして解体の事前調査。

 事前調査の行われる主な目的はアスベストの使用有無が主である。

 アスベストとは高度経済成長期に多く使われた建材だ。安価で防火・防音・断熱用に優れていることで重用されていたが、その粉塵ふんじんを吸い込むことで肺がんなどの健康被害に繋がることが問題になった。特に無対策での解体は周辺住民にまで被害が出るため、現在は使用禁止となっている。

 このホテルは比較的築浅なため使用されているリスクは低い。だが解体工事を行う際には必ず事前調査をし、役所への届け出をしなければならないらしい。

 しかし、それらを任された三社の業者はすべて事前調査の段階でキャンセル。その結果も明らかになっていないので、いつまでたっても解体工事は進まない。正に社長みたいなハイエナが食いつきそうな訳ありの仕事だった。

 俺たちはプロじゃない。実際にやる作業は写真撮影と、アスベスト使用の疑いのある材質を削って回収すること。その後は社長に丸投げ、それだけできれば作業は進めることができるらしい。

 だが……

「おいおい、エレベーターの裏まで調べるってマジかよ。聞いてないぜ」

 細かな作業に不向きな武田が、うんざりした声を上げる。

 けど、思うところは同じだ。

 実際に作業を行う個所はホテルの廊下、全部屋と屋上。それにエレベーターや非常階段、極めつけは各部屋の天井裏だ。それらすべてを調査するとなると想像以上に時間がかかる。

 社長にもらった期限は三日、それまでにすべての作業を終えなければいけない。実際のところ着手して見なければ、期限が適切かどうかもわからない。間に合いそうになければ、帰らなければいいのだが、それは最終手段にしておきたい。

 それから武田との話し合いで、俺が一階から五階の廊下、および全部屋の材質回収。武田はエレベーターと非常階段を分担することになった。

 若干、俺の普段が多いように思えたが、正直エレベーターは担当したくなかったので良しとする。

 子供の頃に見た海外アニメで、キャラがエレベーターに潰されるのを見たことが、未だにトラウマだった。カートゥーン的なノリだったので潰されたキャラはペラペラになって風に飛ばされていたが、あれ以来エレベーターになにか底知れぬ恐ろしさみたいなものが根付いている。

「よっしゃ、じゃあ始めっか。とりあえず十九時まででいいか?」

「いいと思います、昼に一回合流しましょう。なにか問題が起きてないかも含めて」

「ああ、念のため灯りは点けるなよ、俺らが作業してるのは内々ないないだ、通報されたらすべてパーになる」

 武田から小型の懐中電灯を受け取り、リュックに突っ込む。

 互いに必要物の確認を終え、同時に車を降りて作業開始。

 高速道路沿いで近くには民家もない。通報されるリスクは限りなくゼロに近いが注意しすぎるということはない。俺たちはどこまでいっても資格のない非正規の作業員だ。

 会社としても正規の従業員ではないから、就業時間も決まっていない。すべてが出来高できだかばらいで、社長のどんぶり勘定。

 それでも俺はこれで稼ぐしかない。普通にアルバイトをして稼いでは、金額も時間も全然足りない。少し危ない橋を渡ったとしても背に腹は代えられない。

 ホテルの入り口に立ち、社長からもらったマスターキーでガラス扉を開ける。鍵が開いたのを確信し、足を一歩踏み入れる。


「――まさかとは、思ったが」

 ハデスの呟きが胸に響くと同時、脳が危険を訴える。

 空気が刺激物となり、肌に染み入るような感覚。――能力者だ。

「対峙せずともこの気配、前回の比ではないな」

 体からは暗紫色の光。場が既に決闘化し、身体強化が行われている。

 リュックの中に忍ばせていたフライ返しを取り出し、ベルトの間に挟む。

「こちらが気配を悟れたのであれば、あちらも気付いている筈。突然の襲撃に警戒されよ」

 対面せずに場が決闘化されるのは、稀。

 相手はよほどの熟練者キャリアか、強力な能力を携えていることは間違いない。

 どこから襲撃があるかもわからない。十分に警戒して――

「おい、黒田。なにボサッとしてるんだ。さっさと作業にかかれ」

 急に現実に引き戻され、肩を震わせて驚く。

 武田だ。

 肩に脚立を抱え、工具箱を持ち、訝しそうに俺を見る。

「……いえ。事故物件って言うだけあって、雰囲気あるな、って」

「は、お前までそんなこと言いだすのか。背伸びしたガキかと思えば、変なとこでビビリだな」

 武田は鼻で笑いながらエレベーターに鍵を差し、メンテナンスモードに切り替えている。

 ……そうだ。ここには闇と無縁の武田がいる、ここで決闘は行えない。

 いまから十九時まで作業をする話は決まったばかり。避難してくれと言っても説得する材料がないし、馬鹿にされるだけで聞いてもらえるはずがない。

ずは闇の者と対峙せよ、主なら気配から能力者の潜む先を辿れるであろう。時間を改め、正式に決闘をするように伝えるのだ」

 ……それしかないか、話が通じるかは相手次第だ。

 どちらにせよ、俺たちは互いに存在を認識した。であれば本能に従い、刃を交える未来は避けられない。

「前回のように良識がある者であれば理解を示すだろう、だが好戦的な者であれば無理であろうな」

 対戦者が理性的な者とは限らない。

 無縁の者を巻き込まないのは暗黙のルールだが、ネジのトンだヤツであれば突然の襲撃も考えられる。

 ましてや俺には現実浸食インフェクションがある。いざという防御の際には使わざるを得ないし、武田に見られてしまうことはおろか、危害を加えてしまう可能性だってある。

 ……ハデスが、無理やりにでも言い聞かせられないのか?

