2-8 ハデスは下っ端
翌朝、曇り空の午前六時。
ざくろを起こさないように、そろりと着替えて家を出る。
マンションの一室にある事務所へ向かい、社長から必要書類を受け取って地元駅に向かう。各駅停車で三駅隣の田舎町を降り、スマホの地図を片手に目的地へ。
住宅地を抜け、ツタの絡まった高速道路の
昨日、パートナーの武田に車で送ると言われたが断わった。あいつに頼んだらまた封筒の中身が危ない、今回の仕事は額が額なだけに些細な借りでも作りたくなかった。
ホテルはカラースプレーのキャンバスとして一部地元住人に愛され、元々の白い肌をカラフルなタトゥーに彩り、更にそのお足元には信心深い業者からの供物こと、産業廃棄物で溢れ返っていた。まさに廃墟という言葉を
「――業の深い場所だな」
数日ぶりにハデスが口を開く。
「この地には瘴気が漂っている、おそらく
決闘? この場所で?
「然り、闇の能力は現実に影響を及ぼさない。然れど実体で力を振るう以上、
それで人目のないこの廃ホテルが使用されたってわけか。
「少し手狭ではあるが決闘の地においては優れていると云えるが……」
言いかけて急に黙る。
なんだろう、珍しい。尊大な物言いをするハデスが、なにか少し考え込んでいる。
「主。雇用主との対話でこの建造物を取り壊すと聞いたが……控える気はないか」
「え、そりゃまたなんで?」
ハデスが俺に頼みごと??
「……余は冥王、
ハデスはバツが悪いのか視線を逸らし、長い爪で頬をポリポリ掻いている。
「故に能力者を減らすためには決闘が必要で、決闘場の存在は不可欠。故に有用な地が一つでも失われることは……余にとって避けたい事象だ」
なるほど、言いたいことは理解できた。でも悪いけど……俺はこの仕事をやめる気がない。
もちろん前提としてはお金のため。だがそれを抜きにしたって、このホテルは撤去されて然るべき存在だ。
この地は、なにも生みださない。
誰も利用しない施設に、誰かに必要とされる土地。もしここに新しい建物が立ち、人が働いたり住んだりするのであれば、新しいものにとって代わるべきだ。
闇の決闘場が減ったとして、世界が崩壊するわけじゃない。あくまでそれは個々人の問題で、現実に与える影響はほとんどない。だったらそれは闇を抱える人のために場所を腐らせるのではなく、新しいものを必要とする人たちに提供されるべきだ。
――と、俺は思うけど?
「判っている、聞いてみただけだ」
ハデスは鼻をふんと鳴らす。不愉快そうだ。
「所詮、誰も余の責務を理解を示さない。神々の集うオリュンポスの定例会でも能力者の増加は度々、議題に上げられ罵られる。……もう慣れたものだがな」
なにやら愚痴まで吐き始めた、珍しい。
今更だけどハデスって本心から、闇の能力者を減らしたいんだな。本音では能力者を増やして、世界を混沌に陥れたいとか考えてるのかと思ってたぞ。
「主まで俗世に毒されたことを云うのだな」
ハデスは一つ溜息を吐き……一息で言い放つ。
「余は冥界を管理している王。そして現世では著作権がなく、知名度の高いギリシャの神々が登場する著作物で溢れ返っている。余はその中でいつも悪のモチーフとして扱われている、余が冥界を管理しているだけの理由で! 余は決して現界に災いを齎すわけでも、混沌を望んでいるわけでもない。ただ冥府の仕事に携わっているだけだと云うのに、
ハデスがかつてない熱量で俺に捲し立てる。
「それをヒトは冥府と悪のイメージを並列に持ち、余を魔属性だとか闇属性だとか云うがとんでもない。余は現界の汚れ仕事を引き受けているだけで、悪意など塵ほどもない。しかもヒトのそういった歪んだイメージはオリュンポスにまで届き、ゼウスが『ハデス、闇っぽいし能力者の管理頼むわ』との一声で、余に斯様な面倒事を押し付けられたのだぞ?」
それは……大変だな。
「冥界だけでも統治するのにどれだけの労力を割いていることか。現世では医療の発達で高齢者の死が滞り始めた反面、俗世を嘆いた若者の自死は増える一方。どれだけ能力者の管理に難儀しているか、主には理解できるか!?」
い、いえ、出来ません。軽率なことを口にして申し訳ない……。
「構わぬ、余も含めた神々はヒトあっての神だ。こうした姿を保つことが出来るのも、人が神に対するイメージが定着したからであろう。だが深くは言及するまい、これ以上はヒトの持つ自由な想像力に悪影響を与えてしまうやもしれぬ」
なんて気の利いた神様だこと。人間の想像力にまで気を遣わせてしまった。
「だから真の意味では現世のためを思い、現世の人間が建造物を破壊する判断をするのは結構な事。余が主との距離を見誤った、許せ」
神と呼ばれるものにそこまで言われたら、俺としても恐縮せざるを得ない。
というか神って大変なんだな。ただ威張ってるだけのイメージもあったけど、実際は仕事に圧迫されるサラリーマンの構図だ。ブラック企業オリュンポス、過労死もできないからある意味、最高の地獄かもしれない。
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