ニグリ決意アルケーはヒトが身侭みままに会得したもの。余は決意を減らす手段として能力を付与したが、能力者をコントロール出来る訳ではない」

 なんて自分勝手な。

「自分勝手な決意を抱えた者が、戯言を」

 わかったよ、俺がなんとかするしかないんだろ。

 仕方なしに覚悟を決める。

 本能によって決闘を求めるのであれば、相手の気配を辿るのは造作もない。

 ……こんなことが当たり前にできる俺って、もう人間じゃないのかもな。そんなことを考えながら非常階段を登り、気配を手繰り寄せながら五階に到着。

 一寸先も見えぬ廊下を懐中電灯で照らすと、床には真っ赤なカーペット。灯りがあればカップルを盛り上げるいきな色使いも、窓のない闇に浮かぶそれは、血染ちぞめされた不気味な道としか思えない。

 そんな狭くて埃っぽい廊下を歩きながら、各部屋の扉に神経を研ぎ澄ます。

 五〇一、五〇二、五〇三……

 建物の性質上、外からは物音ひとつ聞こえない。いつ襲撃されるかわからない状況下では僅かな音も逃せない。妨害するのは自分の心音と、息遣い。体内で反響する音のない音が、否応なく緊張感を高めていく。

 そして到着した最後の部屋、五〇五。

 中から漂う気配は、限りなく濃い。ここに潜んでいることは、間違いないだろう。

 ドアを破壊し、一気に対峙する――ことも考えたが、そんなことをして話し合いに発展するわけがない。

 決闘とは互いを能力者と判断した場合に始まる。俺が察知したということは、当然あちらも察知している。部屋の中では能力者が襲撃を警戒し、依代を携えていることだろう。

 俺の最終目標は決意の成就、ひいては金銭の獲得、このビルを安全に解体させること。扉の先にいる能力者とは、可能な限り穏便にことを済ませたい。


 少し考え――扉をノックをした。

 コン、コン、と狭い廊下に小さい音が響き渡る。

 ノックと同時に俺は扉の前から離れる、内側からドアを破られる可能性を警戒して。

 暫し、静寂。……返事は、ない。

 だが少なくとも中にいる人物に、話し合いの意志があることは伝わったはずだ。

 手元にマスターキーはある。だが、こちらから開けるのと、相手に開けさせるのはまるで意味が違う。

 もう一度だけ、ノックをしよう。それでダメなら中に押し入る。

 そうして俺の手が扉を叩こうとした瞬間、扉が開錠する音を立て――内側からドアが開かれた。

「あらーかわいいひと」

 おっとりとした声に、中から顔を出したのは……バスローブ一枚の女性だった。

 腰までありそうな長い黒髪に、長い睫毛の瞳には深く落ち着いた光。俺の訪問にも動じない余裕のようなものがある。年齢は俺より少し上だろうか、女子大生くらいに見える。

「あなたが……?」

 まだ緊張と驚きの中にいる俺は、主語のない質問を飛ばす。

「ええ、そうよ。可愛らしい能力者さん」

 言いながら口元に手を当てて屈託なく笑う。

 だが彼女は確かに俺のことを能力者と言った。なにより彼女からは能力者が可視できる暗紫色の光を放っている。

「ここで話すのもなんだから、入って」

 その女性は自らドアを大きく開き、室内に俺を招き入れようとする。

 ……なんだこの状況? 罠か? でも彼女には敵意のようなものはまるで感じられない。まるで自分が借りてるマンションの一室に、知人が訪ねてきたみたいな様子だ。しかも中にはちゃんと明かりまで灯っている。

 ドアが閉まると後でガチャリと音が鳴る、オートロックか……すこしビックリした。

 もちろん警戒は緩めない。だが俺だって敵意はない、ここは彼女の言うことに乗るべきだろう。

 そこで彼女は一歩振り向き、部屋に入って来ない俺に一言。

「別に取って食べたりはしないわよ? あ、それとも……」

 そう言って彼女は前屈みになり、胸元をわざとはだけさせ谷間を強調して、言った。

「ぼうやは、私に食べられに来たのかしら。……なんてねっ」

 まるで、てへぺろが聞こえなそうな物言い。

 ――俺はきっと極度の緊張状態にあったのだろう。もしくは寝不足、ストレスとかそういう類のものだと信じている。だから決して彼女の行動に反応したわけじゃない。

 要はなにが起きたかというと……俺はこの瞬間、どこぞの仙人よろしく、真っ赤な鼻血を吹き出していた。

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